助けを求めて延ばした腕を掴んでくれる人がいるだろうか

答えは簡潔に「いません」だ。
勿論、「私には」と限定のことだが。

大多数の人は「いる」と答えるだろう。
救済の手がさしのべられるかの予断はなくても、奇跡を望むものでも、もしもに賭けるにしてもだ。

しかし、否定性の沼に囚われた身には101回目の跳躍を断念した蚤のように一縷の望みにすら期待を抱くことはない。

どん底の更に底を掘ることの一発逆転もない自己責任はどこまでも凡庸器官を繰り返す。
反復の甘味は一切ない。

ふたりで騙り罠に嵌めて銭をタカる。「お前」呼ばわりの宿業の悪意で染める。

欲の深い手を握り潰す握力を待ち続けつる。