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〔たつの市総合文化会館 赤とんぼ文化ホール〕での『古典芸能 京舞 人間国宝井上八千代公演』にて、井上八千代さんと、祇園甲部の皆さんの舞台を観る。

ここ数年のうちに開催された、京舞井上流の公演を、よく観て来た方だと思う。その中で、今回の『京舞公演』は、一風変わっていた。

2020年2月9日、日曜日。JRで大阪から姫路、乗換えついでに、〔姫路文学館〕で『生誕120年記念 俳人永田耕衣展』へ。回顧展と、書画骨董の耕衣コレクションを展示。

禅のイメージがある耕衣、神像が人間の姿かたちに準えてあるのに、無類の興味を覚えていたそうな。晩年よく口にしていた、孤独というエネルギー。「枯草の大孤独居士ここに居る」耕衣。

姫新線に乗って、本竜野駅下車。
ご当地は、童謡「赤とんぼ」の里。会場までの道すがら、

こういうのを見ながら、歩くこと30分。会場の〔たつの市総合文化会館 赤とんぼ文化ホール〕へ。

なぜか古印体。

会場ロビーには、都をどりの広告や寄付の案内もあった。席に着く。古典芸能と冠しているからか、高齢の方が多く、豪快な播州弁を聴けた。都をどり、金貯めてまた行こや。生きとるうちにな。お元気な、おばあさん。
昼3時、開演。

舞台下手より、井上葉子さんが登場。珊瑚色のようなお着物。
葉子「おおぜいさまのお越し、ありがとうございます。幕外におきまして、合間合間に舞に就いて、お話しさせて頂きます、井上葉子と申します。
あまり皆さんの前で話すことに慣れておりませんので、お聴き苦しいこともあろうかと思いますが、どうぞよろしくお願い致します。

さて。まず、はじめに、長唄の「老松」を観て頂きます。
お手元に、お配りしました歌詞があると思います」

一曲の歌詞と解説を、一枚に収めている。歌詞の語句をかいつまんで説明される。
葉子「途中途中で、井上流の特徴である、お能から取り入れられた型が見られます。
また、中ほどから、曲の調子が変わるところがございます。あ、変わったなぁ、と楽しんで頂けましたら。

今日は、祇園甲部連中による出囃子も、お楽しみ頂けたら、と思います。
それでは、
立方、井上八千代。
唄、小桃、ます穂。三味線、だん佑、君鶴。太鼓、○○。笛、○○。
老松、ごゆっくり、ご覧ください」

幕が上がる。金屏風。八千代さんは、黒の御着物で、裾に金で松の幹が描かれている。扇は、金地に松の絵がどっしりと。少し天に紅色が着いていた。どっしりと始まり、途中はくだけて。

一風変わった公演。それは、司会が着いた事。八千代さんが一番最初に登場された事。そして、この後、芸妓さん、舞妓さんの舞台が続いた事。

葉子「長唄、老松でした。唄の雰囲気がガラリと変わりましたが、お気付き頂けたでしょうか。
それでは、続きまして、小唄「子年春 春日萬歳(ねどしのはる かすがまんざい)」です。

この曲は、今年の干支、ねずみに因みまして、作られました。
男舞と女舞の「二人舞」で、御座敷でよく舞われる形です。
お正月に、お家の繁盛を囃し立てる、萬歳の型を元にしております。
楽しい、可笑し味のあるところを、楽しんで頂きたいです。

先ほどは長唄、そして今度は小唄と申します。その違い、ですが、小唄は普通は、爪弾き、と言って、爪で弾くのですが、今日は大きな会場ですので、撥を使わせて頂いております。駒も少し変えております。音色の違いも、お楽しみに。

祇園の芸妓の、おひきずりとカラゲの違いも、どうぞお楽しみ下さいませ。
それでは、小唄「子年春 春日萬歳」。
立方、まめ鈴、市有理。
唄、小桃。三味線、ます穂、君鶴」

扇は、金に白梅がパッパッと咲いている。歌詞がまず面白いので、終わって、フフフ、という感じ。

葉子「いかがでしたでしょうか。小唄の、コンパクトな面白さ、楽しんで頂けましたでしょうか。

さて、次は、上方唄「花笠」です。
歌舞伎などでお馴染みの、娘道成寺から採られております。今の時候にピッタリです。
両手にピンクの花笠を持ちまして、かいらしく、お座敷でもよく舞われます。上方唄特有の、弾き唄いで聴いて頂きます」

上手から、玉子色、紫、常磐色の着物を着た舞妓さんが並ぶ。色合いからして、「かいらしい」華やかさ。笠についた鈴が、かすかに会場に響く。

幕が下りる。これより、休憩です、今しばらくお待ち下さいませ、とアナウンス。3時半から、10分ほど。

10分間の休憩ありて。
第二部開演を知らせるブザーが鳴る。葉子さん、下手より登場。
「続きまして、京舞について、という、大きな、ざっくりしたテーマですが、お話を聴いて頂きます。30~40分ほど、予定しております。途中で、舞妓、芸妓も登場致します。では、お家元、よろしくお願い致します」

幕が上がる。八千代さん登場。紫の御着物、だったと記憶している。床几があったが、腰掛けず、舞台真ん中まで出て来られ、

「八千代でございます。こんなに来て頂いて、夢のようです。初めて、伺いました。
竜野というところは、父の謡のお弟子さんが、竜野から来てはる人がいましたんですが、何を勘違いしてたのか、和歌山県やと思っておりました」
客席大笑い。下世話に云う、ツカミはOK。飾らないお人柄。

八千代「竜野という所は、お聴きしましたら、お素麺の産地やそうで、わたくし共も、毎年夏になりますと、毎日おソーメン頂いています。

今日は、芸妓、舞妓、一行で、バスに乗ってやって参りました。
京都は今朝、風花で、屋根が白うございました。
西の方は、雪で道がアカンのちゃうか、と思てましたが、来てみましたら、明るく、気持ちの良い天気で。ありがとうございます。

さて。京舞に就いて、分かりやすく、というのも、難しいんですが、歴史としましては、先祖は、と言っても血のつながりはございません、井上サトという人で、お江戸の方ですが、滝沢馬琴、お相撲の雷電、十返舎一九、山東京伝といった方方と同じ時代の人でした。
京都に、錦市場という、大きな市場がありまして、今はもうイートインばかりになりましたが、まぁ築地市場と同じく賑やかなとこでしたが、サトは、錦市場に嫁ぎました。けれど、やっぱり舞がやりたい、ということで、舞を始めたそうです。子どもがいませんでしたので、姪のアヤに二代目を継がせました。
三代目八千代が、天保から昭和まで長生き致しまして、その時に、祇園との繋がりが出来ました。
明治4年、都が東京に遷り、京都がさびしくなってしまいましたので、附博覧と言いまして、博覧会の余興に何か、という話になりました。
そんな揺れ動いた時代に居合わせた三世八千代、まだ30代だったのですが、三世に白羽の矢が立ちました。
そこで、伊勢の方の、古市という遊郭でやっていた、亀ノ子踊りを参考に、都をどりを考えました。当時の亀ノ子踊りは、団扇を持って踊る、廓の女性の顔見世みたいなものでした。都をどり、最初の年は、貸席の松の家で開催されまして、翌年、歌舞練場が出来ました。最近は悪いニュースで目立っております、流行り病でヒッソリしています花見小路の反対側にございます。

お茶屋さんの力が大きかったんですねぇ、お茶屋さんと府が話し合って「町を変えていこう」と考えていったんですねぇ」

京都新聞編集局編『京舞』(淡交新社)。この辺りの話を、四世八千代が振り返っている。井上流と、今も続くメディアとの強い繋がりに興味がある。

八千代「祇園の歌舞練場から少し離れた所に、八坂神社がございます。観光の方で賑わう、今はマスクした姿で、ヒッソリしていますが、八坂神社の祗園舎、私共は「祇園さん」と言うています。
その、祇園舎の茶点て女が、やがて音曲をするようになりまして、廓に発展していきました。どこかでご覧になったと思います、紅い提灯につなぎ団子の模様。これは、官許の廓のシルシです。

私どもは、祇園のお蔭で暮らしています。祖母、四世八千代は、祇園の近くの、新門前で暮らしているのが自分のスタンス、立ち位置である、と思っていたようであります。
舞妓さん達の中にどっぷり入るのではなく、祇園を眺めながら、仕事をする、感じです。

京舞は、取っつきのエエもんではないです。おめでた尽し、ストーリー性の無いものが、得意な流儀です。
今日は、敢て、御座敷のものを多く観て頂きました。舞っていたのを立方、演奏していたのを地方と言いまして、地方さんが大事なんです。立方をしている者も演奏に回ることがございます。
祇園甲部は、一つの劇団である、とは言いませんが、祇園というグループでやっている、そこに私らも交ぜてもらってるようなものですね」

八千代さんが仰有った、井上流は、おめでた尽し、ストーリー性が無いのが得意な流儀。
そういえば、以前、澪の会で「井上流には、動物のものが殆ど無いです」と仰有ってらした。擬人化するには、物語がいるからか。おめでた尽し、という言葉で、耕衣の「神像が人間の姿かたちを準えている不思議」を思出した。

八千代さんのお話後半は、今日ご出演の芸妓さん舞妓さんも呼んでどんちゃん騒ぎ、では無く、八千代さんらしい、盛り上げ方で進みます。
ちょっと休憩。

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