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生と死から考えるレゾンデートル ⑴

自らのレゾンデートルについて考えたことはあるだろうか?このような問いは生きている中で不意によぎる。人間であるなら必ず直面するだろう。自分とは何だろう、なんで生きているのだろう、と。今回は、哲学の観点から考察をしていきたい。まず初めに、世の中に「絶対」は存在しないという言葉があるが、人間である以上、私は二つあると考える。それは、「生」と「死」である。どうせ死ぬのだからといってニヒリズムに陥る人もいるだろう。確かに無駄だ。ただ、本当にそうだろうか?結論から述べると、私はこの世界で生きることに意味があると思っているし、生まれてきたこと自体も、偶然ではなく必然だと思っている。自らの考察から、論展開していくとしよう。生きる意味を見つけることは自己理解にもつながる。

私がこの世界で生きることに意味を見出しているものの一つに「前世」の存在がある。私自身かつて科学絶対主義だったとき、こんな話馬鹿げていると思っていたが、そもそも科学で証明できないことがたくさんある世界で科学に縋るのはおかしいと気づいた。それから、このような形而上学的な世界も信じるようになった。「前世」が自己理解になぜ関係しているのか述べる。カントの思想に「現象世界」というものがある。端的に言えば、すべてに事象には原因があるというというものだ。すなはち、「原因→結果」の無限連鎖でこの世界は成り立っているというものである。人間の一生の時間軸は、過程が何であれ、「生」で始まり「死」で終わる。カントの言う通り、世の中が因果性を孕んでいるとしよう。死ぬ原因があるのは自明だ。癌で死んだとか、殺されたとか簡単に思いつくだろう。では、生まれてきた原因は何だろうか?おそらく多くの人間が思い留まると思う。何故なら、生まれることより前の出来事がないからだ。そこで私は、「前世」というものが生きる意味なのではないかと説く。前世で何をやり残したのかは不明だが、もう一度人間界に生まれてこないといけない原因があり、その結果、我々は生まれてきた。この考えは、カントの思想にも乗っ取っているし、前世でやり残したことを現世で探求するという生きる意味も見えてくるだろう。現世だけでなく前世の存在も視野に入れることで自己理解の助けになる。

誰かに見て貰えたなら、この続きを出したいと思います。