私の競輪備忘録②
私が競輪に出会った年である80年の夏、私は全国の競輪場を飛び回っていた。
今の時代の様な何処の開催であっても自宅で投票できるネット投票はもちろんのこと、電話投票もなかった時代のため、92年に本格的に電話投票が導入されるまでは一部場外発売などはあったものの現地にひたすら足を運んでいた。
それは競輪の格言にある『先行一車』を購入するためだった。
ちなみに私に競輪を教えてくれた先輩はこの年の春に障害罪で捕まった。
大阪は北新地のクラブにて大酒をかっくらって大暴れしたらしい。
正直、呆れて物も言えないとはこの事だ。
私は幼少の頃の家族の記憶から酒を飲んで暴れる男が最も嫌いだ。
そんな私が先輩に
『ざまあみろ』
と思ったのは言うまでもない。
話がそれたが『先行一車』は本当に儲かるのかについてお話したい。
結論から言うと儲かる。
いや、儲かったと言うほうが正しいかもしれない。
当時は先行一車番組だけを追い続ける事でかなりの収益をあげることができた。
私はサラリーマンをしていたのだがこの年の夏前に賞与を貰ったあとに辞表も出さず逃亡するように会社を去った。
今の時代で言えば『飛んだ』というやつだ。
家族、親戚、友人など周りからは相当な非難を浴びたが全く後悔はなかった。
そのくらい『先行一車』は儲かった。
もちろん先行一車だからと言ってなんでもかんでも買えばいいわけではない。
KEIRIN.JPの番組表で先行一車という表記をよく見るが私が追い続けてきた先行一車とは少し違う物である事が多い。
よく見かけるパターンはチャレンジ戦やA 級戦。
B本数は持っているが逃げの決まり手がほとんどない選手の先行一車番組は狙いにならない。
私の狙いに相応しいのは逃げの決まり手も捲りの決まり手もそこそこある選手の先行一車番組。
これがS級戦なんかになってくるともっとシビアになってくる。
そもそもS級なんていう階級は化物級の人間の集まりだし自力選手でない追込み選手でも貯めてのショート捲りくらいなら打てる選手がゴロゴロいてる事から差し目も必要になってくる。
競走得点で言えば稀だが先行一車の選手が他選手より5点以上上であれば狙いになってくる。
もっとも当時はマーク選手は2着が勲章のような風潮もあったし差し目も必要なく、そこまでシビアに考えなくても配当がそこそこあったため先行一車は本当に儲かっていた。
私は、早朝のスポーツ新聞で買えるレースを選択しては全国の競輪場に足を運んだ。
場所によっては新幹線を使うようなケースも珍しくはなかった。
今の時代のような三連単、三連複と言った賭式はもちろんニ車単、ニ車複、ワイドなどの賭式もなく枠のみの賭式しかなかった頃だ。
この枠のみでしか購入できなかったと言う点がおそらく私に天運をもたらしていた。
私は先行一車、筋の1点買いのみで配当は200円を切る事ももちろんあったが今の時代の本格的な先行一車番組だと2車単で160円そこらであろうレースが当時は平均して200円後半はあったように記憶している。
二車単、二車複の賭式は95年〜98年にかけて全国の競輪場で導入されたのだがこの時は配当には大きな変化は感じられなかった。
それが三連単、三連複の賭式が導入され始めた2001年の年末頃から先行一車番組の配当に旨味がなくなっていく事になる。
それはおそらく例えばだが枠での賭式でしか購入できないのであれば穴派の人は枠販売の中で穴を購入するしかない。1つの賭式の中で寺銭25%を引かれた残りの75%を購入者で奪い合う形になるので穴派がいればいるほど本命筋の配当は上がる。
三連単三連複の賭式の導入により穴派の人達の大多数がそちらに流れていってしまったのだと私は考える。
穴派が抜けて行く事で2連勝式に残った私の様な本命買いの割合が大きくなり結果、配当が下がる事に直結してしまったのだ。
先行一車頭固定で考えられる2着のおおよそは筋の番手選手か飛びつきで筋の番手選手をどかした選手になる。
これは回数を重ねれば圧倒的に筋で決まることの方が多いのだが問題は配当である。
筋で追い続けても配当が200円もないのであれば負けはないものの外れる時ももちろんあるためそこまでの旨味はない。
食っていけない事はなかったが割には合わなくなっていたし当時のドットコムバブルに上手く乗れた事で蓄えもそれなりにあったため、私は約22年に及んだ先行一車投資から身を引いた。
つづく
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