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43歳で癌と声帯麻痺になったよ!

あれから早いもので7年の歳月が流れた。

今から7年前、忘れもしない2013年の春、その日は突然訪れた。当時43歳の僕は、小さいながらも建売の一軒家に住み、サッカーに励む長男と、ストリートダンスが大好きな長女という子宝にも恵まれ、所謂、普通に幸せな家庭を築いていた。そんな普通の幸せを手にしていた僕の身に異変が起きたのは、自治会の遠足に行くというなんとも呑気な日の朝だった。

その日、朝起きると、声がうまく出ない。カスレ声というか、まるでカラオケでリンダリンダを夜通し歌って声が出なくなった時のような感じである。風邪か?と軽く思って放っておいたが一向に治らないので耳鼻科へ行くと、すぐに大学病院へ行くように言われた。

病名、甲状腺乳頭がん。所謂、悪性腫瘍だが、甲状腺乳頭がんは極めて予後が良好で、9割の人の10年生存率は90%を超えると言われる。しかし、僕の場合は、甲状腺乳頭がんの中でも低分化型と言って、残りの1割のほうだった。10年生存率は60%、極めて再発・転移の可能性は高い。しかも、かなり進行しており、反回神経と言って、声帯を動かす神経をがん細胞が巻き込んでいた。声のカスレはこの為だった。

8月に手術を受けた。甲状腺乳頭がんの手術としては異例とも言える、10時間半に及ぶ大手術で甲状腺を全摘出、頸部のリンパ節には15箇所もの転移があった。反回神経はがん細胞と一緒に合併切除、おまけに声帯が閉じた状態で麻痺している影響で呼吸ができない為、気管切開を施した。声帯を動かす神経を失った僕は、声に障害が残った。「障害が残った」というのは、実は声は出ている。声帯を動かす神経が切れているので、声帯は動いていないのだが、不思議なことに声は出ているのだ。風邪をひいたようなカスレ声で、大きな声は出ないものの、なんとか日常生活に支障がない程度の声は出ている。なぜ声が出るのか病院の先生から説明を受けたが内容が難しすぎて全く覚えていない。

2ヵ月半の入院を経て日常生活に復帰した僕は、まずは、気管切開を閉じたかった。反回神経麻痺で気管切開を閉じる手術は声門開大術と言って非常に難しく、その手術ができる医師は全国でもわずかだった。僕はいろんなツテを頼って気管切開の閉鎖手術ができる病院を探した。

そして、たどり着いたのが、大阪病院の望月先生だった。いろんな病院で無理と言われた気管切開の閉鎖を、望月先生はなんとかしましょうと言ってくれた。

初めは、声帯の軟骨をレーザーで焼き切る手術を試みた。僕の声帯は閉じた状態で麻痺しており、その為呼吸ができない。そこで、声帯の一部を焼き切って呼吸の通り道を作ろうと言う訳だ。しかし、この方法は難易度が高く残念ながら失敗に終わり、日を改めて再手術をすることになった。

数週間後に僕は手術のために再度、大阪病院を訪れた。手術の日の朝、僕は望月先生から、「手術の方法、変えてもええかな?」と信じられない言葉を耳にする。

「え!今からですか??」

先生曰く、レーザーで声帯を焼き切る方法はやめて、声帯を釣り糸のような糸で引っ張って呼吸の通り道を作る方法を試したいと言う。この方法はエイネル法と言って、実はこちらのほうが声門開大術には一般的である。どうやら、先生は直前まで全国の耳鼻咽喉科の権威である先生方と相談して悩んでいたらしい。

「わかりました。お任せします。」

最近、医療現場を舞台にしたドラマが多いが、実際の手術は全く異なる。もちろん、ああいう状況もあるのだろうが、少なくとも僕の場合は、全く違った。まず、手術室には自分で歩いていく。よく、キャスターの付いた担架みたいなベッドに乗せられて手術室まで運ばれていくシーンを見るが、よく考えれば、僕みたいな場合は、気管切開をしているだけで五体満足なので当然である。歩いて手術室に向かうのは、なんとも不思議な気分である。あと、手術室。白を基調とした内装で最新の機器が並んでいるようなイメージだが、どちらかと言うと小学校の給食室が近い。ステンレス製の業務用キッチンみたいな台がいくつか置いてあって、手術というよりも今から調理されるのではあるまいか?と不安を抱いてしまう。

とぼとぼと手術室に入ると、ベッドに横になるように促される。看護婦さんから、「なんか好きな音楽流せますけど、希望あります?」と言われる。

(今!?)

手術直前に言われても、すぐに、こちらのリクエストに応えれるような、FM局のようなシステムなのか、病院ってやつは!?しかも、全身麻酔やん?イントロで寝てまうんちゃうの?と、思いながら、

「じゃあ、ももいろクローバーZの『行くぜ!怪盗少女』でお願いします」

とも言えず、

「なんでもいいです」

と言うと、安田成美の「風の谷のナウシカ」がかかっていた。なぜに、この曲?まあ、全身麻酔なのでいいけどさ。。

麻酔の注射を打って口元にマスクを付けると秒で眠りにつく。今回は3時間程度の手術だったが、いろいろ痛いことをされているのに全く覚えていないのだから恐るべし全身麻酔。

手術は無事に終わった。この時点では、まだ手術が成功したかどうか分からない。まずは気管切開をカニューレという器具で塞ぎ、呼吸が問題なくできるかどうか、2週間様子を見る。問題なければ、閉鎖の為に再手術となる。僕は、たった1年の間に通算5回の手術を受け、そのうち4回が全身麻酔というなかなかできない経験をさせて頂いた。

7年経った今、僕は無事に気管切開を閉鎖した。がんのほうも、再発・転移せずに日常生活を送っている。実は、この7年の間に、病気だけではなく僕の身には様々なことが降りかかった。声は出ていると言ってもファミレスや居酒屋では、周りの音にかき消されて僕の声はみんなの耳には届かないし、甲状腺がんも、いつ再発・転移するか分からない。

それでも、僕は生きている。ただ、それだけで十分幸せだ。

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