見出し画像

間に合わなかった人がいた

あれから12年

2009年4月22日、1枚のファックスが我が家に届きました。
私たちが要望していた抗がん剤リポソーマルドキソルビシン(ドキシル)が承認されたという知らせでした。

画像1

ドキシルを求めて私たちスマイリーは署名活動を展開。
2007年4月に署名2万8603筆(署名活動2ヶ月半)、2009年1月に署名15万4552筆(署名活動1ヶ月半)もの署名を提出。

画像2

署名15万人分ともなると段ボール箱9箱、重さにして150キロ。
我が家にある荷物運搬用の台車では重すぎて運べず、当時密着取材してくださっていた日本テレビさんに機材運ぶ用の台車を貸していただきなんとか厚生労働省まで署名を運ぶことができました。
(上に貼っている”がけっぷち。”は大好きな漫画のシーンから。ただ本当にここで厚生労働省からいい答えが出なかったらこれまでの全てが無駄になるくらい思い詰めていた私の気持ちでもありました。)

ドキシルの承認の裏には18万を超える署名を書いてくださった皆さまと別添えでおよそ20名の婦人科腫瘍専門医の先生方のお名前も並んでいました。
「自分たちもスマイリーを同じ思いだと厚生労働省に伝えて欲しい」
「いま受け持っている患者さんにドキシルが必要だ」

大学病院の教授やがん専門病院の婦人科部長の先生などがスマイリーの言っていることは正しい、卵巣がん患者を助けるにはこの薬が必要なんだという文書を連名で出してくださったのです。

他にも何度も予算委員会や厚生労働委員会でドラッグ・ラグの問題を質問してくださった国会議員さん、ドラッグ・ラグの現実を知ってもらいたいと講演を企画してくださったみなさま、ブログで呼びかけたりライブ会場で署名を集めてくださったロックバンドPERSONZの皆さん、ホームページにバナーを張り卵巣がん患者さんを応援して欲しいと呼びかけてくださったアーティストの鈴木トオルさん、取材してくださった数えきれない媒体の記者のみなさん・・・関わってくださったすべてのみなさまの後押しのおかげで承認への大きな風が吹いたのだと思っています。

ドラッグ・ラグの現実

スクリーンショット 2021-04-28 23.22.16

再発卵巣がんの治療薬として2006年の米国NCCNのガイドラインに掲載されていたドキシル・ジェムザール・ハイカムチンの3剤。
日本で承認されたのはドキシルが2009年4月、ジェムザールとハイカムチンは2011年2月(保険適用前倒しが認められ2010年8月から使用できた)でした。

ドキシルは10年、ジェムザールは5年、ハイカムチンは15年ものドラッグ・ラグが起きてしまいました。

世界の卵巣がん患者が再発したときに当たり前に使われている(標準治療の)抗がん剤が同じ卵巣がんなのに日本で使えない現実。
これは再発卵巣がんと向き合う多くの患者さんの尊厳を傷つけました。

外来化学療法室で隣のベッドから声が聞こえる・・・。
「ジェムザール打つと体がだるくなるんだよねぇ」と看護師さんに愚痴を言う肺がん患者さんの声。
「私はジェムザールを打ちたくても卵巣がんに承認されていないから打てない!隣の人の点滴を引きちぎって自分に打てたらと何度思ったか!」
悲鳴にも叫びにも近い電話の声を私は一生忘れないと思います。

またドキシル承認を心待ちにしている患者さんがいました。
その患者さんは2009年の1月にはかなり病状が進行しており腫瘍熱に悩まされるようになっていました。
「生まれてくる孫に会いたい」というのが彼女の夢でした。
彼女は活動を心から応援してくれていました。
署名用紙を数えるときも、お願いのお手紙などの封筒詰も片道1時間半かけて我が家まできて黙々と手伝ってくれました。
お昼には彼女が買ってきてくれたおいしいお弁当を食べてたくさん語り合いました。
「片木さんからいろんな薬の情報も聞けて病気の相談もできて最高に前向きになるのよ」
ときには朝9時から18時ごろまで作業していてへとへとになっているのに彼女は疲れた顔も見せずにいつもそう言ってくれました。

4月22日、承認のファックスを手に取り「なんとか間に合った」と思ったら彼女からメールが来ました。
「がん性腹膜炎からの腸閉塞で入院しました。」
「主治医はもう体が弱っているからドキシルの治療は無理だと言います。」
「なんで?私はドキシルのために頑張ったじゃない!」

スマイリーの会員専用SNSで間に合ったと沸く仲間の声を彼女はどんな気持ちで見ていたのか・・・。
でも彼女が怒りをあらわにしたのは私の前だけで、会員さん達には入院していることすら言いませんでした。

しかし治療ができない悔しさからか、彼女は主治医が止めるにもかかわらず高額な自由診療を始めてしまいました。
どうしても、なんとしても治りたいというのです。
私は彼女の家に向かいました。
私の声も彼女には届きませんでした。

匿名掲示板などで私の悪口のひとつとして「私が意に沿わないインチキ治療をした患者さんの家に乗り込んでまで止めようとするなど過剰な行動をとっている」と書かれているのはこの件だと思います。
(煽るわけではありませんが12年も前の話をよく覚えてくださってるなと)

私は彼女と患者会の雑用で多くの時間を過ごして、がん友達としての思いもあったため行きすぎた行動に出たのは認めます。
でもやっぱり多くを語り合った仲間だからこそ辛かった。
ただ、今なら絶対同じ行動は取りません。
インチキを私は絶対推奨はしないし、絶対に良いものと思わないけど、生き様は患者さまそれぞれのものだと思うので。

そこに治療があるのに・・・どんなにつらく悲しかっただろう。
あと1日早く承認されていれば・・・・
私にもっともっと力とか能力があったら・・・・

そんな「たら」「れば」で亡くなった命は帰ってきません。
そしてドキシルなどドラッグラグとなっていた治療薬が承認されていても彼女がたちが本当に助かったかなんて誰にもわからないのです。
でも4月22日にはその思いで胸が痛む自分がいます。
一番の喜びの日かもしれませんが、一番の自分の無力さを恥じる日でもあります。

エピソードに出した患者さんだけでなく多くの患者さんが薬の承認を待つことができませんでした。
その患者さんたちを思う日に4月22日はなっています。

薬が承認されてから

スマイリーの当時を知る仲間たちからドキシルを打つときに赤い点滴ボトルの写真が届くようになりました。

「みんなの想いが詰まったドキシル打ってくるね!」
「きっときっと効いてくれると祈ってるよ!」

そんなやりとりが何度となく繰り返されました。

そんな時代のことを知らない患者さんたちにもドキシルは届いているわけで、副作用の相談や効果が見られなかった話もたくさん耳にしています。

夢の抗がん剤ではないことは治験の頃からわかっていました。
アメリカのガイドラインを見たら奏功率は載っていました。
それでもいのちが助かるかもしれない。
1日でも長く生きられるかもしれない。
その間に孫に会えるかもしれない。
その間に子供が成人するかもしれない。
たった1日、されどそれは患者さんにとっては貴重な1日なのかもしれない。

私はそう思い毎日のように厚生労働省に運び頭を下げたり、国会議員に陳情に行っていました。

最近になって2008年のがん患者さんが10年後に生存しているのはどれくらいかといったデータが公開され報道されました。
卵巣がんはまだ当時は2番目のガイドライン(2007年版)が出た頃で、まだドキシルも承認されていない時期のデータです。

その後、卵巣がんにはドキシル、ジェムザール、ハイカムチン、ペプシド、パクリタキセルの毎週投与法、アバスチン、リムパーザ、ゼジューラ、キートルーダ(MSI-Highの遺伝子変異)など治療の選択肢が増えました。
それで生存率が本当に延びたのか。
ドラッグラグ解消にスマイリーが動いたことは本当に卵巣がんのいのちを救ったのかはここからさき長い時間をかけて10年生存率が上昇していったら良かったことだったのだとわかるのだと思います。
まだまだ自分たちが正しかったのかわかるまで先は長いです。

やっぱり私たちがドラッグラグ解消をと呼びかけた薬には多くの待ち望んだ患者さんの思いがあるだけ私にも思い入れがあります。

どうかこれらの薬が、卵巣がんと向き合う患者さんの支えになってくれることを日々祈りながら患者支援を続けています。
そして私は生きている限り間に合わなかった仲間のことを忘れることはないのだと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?