大人達に褒められるようなバカにはなりたくない
「不登校」まずこのネーミングセンスからしてよろしくない。
登校するのが当然でできないヤツは非国民とでも言いたげなこの字面がよろしくない。
さて先日「不登校から高校生社長へ」という何ともアナーキーな書が出版された。
なんてロックがロールしているんだと平野ノラのようにおったまげた。
確かに学校はコスパがいい。そして厳選されたコンテンツ性はそこまで悪くない。
ただ、平均的な人間を大量に供給する事に特化しすぎて、多様性こそが生存戦略となった現代においては、機能不全に陥っている部分もある。
そこに無理して合わせる必要はそこまでない。全ての教育は洗脳である論を少しソフトに言うとこうなる。
が、しかしである。
現実問題として、普通に通学する事に比べるとある程度のハンデを負ってしまうのも事実。ホリエモンならこんなん気にする方がバカ、とでも言いそうだけど、残念ながら通常の人間は心臓に毛が生えていない。
そこをどうすり抜けるか。これはもしや次世代のスタンダードになるのではというちょっと過激な攻略法が書いてある。
氏の面白いところは、普通だったらこの社会の理不尽さに屈してしまいそうなところを、あの手この手で知恵を絞って理論の穴を見つけては上手いこと突いているところにある。
かなりの勢いで炎上した奨学金資産運用論の衝撃は記憶に新しいが、遊戯王カード転がしやら定時制高校からの受験突破の話題を聞いていると、もしかしたらある程度の型のようなものがあるのかも、と感じられる。
やっぱ天才だったのかよ。凡人に勝ち目は無いのかよ。
と、スネていても芸が無い。
何とかそのスキルをインストールできないかと翻訳こんにゃくしてみる。
真っ正面からぶつかっても敵わなそうな相手がいたら、勇敢に立ち向かって玉砕するのではない。
どこかに抜け道があると必死で探し、ロジックの綻びを見つけては、徹底的にそれを上回る論理の積み上げで崩して行く。
押してダメならハッキング。
要するにこの柔軟さと勝ちへの執念、それと勝負を楽しむマインドだと思う。
こうして読んで、実際に話を聞いてみると、学校に行くか行かないかなんてものはただのオルタナティブでしかないだと実感する。
率先して不登校になるべき、とまでは言わない。
何か楽器を習得するとき、誰かに習うのと自分で調べて練習するのとどっちがいいのか。
そんなんどっちでも大して変わらなくて、どんだけ個人練習したかの方が重要じゃないか。
学校に行くというのもそんなレベルの話になる未来が来ればいい。
ほんの数十年前、エレキギターは不良になるので禁止、と生徒手帳に書かれていた時代があった。今ならもうオカルトレベルのありえない話だろう。
「Futoukou」、そんなありがたくない言葉が海外に輸出されてしまう前にこの言葉は滅びてしまう事を願う。
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