2020.03.18 あの人はどんな人だったか

 なにか書いてみよう。

 親父と久しぶりに夕食を食べた。大学入学で上京した僕は、就職してからも含めるともう9年も東京にいる。数年前に親父が単身赴任で東京に住み始めたが、一緒に食事をするのは年に1,2回だ。新型コロナウイルスの余波で始まった在宅勤務は、"普段あまりしないことをしよう"という余裕を僕に与えた。そして、久しぶりに親父に声をかけたのだ。

 親父とは仲がいいと思う。10代の頃こそ怒られたことはあったが、大学に入った頃から僕に小言を言うことは無くなっていた。仕事のことや音楽や映画の話をよくするが、やはり「自分はこの人の息子だ」と思うくらい、よくも悪くも大きな意見の相違が生まれない。

 市ヶ谷の寿司居酒屋で、日本酒をあおりながら、話は父方の祖父母のことに。

 「おじいちゃんとおばあちゃんは、お父さんの生き方に一切口は出さなかった。”口は出さないけど、お金は出す”それがとてもありがたかった。僕も君にはある程度そうしてきたつもりだ。親にされたことは親には返せない。亡くなってから、もっと何かしてあげられればよかったと気づくものだ。」

 父方の祖母が亡くなってもう5年くらいは経つのだろうか。父はこういう話を惜しげもなくしてくれるタイプの人間だ。昭和生まれの"親父"としては、珍しいのではないか。そして、親父の話は続く。

 「今になって、自分がどういう人達によって育てられたか、どんな環境にいたのかを知りたくなるんだ。おばあちゃんが残してくれた日記はまだ読めていないけど、そういうものは残された者にとってはありがたい。」

 言われてみれば、生まれた頃から祖母は僕の祖母だったので、「祖母」ということを除いたときに、彼女がどういう人だったのかは知らない。その後、親父は、祖母の出自が祖父よりも裕福な家庭だったこと、農家だった祖父のもとで祖母がとても苦労したことなどを教えてくれた。そして、衝撃的だったのが、祖母が自身の出自が地域の大名の末裔だったのではないかということをずっと調べていた、という話だった。

 孫の僕からしても、祖母は主人の一歩後ろをついて歩くような典型的な専業主婦に見えた。その祖母が日々の生活の何に糧を得て、何に情熱を燃やしていたのか知る由もなかった。僕自身は、自分の先祖が戦国大名だろうが百姓だろうが興味はないのだが、祖母にとってはとても意味のあることだった。その話を聞いたとき、自分にとって平面的な、祖母らしい祖母でしかなかった(そういう見方しかしてこなかった)彼女の人生に急に奥行きが生まれたような気持ちになって、泣きそうになった。

 この話を残しておきたいと思った。また、自分自身がどんな人間だったのかを残すためにも、

 なにか書いてみよう。

と思ったのだった。

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