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『BRUTUS』特集の正しい評価。見えてくるアイマスが直面する問題点。


『BRUTUS』アイドルマスター特集、どうやら高評価のようだ。Twitterで#アイマスブルータス で検索すれば、多くのツイートがみられるが、同誌を称賛する声が多く見える。

かくいう私も発売日には読めるよう、期待に胸を膨らませながらAmazonで予約していた。

しかし、"永久保存版""最高"と目につくコメントもある一方で、致命的な点への指摘があるのも事実だ。(後述・黛冬優子問題)何より私自身が、”言うほどのことか”?と違和感を感じている。

冷静に、客観的に、『BRUTUS』特集の評価と、称賛するファンの姿、そしてそこから見えてくる”アイドルマスター”シリーズの問題点を考えることにする。

最初に結論から言うと、今のアイマスシリーズの問題点は、”アイマスシリーズのオタク”が少なくなってきているということだ。

『BRUTUS』記事の評価

過去特集してきたオタク向けでないメディアの中で、屈指の力の入れ方であったことは間違いない。

SONGS OF TOKYO FESTIVALやTIF、シブヤノオトなど、多様なメディアへの出演が多くなってきたアイマスだが、伝統ある雑誌の特集で表紙まで丸々キャラクターを使う、というのは類を見ない。アンバサダーアイドルの担当Pにとっては、大変に貴重な一冊だっただろう。

中身も60ページを超えるボリュームで、多くの企画があり非常に読み応えのある内容となっている。

しかし、下記の2つのポイントに沿って冷静に考えていくと、決して聖書のような扱いをするレベルではないと考えている。

①評価すべきはビジネスジャッジ

アイドルマスターシリーズは、累計経済効果600億円、支出喚起力は嵐(328億)についで2位(276億)ともいわれている。

ここまで大きな経済圏を持っているエンターテイメントを、15周年というタイミングでパワーをかけて特集することは、何も不自然ではない

逆に、多くの雑誌がこのような特集を行わないことが不自然とさえ言える。※1

「儲かるに違いない」という数字がある中で、特集を組むことに何の違和感があろうか。これがアイマス5周年くらいで同様の紙面を割いてくれたのであれば、”聖書”的な扱いに納得できるのだが。

ページのボリュームや多くのライターがかかわっていること、企画の多さ、表紙にまでキャラクターを取り入れた点等は特にずば抜けて優れたポイントではない。「特集」とはそういうものである。私は多くの雑誌を読むし、まさに今も手元に『週刊ダイアモンド』日本酒特集があるが、表紙から記事まで日本酒について50ページ超、非常に読みごたえがある。特集とは手間と誌面を割き、読み応えがあるものだ。読み応えがあるから素晴らしい、というのは違う。

他誌にまどわされず数字を見てサブカルコンテンツを取り上げる、ファーストペンギンたる姿勢は、良いビジネスジャッジであったと思う。
何が言いたいかというと、周りに惑わされない姿勢はすごいが、アイマスを選んだことは賞賛するほどのことではない。
特集してくれてありがとう、でも他誌が特集しないのがアホなんだよな、というのが正しいリアクションに思う。

アイマスをとりあげてくれた!神!永久保存!というのは安直すぎる。

②愛のない編集

では、特集の中身はどうだったか。

アイマスファンであるライターのコラムは、愛と文才にあふれるコメントであり、評価できるように思う。現実のアイドルPにプレイさせてみた記事も、彼らの視点が面白かった。

問題は、『BRUTUS』編集部がある程度グリップすべき点、コンテンツの理解度が試される場面である。

特に違和感を感じたのは、(1)空想ライブ(2)アイドル紹介の2点だ。

歴史紹介のようなファクトの調査、アンバサダー選定のように数字を集計すればよい行為、外部ライターに書かせる記事と違い、ここは編集部の判断、愛が試される。

(1)空想ライブについては、違和感しかない。アイマス曲を比較的多く知っている人間がセットリストを見ればわかるのだが、なんとも微妙なセットリストである。

人気のない曲と言っているわけではない。個人的に「アイル」は最も聞いた曲の1つだ。

だが、名曲が入っていたとしても、セットリストがアニメやゲームの主題歌に乏しく、コンテンツの入口になりにくいのも事実だ。サブカルファンの耳なじみも薄く、初めての人向けでは絶対にない。

では15周年を総括するセットリストなのかといわれるとそうでもない。歴史を総括するうえでは外せない「M@STERPIECE」「M@GIC」「自分REST@RT」のような、アニメの集大成的な思い出曲や、「アイ MUST GO!」「約束」のような、ライブでの思い出曲もない。すべてそういう曲なのはつまらないが、さすがに少なすぎる。

若林さんや中川さんのようなレジェンドメンツに集まってもらっているのだが、だからこそ収集のつかないセットリストになっていると思われる。

何が言いたいかというと、対談の中で”コンセプト”の視点が全く足りていない。すなわち、編集部による議論のグリップがなっていない。

中川さんや佐藤さん、若林さんは”作り手”であり、すべての曲に思い入れが深く、世の中でアイマス曲に最も詳しい人たちである。

だから当然、対談の中では”歌マス”や”START”のような超有名曲も話題に出てくるし、”Blessing”のようなライブ未公表曲も出てくる。

議論のファシリテートをうまく行い、目指していたセットリスト像のピースを埋めていく作業。これが下手だと感じた。あらゆる曲を知っている人達に対談形式でライブを作ってもらうのであれば、テーマ=編集部からのオーダーが重要だ。このセットリスト全体像をイメージしたオーダーが下手だ。曲調やテイストは注文するものの、アイマスの歴史やコンセプトに紐づくオーダーがなされないのだ。だから一つ一つの曲はいいが、全体的なセットリストにまとまりがない。

小冊子の1ページ目、最も根幹となる思想に「はじめての人にも届くものにしたい」と書いているのではないか。

少し冷静になって考えてみてほしい。15周年のタイミングで、"はじめての人にも届く"ようなライブ。「天海春香の曲を1曲は」とオーダーしなくてよかったのか。「ここからアニメにも入ってもらえるようにアニメ曲を」とオーダーしなくてよかったのか?

結局のところ、編集部はアイマスに疎く、歴史に寄り添ったセットリストのイメージ、そしてテーマの提示ができなかったのだろう。

このセットリストが、”製作陣がPと飲み屋で語りたいセトリ”とかだったら150点だったと思う。6時間語ってみせる。


(2)アイドル紹介は、ほかでもなく”黛冬優子”の紹介コメントが大問題だ。

知らない人のために説明すると、黛冬優子に関する紹介コメントが、まったくの嘘だったという話だ。

コメントには”実は腹黒なオタサーの姫”と書いていて、編集部がご丁寧に線まで引っ張ってくれている。が、そんな事実は全くない

シャニマスをやったことがない方のために例えると、安部菜々を”自分を宇宙人と思い込んでいる馬鹿”、もっというとドラゴンボールの悟空を”実は結構ヤンキー”というくらい的が外れている。本当に、そんな設定は全くないのだ。

黛冬優子は、素の性格とは違い”ふゆ”というキャラをアイドル像として持っている。しかし、間違っても影で誰かを蹴落としたり、失敗を望むような『腹黒』ではない。努力を忘れず、ユニットへの愛もあり、自分が反省すべき時にはPの前で泣きじゃくる。素直になれないときもあるが、努力家で真面目なアイドルである。

また、オタサーのような組織に所属している設定もない。ユニットにはトラブルメイカーもおり、チーム内で変なちやほやされ方をされることはない。むしろ苦労人ポジションである。アニメが好きな描写があり、”ふゆ”というぶりっ子イメージから、”オタサーの姫にいそう”ということなのだろう。

努力家な側面などの魅力がコメントの後段に触れられており、単純に貶す文ではないのだが、『腹黒』や『オタサーの姫』が完全にデマであることには変わりがない。

1キャラくらい、と思うかもしれないが、これは編集部の姿勢と実力を如実に表している。

なぜなら、シャニマスは、コンテンツに触れているかの試金石だからだ。

あなたが、アイマス記事の仕事を請け負ったら、どうだろう。とりあえずゲームをやってみないだろうか。アイドル全部とは言わないまでも、特集でとりあげる子くらいはやってみるだろう。

シャニマスを初めて最初に触れるゲームシナリオ、WING編は1キャラ30分、どれだけ長くても1時間だ。今回誌面で紹介されているシャニマスのアイドルは10キャラ程度だから、どれだけ時間を要しても半日あれば一通りはプレイできる。

黛冬優子を理解できなくとも、嘘か嘘じゃないかくらいは確実にわかる。

間違いなく、この編集に関わった人間はシャニマスをやってない。そしてそのような姿勢からは、他のアイマスもほとんど触れていないのではないかと疑ってしまう。

シャニマスはシナリオの重厚感、キャラクターの描かれ方が他のアイマスとは違い、2次創作も盛んなことから、少しGoogleで調べたくらいではボロが出やすい。西城樹里が「元ヤンキー」とかいう全くのデマ紹介されたのは記憶に新しい。なかなか一言で表すのが難しいアイドルの人間味ある魅力が、少しずつイベントやコミュを通して見えてくるのがシャニマスの面白さだ。

他のブランドは、個性=最大かつ唯一の武器として全面に描かれることが多い。ゲームプレイしなくてもある程度ネット検索すれば、今回の特集コメントくらいの文字量ならボロが出にくい。自分が書かず募集したものを取捨選択するのであれば猶更だ。

おそらく冬優子が2次創作でも人気で、非公式なキャラが独り歩きしていることもあり、ボロが出てしまったのだろう。ここまでの簡単なミスはなくても、シャニマスはごまかしが利きにくい。

評価の分かれるところだったとか、ミスリードだったとかそういうレベルではなく、完全なデマ情報をキャラクターの紹介コメントとして取り上げているのだから、ただの嘘記事だ。誤植のほうがよっぽどマシである。しかも、線を引いて強調までしているのだから、見落としという言い訳は通じない

こんな手抜きが、”愛のある特集”などと持ち上げられるのはおかしくないか。ページ数が多ければ愛があるわけではない。
個人的には、表紙のルール問題も含め、間違いを素直に認められないところが、マガジンハウス社の奢りを感じられるところである。

(尤も、アンバサダーアイドルインタビューの解像度は高かったように感じるので、編集部皆が杜撰なわけではないと思う。)

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ここまでを振り返ると、『BRUTUS』アイマス特集は、他誌に惑わされない姿勢は素晴らしかったものの、決して雑誌の特集としてずば抜けて優れていた訳では無いと考えられる。
面白いか面白くないかでいうと、"おもしろい"なのだが、編集部を大絶賛というレベルのコンテンツではない。あくまで外部ライターの文才ではないか。
空想ライブやアイドル紹介のような編集部の愛が試される点は粗が目立つ。
比較対象がないから最高評価を下したくなる気持ちはわかるが、絶対的な評価としては月並みだろう。
分かりやすく言うと、別の雑誌がアイマス特集を組んでくれるなら、そっちでもいい。


それでは、ここからは『BRUTUS』を褒めちぎるファンのコメント傾向から、アイマスが抱える問題について述べていきたい。

1⃣ニワカの大量発生。

まずはじめに、先ほどの冬優子の記事に関係することだが、誤った紹介コメントは、公募で寄せられたものだった

これはボロが出た理由の1つだと思うが、恐るべきことに、嘘情報は、自称ファンから寄せられたものだったのだ。

アイドルマスターシリーズは今年で15周年。5ブランドそれぞれ、ソーシャルゲーム、ライブ、漫画、ラジオ等展開しており、すべてを追うのが極めて困難なコンテンツだ。

そうすると、どうしても一部分しか知らないファンが出てくる。これはやむを得ない。”よく知らない”ことは罪ではない。大昔のゲームまで全部やることは現実的には不可能だ。

しかし、コンテンツが有名になりすぎた功罪か、「よく知らない目立ちたがり屋」すなわちニワカが大量発生しているのではないか。

例えばシンデレラのライブは今やドーム単位だ。加えて全国の映画館でライブビューイングがあり、海外でも行われたりする。そうなると、”アイマスはまったく知らないが仲はいい友人も誘う”ということが可能だ。

好きな人が集まるコンテンツなだけでなく、「好きではないが目立ちたい人」も集まるコンテンツになった。これが一つ目の課題であると思う。

知らないことは罪ではないが、冬優子のように、知ったかぶって誤った情報をまき散らすことは、デマの温床であり課題である。

少し派生するが、ニワカの罪として、正しい評価ができなくなることがある。なぜなら、『自分の知っているものが取り上げられる=神』という安直な思考になってしまうからだ。

例えば先ほどのライブセットリストについて、「〇〇があるから神」というようなツイートが非常に多い。アイルがあれば、アルストロメリアがあればそれだけでいいのか?結局、全体を俯瞰できないので、知っている範囲で好きなものが入っていれば、高評価を発信してしまいたくなるのだろう

2⃣ニワカとは逆に、老害も問題。

アイマスでは、15年前にアーケードでデビューした765ASのキャラクターが、ライブもゲームも、(頻度はさすがに変わるが)現役である。

これは他のコンテンツになかなか見られないと思う。アイマスシリーズと開始年代が近いプリキュアシリーズ(2004年-、アイマスは2005年-)は毎年アニメの主役を刷新している。コンセプトの近いラブライブシリーズだと、初期の声優ユニットは既に活動を停止している。

類を見ないコンテンツの継続の影響か、老害が非常に多く感じる。

例えば、Twitterの#アイマスブルータス 感想で最も多くみられたのは『昔は小さいコンテンツだったのに、今では雑誌の表紙』という主旨の意見だ。

黎明期に思いをはせるのは全く悪くないのだが、問題は「取り上げてくれた=高評価」というようなニュアンスの意見が少なくないことだ。

先ほど述べたように、今のアイマスの経済規模で様々なメディアに取り上げられることは全く珍しいことではない。

にもかかわらず、少し別の雑誌に取り上げられたことだけをもって、「すごい」「高評価」「永久保存」というのは流石に考え方が古すぎる。歴史は尊重すべきだが、アーケード時代の感覚を引きずりすぎるのはよくない。

老害がどういう問題に発展するかというと、ファン同士のトラブルだ。

ライブ後には「お気持ち表明」と揶揄される、あたかも公式の見解であるかのようなツイートが見受けられることがある。

例えばアイマスライブの不文律として、”家虎は禁止”というものがある。

”HappyDaring”の”応援するよ”コールはよくて、そこで”イエッタイガー”ということはだめなのか。”FuFu”と”イエッタイガー”の違いは何なのか。アイマス公式から「イエッタイガーは禁止です」と明確に述べられない限り、自由なはずではないか。

古参が、あたかも公式見解のように強く主張することは、コンテンツへの新規参入を阻害する。さらに、ライブ中に係員でもないのに注意するような、自警団へと発展し大きなトラブルになりかねない。

”BRUTUS表紙問題”について自警団らがキャストらに自粛を求め問題が大きくなったのも、目立ちたいニワカ・そして公式と勘違いしている老害の影響なのではないかと考えている。悪いことかもしれないが、それを注意するのは正当な権利者に委ねるべきだ

(NUDIE事件のリンクは、”イェッタイガー”というコールそのものについてではなく、バラードやジャズ系のような静か目の曲にコールをいれてよいか、という論点だが、公式気取りの方々の参考として。)

3⃣”アイマス”オタクはいるのか?

ニワカ問題にもつながる根源的な問題だが、もうすべてを”アイドルマスター”とひっくるめるには大きくなりすぎている。

たとえば、冬優子のデマ情報を送った人も、もしかしたら他ブランドについては詳しく、そちらが本命の応募だったかもしれない。たまたま疎かったシャニマスについてのコメントを、手抜き仕事で拾われたのかもしれない。

また、空想ライブについても、曲が増えれば増えるほど、もっと収集のつかない内容になるだろう。今後、仮にBRUTUSが金にモノを言わせてリアルライブを実現させたら、イマイチのライブが歴史の一つとして出来上がるかもしれない。そうなったら、そのライブに初めて来た”P候補”を失いかねない。最高は、塗り替え続けなければならない。

今は15周年のアニバーサリーなのでコラボを楽しみたいところだが、そろそろブランド毎にディバイドしていく動きが必要ではないか。全然特徴が違うのに全部ひっくるめて同じような扱いをすると、弊害が出てくる。

如実な例は、”Mステ”のサービス終了問題だ。

サ終発表前、2020年8月のMステアクティブユーザーは、2.3万人と、コンテンツ後輩のシャニマス(10.4万人)よりも圧倒的に少なかった。特筆すべきは、メットライフドーム(キャパ3.4万人)でのライブは既に決まっていた(コロナで中止になった)ことだ。

ゲームのプレイヤーが、ライブの箱のキャパより少ない。SideMは、もはや声優ライブコンテンツになってきているように見える。少なくとも、他4ブランドと足並みがそろうコンテンツではない。

Mステの終了には多くの問題があり一概には言えないだろうが、アイマスコンテンツの1つで、バンナムが敗北したことは間違いない。”アイドルマスター”というブランディングの敗北である。であれば、SideMが得意とする分野で戦っていかないと、連敗していけばコンテンツ全体が陳腐化する。

先程のブランド毎のディバイドの例になるが、Mマスのソシャゲのあり方である。例えばガチャ更新頻度は落とし、声優のイベントや配信にリソースを割いた方がいいのではないか。他のブランドでソシャゲをやってるから付き合う必要があるのか。

団結の歌詞に引っ掛けて”みんなまとめてアイドルマスター”等と言われたりするが、”みんなそれぞれアイドルマスター”へと場面転換すべき時ではないか。

先ほど述べたように、コンテンツ全体を追いかけられるボリュームの展開量ではない。もう”アイマスシリーズ”のオタクなんていうのは、数えるほどしかいないのかもしれない。

ひっくるめ続けると他のコンテンツへの実害もあるかもしれない。Mステ終了ということは、決して満足いく利益は出なかっただろう。もう一度失敗したら?そこを万が一にもシンデレラやシャニから穴埋めすることがあれば、他のゲームのバランスが崩れ、課金に偏ったゲーム性になりかねない。

アイマスの護送船団方式は、そろそろやめないと。
次の15年も変わらずプロデューサーでいたいから、アイマスには変わり続けてほしい。

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※1勝手な推測だが、雑誌社のお偉いさんの多くは、「アニメ?くだらない」「そんな冒険はできない」くらいの感覚なのではないかなと思っている。
そして、出版・本・雑誌関連の業界が今苦しい要因の一つではないかとも思う。抜本的にあり方を変えられない、冷静に支出喚起力があり続けるものを取り上げられない点。ビジネスとしてどうなんだという疑念を持たざるを得ない。
『鬼滅の刃』のようなブームを一時的に取り上げることは出来ても、2次元コンテンツに紙面の多くを明け渡すようなことは、社内理解が得られないのであろう。あるいは雑誌のテイストと両立させられない企画力不足か。

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