見出し画像

テスラとエジソンは不倶戴天の間柄

ニコラ・テスラは、1856年7月10日にオーストリア帝国(現在のクロアチア共和国)スミリャンで生まれた。1882年からエジソン・エレクトリック・ライト・カンパニーのフランス支社であるコンチネンタル・エジソンに勤務。プライベートで誘導モーターの開発に成功したが、欧州では興味を抱く人に巡り会えず1884年に渡米した。トーマス・エジソンが設立し直流による電力事業を展開していたエジソン・マシン・ワークスで働き始めたテスラは、交流システムの提案で対立し失職する。テスラは1887年4月にテスラ電灯社(Tesla Electric Light Company)を設立し交流による電力事業を推進、10月に交流システムの特許を出願した。1888年5月16日にアメリカ電気学会(AIEE)でデモンストレーションを行い、ジョージ・ウェスティングハウスから研究資金と特許使用料の提供を受けた。1891年に米国籍を取得したテスラは、テスラコイル(共振により高周波・高電圧を発生させる変圧器)を発明する。J・P・モルガンの援助を受け、1901年にニューヨーク州ロングアイランドに電波塔ウォーデンクリフ・タワーの建設を開始[1]。1905年に完成したもののモルガンとの関係悪化で研究は中断、タワーは1917年に解体・撤去された(跡地にはテスラの業績を展示するテスラサイエンスセンターがある)。テスラは、1943年1月7日にマンハッタンのニューヨーカー・ホテルで死去。発明品や設計図は、外国資産管理人事務所(世界大戦中の米国政府の事務所で、敵に属する財産の管理人としての役割を果たした)に引き渡され、マンハッタン・ストレージ・アンド・ウェアハウス社で保管されていた。テスラの財産管理権を与えられたサヴァ・コサノビッチ(テスラの妹マリカ・コサノビッチの息子で、当時ニューヨークに亡命していたセルビアの政治家)は、遺産をベオグラード大学に送った。現在はセルビア共和国のニコラ・テスラ博物館に保管、2003年にはユネスコ記憶遺産に登録された。2016年、FBIは情報公開法に基づいてテスラの関連文書(FBI Records: The Vault — Nikola Tesla)を公開した。

Top 11 Things You Didn't Know About Nikola Tesla

2022年3月24日、京都大学とパナソニック(TYO:6752)が共同で研究開発を進めてきたマイクロ波電力伝送システムのプロトタイプ開発が完了し、試験用サンプルの提供が開始された。

1.ウォーデンクリフ・タワーは、無線により送電と情報の伝達を行う構想「世界システム(World Wireless System)」のために建設された。

※ 見出し画像にはPixabayのフリー素材を利用しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?