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『べにの会』「常磐津」と「現代演劇」を結んで 〈第5回〉にて、常磐津「墨ぬり女」日本舞踊版と現代演劇版を観る。

関西伝統芸能女流振興会による、常磐津と現代演劇の融合を通じて、改めて、伝統芸能の面白さを解き明かしていく『べにの会』。道頓堀〔中座くいだおれビル〕地下にある〔ZAZA〕で、ポスターやチラシを見かけては、常磐津勉強したいな、行きたいな、と思っていた。やっと、いけた。会場の〔ZAZA POCKET`S〕は満員。夜七時、開演。

配られたプログラムによると、今日の副題は「日本舞踊の神秘の美しさを探る」とな。

司会進行の、元『上方芸能』編集長の広瀬依子さんより、トークの間は、写真撮影OK、このご時世ですので、拡散のほど、宜しくお願い致します、とのこと。

左から、司会の広瀬依子さん、現代演劇版担当の「エイチエムピー・シアターカンパニー」の森田祐利栄さん、日本舞踊版担当の花柳都弥葵さん、そして、常磐津美佐希こと関西伝統芸能女流振興会代表・向平美希さん。

今回の「墨ぬり女」は、あまりメジャーではない曲で、都弥葵さんも、今回の話を聴いた時に、初めて観たそうな。

向平「墨ぬり女を選んだのは、松尾塾で指導を受けた一巴太夫さんから、子どもがやっても面白い演目だ、と聴いていましたので、選びました」

その割には、上演される機会が少ないのは、

都弥葵「字の如く、墨を使いますので、所作台やお衣裳に着くので、掛けにくい作品かな、と思います」

現代演劇担当の森田さんも、勿論初めてご覧になられて、

森田「『べにの会』第二回の時に釣女をやりましたが、構成はよく似ていますね。身分ある男性と、女性のお話で、失敗してしまう。その女性を、どういう風に捉えるか、で悩みました」
向平「現代にも通じる話だと思いました。でも、釣女は、現代劇版も常磐津の詞章でいきましたが、今日はガラッと、森田さんに変えて頂き、私が思う「現代版」になりました」
広瀬「エイチエムピー・シアターカンパニーの作品としても、新鮮でした」
森田「現代にも通じる話ですが、現代の、日常のものは、現代演劇はいくらでも広げられるんですね。感情とか。それを、墨ぬり女として、どう表現するか。心的要素をどこまで現代演劇として追求できるか。その、オトシドコロが難しかったです。抑制、ですね」

都弥葵「今回、子ども歌舞伎版と、大人がやっている日本舞踊版、それと台本を参照して、今回オリジナルのものを作りました」
その、花柳都弥葵版を、向平さんが見て現代口語にした本を、森田さんがブラッシュアップしたのが、エイチエムピー・シアターカンパニー版として作りました、と、森田さん。
向平「現代口語の自由度が高いので、それがどこまで広がっているのか、そこも楽しんで貰いたいです」

広瀬「先ほど、都弥葵さん、台本とおっしゃいましたが、日本舞踊にも台本はあるんですか」
都弥葵「はい、あります。墨ぬり女は、狂言舞踊という分類に入ります。元になった狂言の墨塗も観ましたが、狂言は音楽はなくセリフばかりです。舞踊の墨ぬり女は、セリフも音楽もあります、普通、舞踊はセリフは無いのですが、今回はたくさんあります。タイヘンでした。狂言舞踊ならでは、です。今も時々セリフを口走りそうになっております」
広瀬「現代演劇の俳優さんは、セリフを体で覚える、と言いますが……」
森田「カラダに着いた方が言いやすくなる、とは思います。動きと連動している方が、入りやすいし、覚えやすい」
都弥葵「私たちは、まず、セリフだけの稽古から始めました。その後、動きを付けていきました」
広瀬「動き、でいうと、同じ花柳流で、同じ曲でも、お流儀や師匠によって違う、ということなんかはありますか」
都弥葵「同じ流派でも、師匠によって違うのはありますね」
森田「現代演劇は、俳優に委ねられているので、型というものが無いんですね。この演目で、この時の目線はこっちからこっち、のような」
都弥葵「日本舞踊は、目線は決まっていますね。でも、何かを指す時、とかで、そちらを見る感じです。
今、自分を振り返ってみますに、師匠からそう細かくは言われませんでしたね。お師匠さんと同じ動きをする、というだけで。あとは、ハイあの照明を見て、とかで」
向平「同じような振付でも、状況で全く変わるので、全く同じ目線というのは無いかも知れません」
森田「『べにの会』で、見比べるがテーマだった時、現代演劇には、演出家や作家などが分業していますが、お話を伺っていて、それら全てを、お師匠さん、が担っているんだな、と思いました」

と、ここで、目線の話が出たので、日本舞踊の型について。
森田「現代演劇は、メソッドはありますが、型は無いですね」

都弥葵さんによる、扇の使い方。
「閉じた状態で棹・煙管ですね。一つ開けて手紙、お髭になったりします。全部開けたら、物にもなるけど、こうヒラヒラして雪、末広がりにして山、霞、開く様子を見せてお花が咲きました等自然現象を表したりします。
この後、墨ぬり女にも出てきますが、お酒ですね、一つ開けて傾けてお酌、くるっと回してそれを受ける方に変わったりします。大きく開けて注ぎますと、盃で受けます。太鼓になったり笛になったり大鼓になったり」
森田「現代演劇ですと、それらは小道具、か、マイムですね。マイムの時は、落語家さんのを真似したりしています」

広瀬「自分を指す時にも、違いがあるそうですが」
都弥葵「女舞ですと、人差し指の、甲を自分に向けて指します。この位置が高いほど、若い女性。年を重ねていくほど、位置が低くなります。で、お婆さんは、手の平を自分に向けます」
広瀬「袖の中に手を入れるのは」
都弥葵「イレ袖ですね。あとは、ツキ袖、モチ袖」
森田「感情表現、ではないのですか」
都弥葵「感情表現ではないです。イレ袖の状態で構えることがありますが、これも、高い位置は、若い女性です。墨ぬり女に出てきます花野は、中くらいですね」
広瀬「お婆さんになると」
都弥葵「特には無いですが、そうですね、イレ袖を両方前で組むかも知れません」
広瀬「こういった事を習うには、段階があるのですか」
都弥葵「曲ごとに、一緒に習っていく感じです」
森田「現代演劇も、人間を表現するので、座るのでも前屈みとか椅子に踏ん反り返るとかで、どういう声を出したらよいか、は考えます」
広瀬「この演目でこのシーンはこの格好で、というのは」
森田「無いですね」
(但し、過去の名演を踏襲することは、最近ある、そうな)

広瀬「古典は、型から理屈を割り出す。現代演劇は、理屈を考えてから形を作る。という話を聴いたのを思い出しました」
森田「その人物たちの関係性や、舞台はどこでいつなのか、朝なのか夜なのか、などは、作家によーく聴きます。ただ、エイチエムピー・シアターカンパニーは、現代劇の中でも、ストップモーションを使って、その最中にセリフを言う時もありますので、少し舞踊には近いかな、とい思います」

その後は、都弥葵さんによる舞踊に於ける、立つ・座るの実演があった。

広瀬「トークのコーナー、最後になりますが、次回3/14日の『べにの会』は、山姥を取り上げます」
都弥葵「名取の時の課題曲でした。高校2年の時ですが、難しくて。母としての心情ですね、それが理解できず、師匠から言われたのを守って、踊りました」
広瀬「年齢を重ねた方が沁みてくる演目ですね」
向平「森田さんに、まず候補として10曲ほど、ストーリーと解説を見せて、で、これを選ばれました。親としての心情、などが説明には書いていたのですが、森田さんは「この作品を残すことで、他にも残したい思いがあったのでは」とおっしゃいました。
私には、これはそういう曲だ、としか捉えていなくて、稽古していくうちに、山姥の年齢などを考えていっていましたが」

と、次回予告が入ったところで、一旦休憩。

10分間の休憩ありて、いよいよ「墨ぬり女」。

まずは、古典版。
語ります太夫、では、義太夫になるけど、浄瑠璃、は先ほどから登壇されていた向平さんこと、常磐津美佐希。三味線、常磐津三都貴。

福徳万之丞・さつき秀富美、太郎冠者・花柳女雛、そして花野・花柳都弥葵。広瀬さんより紹介あって、幕が開く。

プログラムより粗筋を紹介する。

大名が都での訴訟ごとを無事に済まして国許(本国)へ帰ることになりますが、深く馴染んだ愛妾花野の所へ別れを告げに出かけます。花野は別れを惜しんで掻き口説き号泣しますが、実はこの女性は…。

続いて詞章を、と言いたいのだが、残念ながらそれは配られず、また、勉強不足で用意しておらず、耳で取ったのを適宜記す。口上左様。

昔を今に筆のあと。今も昔の風俗の姿も伊達な…。と始まって、万之丞が出てくる。青い御着物。太郎冠者を呼び出す。太郎冠者は、黄みがかった御着物。かくかくしかじかあって、花野の家に。花野は桃色の御着物。

嬉しいとしなだれかかる花野、訴訟がめでたく収まったから舞えと言われて舞う太郎冠者、〽ちんちんかもの、どんどんどんつくつ(この三味線が面白かった)、笛や太鼓でおもしろ。

花野「一緒に暮らせますね」
万之丞「それが、国許に帰らねばならぬ」
花野「えええ。いとしい殿御と思うたに
〽その、なれそめは、こぞの夏、夕だちが仲立ちに、軒端に入りし御方は、光る源氏の……まづはご縁の…」
と、よよよと泣く。近いうちに必ず来るから、慰めに身共も舞おう、と万之丞が舞う。

この時、太郎冠者は酒器を片づけに下手に。が、その時。茶ァで顔濡らす花野を見てビックリ。何とか主人に伝えようとするが、慰めの舞に陶酔している万之丞には届かない。こっちから見ろ、というのにうまく隠す。
「あれほど水を付けているのに、気付きませぬか」
花野「今日はなぜアチコチ行かれます、ここにいてくださいませ」

太郎冠者、ハタと膝打ち、背中を向けて墨をする。

〽潮路はるかなお国許、あとに残りし憂き思い

クドキのうちに、墨と茶を置き換える。
と、まあ、あとはお定まり。万之丞ビックリ、手鏡見せられ花野は怒る。笑い転げる太郎冠者。
〽花に嵐の一吹きは、散りてめぐるや墨ぬりの
筆を持って二人を追いかける花野、覆いかぶさるようにして花野、まずは旦那に泥鰌ヒゲ、続いて太郎冠者に泥棒ヒゲ。逃げていくところで、テンツルテンの三味線で、幕。25分ほど。

広瀬「如何でしたでしょうか。皆さん女性で、衣装をつけなくても、手や足の格好で、男性役であると分かりましたね。これが型ですね。では、続いて、現代劇版です」

福徳万之丞・水谷有希。太郎冠者・高安美帆。花野・原由恵。常磐津は引き続き、美佐希・三都貴。

客席暗くなる。と、客席後方より、スマホで話しながら通路を歩いてくる。
「おいおい、太郎、いま何処にいるん」
と、明るくなって、反対側の客席通路にパソコン作業のマイムをしている太郎、「お疲れさまです。今会社です」
「実はな、地元の支社にようやく帰れることになってん」
「おめでとうございます」
「その前に、アイツ、どうしようかな、思て」
「ああ、アノ人には、ちゃんと言うといた方が」
「せやわな、ほな今からいくぞ、一階におるから早よ来い」
「え、ボクも行くんですか」
てな、やりとりがあって、客席前方で合流する二人。ここは道頓堀らしく、向かう先はドンキの近くだそうな。この間、三味線はメリヤスを弾いている。お客さんに道を尋ねたりしていると、幕が開く、舞台には酒場のようなテーブルが置いてあり、だらしなく座って呑んでいる女性がいる。二人が舞台に上がると、客電は再び暗くなる。

その後の運びは、同じ。上司と部下、というより、家来のような太郎。祝いになんかカラオケ歌え、リモコン、ピッ。と、それキッカケで、常磐津の演奏になる。が、太郎冠者は歌詞の当て振りをしていたが、この太郎は「カラオケを歌う」マイムに終始。

いよいよ本題。昇進してん。やった!良かったね。で、国許に帰るねん。え?昇進したら結婚する言うてくれてたやん。うん、でもそれやと重婚になって。エー!ちょっと待って!待ってるよ。そういう事、言うてなくなくない?どっち、どっち。

てな痴話ケンカ。耳に堪えぬほどの、今様さ。世相を映して、の、軽さ。男女ともに。
ただ、この軽さが、福徳という男が、あまりにも急に、花野ちゃん可哀そうという流れになって、怖さがあった。慰めに歌い出す福徳、カラオケ、ピッ。常磐津の演奏になる。福徳もまた、カラオケのマイム。
ここで、ウソの涙の件になる。

「ボク見ました。あれウソの涙です」
「可哀そうなことしたなぁ」
「聴いて下さい」
「可哀そうなことしたなぁ」
「アホなんですか」

太郎、妙案をひらめき、懐中より取り出したる万年筆のインクを入れる。あとは、同じ様に。違うのは、手鏡でなく、福徳が花野の黒い顔をスマホで撮り、それを見せていた。ここのドタバタへの運びがだいぶんと早い。

同じ様に、と言えば、ドタバタの間、〽ちりてめぐるや墨ぬりの、で、日本舞踊版と同じ様な掴み合いになり、「極まった」瞬間を見せた。15分ほどで幕。

もう一度、全員登場される。日本舞踊チームも、墨をつけたままで、笑いが起きる。
広瀬「皆さん、墨をつけたまま、で、心配されているかと思いますが、ご安心を。これ、墨でなく、泥パックでして、置いといた方が良いのです」
に、皆また笑う。

一言づつ、感想。印象に残ったのは、
向平「演奏のキッカケが、古典は判りますが、現代劇は判りにくいので、入念にしました。リモコンのピッがキッカケで、ちゃんとこちらにリモコン(これもマイム)向けて下さるのが、面白かったです」
森田「現代劇に合うように、詞章を短くしてもらったり、削ってもらったり、無理を言いました」

改めて、次回、常磐津と現代演劇のコラボ、最終回「山姥」の告知され、八時四十分、終演。

現代演劇版と日本舞踊版での、上演時間の変化が面白かった。
今回は、ショートコント風になりました、と森田さんがおっしゃっていた。
元が笑いを以て内容とするものだから、日本舞踊版はそこはかとなくおかしみを、現代劇版はセリフも展開もドタバタしても許されようが、次回の山姥は、さて、どれだけ、重みを持たせられるのだろう。

向平さんの、曲として捉えていました、の言葉。飯田蛇笏の「死病得て爪うつくしき火桶かな」に芥川龍之介がいたく感銘を受けた、という話を思出した。森田さんの、抑制、という言葉と共に。

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