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河合塾 大志寮の思い出


はじめに

2005年4月、横浜在住の高校3年生だった私は無事大学を全落ちし浪人生活を始める事となった。
母は私が自宅に居てもサボるだけと考え、自宅ではなく「予備校の寮」という多くの人々が存在すら認知せずに一生を終える様な場所で浪人生活を始める事となった。
ふと懐かしくなりネットで大志寮を検索してみた所、殆ど情報が残されていない事に気づき、かつての「大志寮」の思い出と、(価値があるかは不明だが)数少ない入寮者の記録としてネット上に残していきたいと思う。

大志寮の歴史

大志寮の正式名称は「河合塾横浜大志寮」であり神奈川県横浜市西区岡野1丁目6‐34にかつて建てられていた浪人生向けの寮である。
いつから寮として稼働していたかは不明だが2005年に入寮した段階で建物や設備が古いものであったため1990年代には開設されていたと思う。
私が入寮した時期の写真はネット上に殆ど存在しておらず、辛うじてmixiの2007年のトピック(https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=300048&id=16483670)にかつての写真があるのみである(ヘッダーの写真はトピックから引用した物)

2007年以前の大志寮


その後2008年にリフォームされたようでgoogle mapで見られる2009年の写真では、武骨な白一色の建物から木を基調としたお洒落な建物へと変貌している。

更に2022年、阪急阪神不動産が同地区にマンションを建設する計画を立て、
12月のgoogle mapでは建物は解体されており瓦礫の山を残すのみとなっている。
以下引用
>【横浜】阪急阪神不動産(東京都千代田区有楽町1ノ1ノ3)は、横浜市西区岡野にある旧河合塾大志寮の解体に、六大工業(東京都板橋区)の施工で着手した。
>【横浜】阪急阪神不動産(東京都千代田区有楽町1ノ1ノ3)は、旧河合塾大志寮跡地にマンション「(仮称)横浜市西区岡野一丁目計画」を新築するため、内野建設一級建築士事務所(東京都練馬区)に設計を発注した。

設備について

  1. 自室
    自室は4畳程度の狭いスペースにベッド、勉強机、クローゼット、冷蔵庫、エアコンが置かれておりお世辞にも広いとは言い難いスペース。
    入口ドアは一般的なマンションによくあるステンレス扉で下部に5mm程度の隙間があり、夜間は廊下を歩くスリッパの音がよく聞こえていた。
    ベランダは写真の通り何故か各部屋との間に仕切りが無く、窓を開けた際に隣室の人と鉢合わせすることがあり
    大変気まずかったため殆どベランダに出る事は無かった。

  2. 水回り
    トイレは各階層にありウォシュレットの有無などは忘れてしまったが不便だったり汚いと感じた記憶はなく、また1年過ごして1度もゴキブリに遭遇しなかった事から清潔に保たれていたと思う。
    風呂に関しては大浴場が1階に1つあり大きな浴槽と6台程度のシャワーがついている一般的な公衆浴場形式だった。夕食前の時間は数人のグループが騒いで入浴していることが多く、ぼっちだった私は入浴終了時間ギリギリに行き誰とも会わないように手早く入浴していた。

  3. 食事
    1階に食堂があり2~3人の調理師の方が併設されている調理場で作っていた。夕食は2~3種類のメニューから選んで食べる学食形式で朝は私が食べなかったからかあまり記憶がない。正直食事の思い出はほぼ無く、可もなく不可もない味だったのだと思う。

  4. 規則について
    玄関に各寮生の名前が付いた木札がありそれを裏返して在室・外出の表示をしていた。門限は20時で時間が過ぎると鍵が強制的に締められていたが私は模範生であったため特に門限に不満は無かった。

  5. 管理人(寮長)について
    身長180cm近い40代位のおじさんだったが性格に難があり何故か室内で帽子を被っていると激怒して大声で怒鳴りつけてくるため、食堂でラッパーみたいな恰好した寮生が度々怒鳴りつけられている姿を目撃した。
    また寮長が居ない時は大学生(フェロー?)が管理人室に在室していた。リフォーム後に大志寮に入った方々の記事を見るとフェローが質問に答えてくれていたそうだが、私の頃は勉強のフォローをしてくれたりはせずただ居るだけだったので殆ど交流は無かった。

  6. そのほか設備
    https://matadogasukun.hatenablog.com/entry/2019/03/06/103449
    https://mochimochimochio.com/archives/114
    上記のリフォーム以降に入寮した方のブログではラウンジや筋トレルーム、パソコンルームがあったようだが私の頃にはそういった娯楽スペースは一切なく、自習室も寮内になかったため本当にただ寝て起きて予備校に行くだけの空間だった。まあそれが不満だとは思わなかったが。

寮生との思い出

さて1年間同じ建物で生活していくので寮生同士次第に仲良くなっていき
一緒に勉強する事で効率よく偏差値を挙げる事が出来る
のだが


私は



1年間




誰とも仲良くなれませんでした!!!!!!

まあ入る前から予想はしていたがコミュ障の私は結局誰とも話すことも仲良くなることもなく1年過ぎましたよ。
唯一の寮生との思い出は近くのコンビニに行った際に、顔は知っているけど話した事はない寮生に「1000円貸してほしい」と言われ貸した事だけ(その日の夜に返してくれた)。
まあ明確にぼっちだったのは私含めて2人しか居なかったので、多少コミュ力がある人間であれば孤立することは無かったし、また孤立しているからと言っていじめがあったり嫌がらせがあったわけでも無いので、黙々と勉強したい人であればそこまで困ることは無かったと思う。

で、結局予備校の寮ってどうなの?

まあ結局寮で1浪しても大学に受からなかったという悲劇(自業自得)を踏まえたうえで聞いて欲しいが個人的には

寮に入った意味は無かった

と思う。
確かにテレビは無いし自宅の娯楽から離れられはしたが、コンビニへ行けば普通に雑誌や漫画はあるしラジオは持ち込めたし
また当時既にガラケーがあり遊ぶ(現実逃避する)道具は制限された寮でも十分にあった。身も蓋もない事だが自宅だろうが寮だろうが結局は
自分が自制できるかどうか
が全てでありわざわざ高い寮費を払ってまで行った意味は全くなかったと思う。
その後2浪目に自宅から予備校に通いなんとか目的の学部に補欠合格出来た事からしても最初から自宅で良かったと痛感している。
現在も「ローレルハウス横浜」という自室にバストイレがありwifi完備された寮が用意されているようだが、余程予備校から遠い人以外は行く価値があるのかは正直微妙な所だと思う(特に横浜は誘惑が多いし)。

まとめ

私は40年弱生きてきたが浪人生時代というのは(1浪目、2浪目問わず)人生において本当に無駄な時間だったと思う。あそこで頑張った結果今があるのは事実だが別に現役で受かっていれば必要のない時間であったし、あの頃の閉塞感・切迫感は社会人になって受けるストレスとはまた違った苦しみがあった。

もしこの記事を見に来た高校生、浪人生が居たら出来るだけ時間と金を掛けずにさっさと大学に入れるよう頑張ってください。受かりさえすれば何とかなりますよ。

(了)


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