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原罪としてのフワちゃん

いま考えていることのざっくりとしたメモ。ざっくりした話なので細かいところはスルーしてほしい。

ジャニー喜多川性加害問題が起きたとき、これは我々全員が背負っている原罪なのではないか、ということを書いている人がいて、それはたしかにそうだな、と思った。

彼の性加害は、世の中の誰もが知っていることだったし、裁判で事実認定もされていたし、事務所の関係者やマスコミ関係者が知らないはずはないことだった。でも、目先の利益のために、全員で見て見ぬふりをしてきた。

ジャニー喜多川の性加害の責任は、一義的には加害者本人にある。でも、広い意味では、彼の罪を知りながら、それを見過ごしてきた私たち全員が、その罪を背負っているようなところがある。

今回のフワちゃん暴言騒動にも似たようなものを感じる。新時代のスターとして颯爽と現れたフワちゃん。目上の人にも敬語を使わず、遅刻を繰り返し、自由奔放に暴れ回る。そのキャラクターで人気が出て、世の中に認められてしまったので、誰も彼女のことを真正面から注意できなくなってしまった。

今回の事態が起こったとき、「フワちゃんがそんなことを書くなんて意外だ、信じられない」と言う人はいなかった。誰もが、この人ならもともとこういうことをやってもおかしくなかったな、と思っている。

暴言の責任はもちろん一義的にはフワちゃん本人にある。でも、一歩引いた目で見ると、あんなにヤバい人をここまで持ち上げてきた友人知人、事務所関係者、業界関係者、マスコミ関係者、そして彼女を面白がってきた一般視聴者、全員が背負う罪でもある。

私自身も、微力ながらマスコミの仕事に携わり、フワちゃんのイメージ作りに貢献してきた人間の1人として、今回の事件はものすごく後味が悪いな、と思っている。

まとまらないけどひとまずこんなところで。