凪 nagi

#経済 #AI #教育 #言語

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最近の記事

生と死から考える自らのレゾンデートル(3)

前回の続き。パート3です。 前世から現世に生まれ変わる時に失われたものとして私が最初に思い浮かんだものは、「記憶」だった。私が思うに、人間の共通部分を取り除いたときに唯一残る特有のものは頭の中、すなわち「記憶」であると解釈した。「記憶」がその人の人格を構成していると述べても過言ではない。この考えに思い至った時、私は次のようなことを考えた。「人間は、実は脳みそしか存在しなくて、自分自身の体、目の前に見えているものすべて幻想なのではないか?」と。誰も、目の前にいる人間が本当に人

    • 生と死から考えるレゾンデートル (2)

      続きです。 十牛図からの考察 前世の存在を意識したとき、何を前世でやり残して現世に生まれてきたのか。その何かが分からない、足りないと思い悩むだろう。しかし、この「喪失感」に意味があると私は考える。この私の疑問に対して「十牛図」は少し貢献した。十牛図とは12世紀頃に作られたもので、10枚の牛の絵が番号順にストーリー形式で描かれているものである。「十牛図」の解釈は様々であるが、私は牛を「前世の自分」、旅人を「現世の自分」と考えた。今回は「廓庵十牛図」を用いて、自らの考察を述べる

      • 生と死から考えるレゾンデートル ⑴

        自らのレゾンデートルについて考えたことはあるだろうか?このような問いは生きている中で不意によぎる。人間であるなら必ず直面するだろう。自分とは何だろう、なんで生きているのだろう、と。今回は、哲学の観点から考察をしていきたい。まず初めに、世の中に「絶対」は存在しないという言葉があるが、人間である以上、私は二つあると考える。それは、「生」と「死」である。どうせ死ぬのだからといってニヒリズムに陥る人もいるだろう。確かに無駄だ。ただ、本当にそうだろうか?結論から述べると、私はこの世界で

      生と死から考える自らのレゾンデートル(3)