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無人島貸切から5年〜私たちの旅が本になりました

ミクロネシアの無人島を貸し切ってから5年。
今日、私たちの旅が本になりました。

JEEP島の旅は学生メアリーがリーダーとなって全国から学生を集めた。学生に交じって一人引率の先生のように俺は同行した。後にも先にも、1人の学生が参加者を集めて満席にしたのは、この旅だけだ。

『これが世界の見方が変わる旅だ!
:〜ミクロネシアの無人島〜JEEP ISLAND編』中村伸一


5年たった今、想うことを綴っていこうと想います。


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↑ kazumaに撮ってもらったこの写真、
その後5年にわたっていろんなアイコンに使っていたんだけど
「盛れすぎ!」と言われ続けたよ。奇跡の1枚。笑


↓ みくが作ってくれた動画


隊長との出逢い


隊長との出逢いは2015年の2月で、
当時所属していた就活ゼミの長、森吉弘さんの紹介だった。

確か 一緒に旅をしてみると いいよ、とか
そんな感じだった気がする。


東京のお店で隊長と初めて話したとき、
「こんなキラキラしたおじさん、いるんだな」と思った気がする。


隊長から、JEEP島の話を聞いて、
私はワクワクが止まらなくなった。


そうして私は、口走ってしまった。

隊長が一緒に来てくれるなら、
わたし、13人の学生集めて、定員15人満席にします!

そんなこと簡単にいうもんじゃない。
私はこの後、自分でしたこの宣言に 何度も涙することになる。


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本当は存在しないんじゃないか?とさえ思った。


ミクロネシア、太平洋にある直径34mの島、JEEP島。
ヤシの木が13本生えていて、まわりはサンゴ礁、
まさに絵に描いたような夢の島。

島の定員は15人。
2015年2月、19歳の私はこの島を貸し切ると決めた。

はじめてHPを作った。
専用のSNSアカウントも開設した。
チラシも作って掲載許可のために頭を下げた。

500人以上の友達一人ひとりに声をかけた。
「シェアしてほしい」

でも、誰ひとり、集まらなかった。

『授業サボってなんて無理』
『大学生に30万なんて、高すぎる』
『まりーさんも行ったことないんですよね?』

誰も YESと言ってくれなくて
“あの島は 本当は存在しないんじゃないか?”
そんな疑問さえわいてきた。

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でも、諦められなかった。


隊長に集めるって約束したから。


学校と家とバイト先の往復になっている人に、
幼い頃のワクワクを思い出してほしい。

スケジュールに追われて 日々を消費している人に、
夢中になって遊ぶ感覚を取り戻してほしい。


そんな想いで、私は発信し続けた。

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無料にしたくなかった


交通費も合わせると、参加費は30万円くらいだった。
社会人になった今なら30万円は まあどうにか準備できる額。


だけど、学生にとっては、それはそれは大金だった。

なのに みんながそれぞれ30万円準備してきた。今考えてもすごい。

それだけの大金を払ったからこそ、全員が
「全力で楽しもう!!!」と強く思えたんだと思う。


誰も集まらなくて落ち込んでいたとき、誰かに提案された。

クラファンとかで資金を募って、参加者は 無料で行けるようにしたら?
そしたら 集まると思うけど・・・


私はそれは 嫌だった。


もし、これが無料でいける旅だったら

「まぁ 無料だし こんなもんか」とか
「仮に 微妙だったとしても損はしないし いっか」とか

そう思って、自ら全力で楽しむことをやめてしまう人が
現れる気がしていたから。


人は、

100円のものには、100円の価値しか期待しないし、
1万円のものには、1万円の価値を期待する生き物だ、

と私は 思う。



そして、
払った金額が高ければ高いほど、
「損をしないようにしなきゃ!」「元を取らなきゃ!」
そんな気持ちが働いて より能動的になって行くと思う。


「払った金額と、自分が受け取れる価値は比例する」

当時の私はそんなことを考えていたし、
今でも あながち間違っていない気がする。

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無人島の話をするのをやめた。


出発まで半年きっても 誰一人集まらなかった。


それでも ジープ島に魅了されていた私は、会う人会う人にジープ島の魅力を語りまくった。


無人島、ヤシの木、ココナッツ、WiFiなし、シャワーはバケツ一杯、カラフルな魚、野生のイルカ、、、


「素敵でしょ???めっちゃ良くない?」

『そうだね。でも高いかな...』

「最高じゃない!?!?」

『綺麗だねえ〜〜〜(そこで終わり)』


こんなに魅力的なのに、、、どうして伝わらないんだろう???

なんで、行きたいって思ってもらえないんだろう?


誰も 反応してくれないことに悲しくなって、
一週間くらい 発信をやめた。私は 音信不通になった。


もう無理だろうな...と諦めかけた、ある日気づいた。

「ジープ島に行きたい」じゃなくて
「應武茉里依とジープ島にいきたい」
と思ってもらわないとダメだ、ということに。


ジープ島にいくだけなら、最悪1人でもできる。別の機会でもいい。

でも私といけるのはこのタイミングだけ。


だから

「應武茉里依と一緒にジープ島にいきたい!」
「應武茉里依と一緒に行くことに価値がある!」

そう思ってもらうことが何より大切なんだと理解した。



じゃぁ、そのためにどうするか?

私は「無人島の話」をすることをやめた。
「私自身の話」をするようになった。

自分が育った環境、しんどかった家族の話、私がジープ島に惹かれた理由、私がジープでやりたいこと...


HPの閲覧者は3000人を超えた。
メールでの問い合わせは150人を超えた。
直接話した人は50人を超えた。


ひとりひとりに丁寧に 私の想いを話した。


「この人との旅なら絶対楽しい」「ワクワクする」
そう思ってもらうために全力で語った。




そして、報われた。


ようやくひとりめの仲間が現れた。

「俺、まりーさんと一緒にいきたい。
 お金も日程もどうにかするわ」


想いが通じた。
ひとりめの参加が決まったときの嬉しさは今でも忘れられない。

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「わたしの旅」が「みんなの旅」になった


ひとりめが集まってからは

2人、3人と仲間が集まるようになった。

最小催行人数の7人が 集まり、中止の危機を免れた。
でも私が目指していたのは 満席の貸し切り。


残り1ヶ月の時点で残席は3
残り2週間の時点で残席は1...

さすがに満席はもう無理かな… そう思っていた時、


一番最初に参加を決めてくれた仲間が

最後の仲間を連れてきてくれた。


「私の旅」が、「みんなの旅」になった。

本当に嬉しかった。

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いざ、出発。


秋なのに、麦わら帽子をかぶって空港ではしゃぐ私。

お揃いTシャツで記念撮影をする仲間たち。

グアムの空港でようやく全員が揃った。
「はじめまして」
そう、ほとんどが はじめまして だった。


チューク空港について、水着に着替える。

車に乗り換えて ボコボコの道路をゆっくり進む。

そして、全員 小さなボートへ乗り込んだ。

水しぶきがすごい。

荷物をビニールで覆った意味を理解した。

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大して景色は変わらないのに、
たくさん写真を撮った。
波に揺られながら 大声で歌った。

全員のワクワクが止まらなかった。


「あ!!!あれじゃない?」


1人が指をさした。

『うおぉぉぉぉぉぉ〜〜〜〜』

興奮のあまり船が揺れた。気がする。

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本当にあった...


JEEP島を 見つけた瞬間、
私はそう呟いた。

今まで、自分で1回も行ったこともないくせに

「絶対 楽しいから!」と みんなを何度も説得してきた。

その裏で 
“本当は存在しないんじゃないか” と
ずっと不安だった。


集まらなくて中止になるんじゃないか…

と何度も何度も諦めかけた。

たどり着けないかもしれない…

ひとりで 涙を流した夜がたくさんあった。

その度に何度も何度も写真をみては、自分に言い聞かせた。



夢にみた島が目の前に迫っている。
自然と涙が溢れた。


これまでたくさんの場所を訪れたけれど
旅先に着く前に、涙を流したのは あの時だけだ。


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今だからこそできるお金の話


あのとき、みんなには言わなかったけれど、隊長からはこう言われていた。

満席にしたら めありーの参加費は無料でいいよ!

いわゆる幹事無料、というやつだ。
隊長が決めたのではなくジープ島の公式ルールらしい。


今なら理屈はわかる。
本来、集客にかかるはずだった人件費、広告費、販売促進費、などなどを
考えると、無料になってもおかしくない。


でも、私は拒否した。


みんながこれだけのお金を払ってくれるのに、
もし、私だけ こっそり無料にしてもらったら対等にならない。

みんなと平等でフラットでいたいから、
私の参加費は、旅を充実させる費用に充当してください。


そんなことを言った気がする。


そうして、私の旅費は、ココナッツパイになった。


あの選択に後悔はないし、
もし、また同じ場面が訪れても、きっと同じことをいうと思う。

ココナッツパイ、美味しかったな〜〜〜


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今だからできる 死の準備の話


野生のイルカと泳ぐ!それは それは楽しみだった。

出発2週間前、突如 疑問がわいた。

あれ、私シュノーケルやったことないけど できるのか?
ほとんどの人が、未経験のはず...
てか、泳げない人もいるけど大丈夫だろうか???

リーダーなんだし 少しでも余裕を持てるようにググった。
ちゃんと調べておこうっと。


すると 死亡事故がたくさん出てきた。


まじ?これ、死ぬ可能性があるアクティビティなの???

え、これでもし 本当に事故があったら?
私はみんなに声をかけたこと、一生後悔する...


やべえことに巻き込んでしまった、、、と 青ざめた。


とりあえず、シュノーケリングの経験をしておこう、と
あわてて 近場でできるところを検索した。


すでに10月、北海道では もう雪が降っていた。


この季節に シュノーケル できるところなんて
さすがに ないだろうな...と思っていたら


あった。まじか。探してみるもんだ。


そうして
出発5日前、雪がふる北海道の海を ドライスーツを着て泳いだ。


昆布とウニがいっぱいいた。


この体験のおかげで、ジープ島についてから
私は他の人よりも 余裕をもって海に入ることができた。


ジープの海で私は驚いた。実に色とりどりの魚がたくさんいた。
黒い海しか知らなかった私は、カラフルな海を知った。

「海ってすごい!面白い!」

そう思った私は 帰ってすぐ ダイビングのライセンスを取得した。

そして、そのあと 5年かけて世界中の海を潜った。

冬のアイスランドの海溝は寒すぎた。
イースター島は海にまでモアイがいた。
ダハブの青く深い海の中は とてつもなく静かだった


5年経って私はシュノーケルを人に教えるようにもなった。
2020年夏、パートナーを海に連れ出した。


彼は初めての経験に 喜んでいた。

初めてみる野生のウミガメに興奮する彼をみて
私は「JEEPはもっとすごいんだぞ」とニヤリと笑った。

いつか 彼をJEEPに連れていきたい、と思った。

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研究室に嘘ついてきた人もいた


島では 砂浜で寝た。

朝になって 強い日差しで、顔が真っ赤になった。

1人、研究室に嘘ついて参加している人がいて(もう時効だよね?笑)
その人は日焼け止め必死に塗っていた。懐かしい。

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はじめてのLGBTQ+


島には男女別でコテージがあった。
とはいっても、荷物おく、着替える 以外に使うことはなかったけれど。

参加者の中に1人
体は男の子だけれど、心は女の子、好きになるのも女の子という人がいた。

今思えば私が、LGBTQ+と呼ばれる人にあったのは彼女が初めてだった。


心が女の子なら、コテージは
女部屋の方がいいかなって思うけど どうかな?

そんな提案をみんなにした気がする。

みんなも快諾してくれて、安心した。
彼女も 喜んでくれていた気がする。

でも、私は初めてのことに 本当は内心、戸惑っていた。


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心が女の子なら、シャワーも女の子と一緒?


シャワーは バケツ1杯の真水のみだった。
時間の短縮か、水の節約か忘れたけれど2人ずつ入った。


そこで 私は戸惑いの正体を知った。


体は男の子、心は女の子の、例の彼女は、一体 誰と入るのか?
これも女の子と?さすがに男の子と?それともひとりで入る?

私は 何もいえなかった。
部屋はよかった。でも、シャワーは 正直 まだ私には抵抗があった。

そして私は 見てみぬフリをした。
気づいていないように振る舞った。


でも、まるはそうしなかった。
彼女に「一緒にはいろう」と声をかけた。

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私にはできなかったことを、まるは 難なくやった。

そのあとも、まるは彼女に 自分の水着を貸して、
「似合う似合う!」と喜んだ。

まるは 疑いもなく、最初から最後まで彼女に 女の子として接した。

私は 何を戸惑っていたんだろう、と強く後悔した。



それから 私は LGBTQ+について勉強した。
どんなことに困っていて、何を言われたら嫌なのか。

あの日できなかった自分の後悔を再び繰り返さないように。

次 もし同じような場面に出会った時には
一番最初に声をかけれる人になろう、と誓った。



それから4年たったある日、私は 同性に恋をした。

そう、今まで気づかなかっただけで 自分は バイセクシャルだったのだ。

今まで好きになった相手がたまたま異性だけだったから
気づくのが遅くなった、ただそれだけだった。

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修学旅行なんて嫌いだったのに


「大学生の修学旅行」と題して、集めていたけれど
そういえば、私は「修学旅行」というものが、ずっと嫌いだった。


小学生の修学旅行、

"親友"がいなかった私は グループを決める時が すごく嫌だった。

どんな経緯だったか忘れたけれど
アニメが好きな子達のグループになった。

その子たちの間では「モナー」が流行っていた。
グループ名は何かをもじったらしい「〜〜〜御一行様」だった。

深夜にみんなで「らきすた」を見た。
私だけが登場人物の誰も知らなくて、ついていけなかった。


中学の修学旅行

驚くほど記憶にない。
函館に行ったはず。ラッキーピエロは食べたんだろうな。
ニセコでラフティングをしているはず。

記憶から消したいほど、嫌だったのかもしれない。
そういえば いじめられていたかもしれない。本当に覚えていない。笑


高校の修学旅行

またもや、誰とグループになるかで困った。
結局 ジャニオタの女の子と同じグループになった。

みんなが原宿のジャニーズショップでワイワイしている間
私は明治神宮前の路上販売の兄ちゃんとおしゃべりしてた。

ビビるほど遠い料理屋さんに電車で2時間くらいかけて行った。
メンバーの親が経営しているらしい。メンバーちゃうんかい。

京都の自主研修は「お寺興味ないし、イオンいこ!」と言い出した。
勇気を出して『別行動でいいかな?』と声をかけた。

私は ひとりで龍谷大平安高校のグランドを探した。

その夏の甲子園(2012)で
旭川工業に9回裏2死、2点差から 逆転勝ちした高校だ。

さすが私立...校舎とグランドは別だった。金持ってんな...


そんな私がよく「大学生の修学旅行」をやろうと言い出したものだ。
いや、今までの修学旅行に満足できなかったから
こだわりたかったのかもしれない。


みんなと過ごした時間は、なんの苦労もストレスもなかった。

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会ったことない人への誕生日プレゼント


参加者のうちのひとりに 島で20歳の誕生日を迎える子(saki)がいた。

本人からの共有はなかった。
facebookの基本情報?か なにかで知った気がする。

私は sakiを含めないLINEグループをつくって
誕生日プレゼントを用意しよう!という提案をした。


しかし問題発生。

誰もsakiのことを知らなかった。


「そのさきちゃんって子、何がすきなんかな?」

『しらんなぁ』

「これ どうかな?」

『うーん、いいんちゃう?』

「適当にいわんといて!あ、これは?」

『それは、ない。笑』


不毛な、でも なんだかワクワクする会話が続いた。


本人のことを知らない中で プレゼントなんて選べやしない。


わからない中で想像して似合いそうなポーチを選んだ人...
ウケ狙いで 本日の主役というタスキを用意した人...
自身が一番好きな漫画を準備してきた人...

みんな悩んだけれど、想い想いのものを準備した。


知らない人の誕生日プレゼントを考えることなんて、
後にも先にも、これが唯一の経験だと思う...笑


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予想だにしていない、逆サプライズ


そして、プレゼントはsaki宛だけじゃなかった。

私とsakiがシャワーに入っている間にみんなが準備してくれていた。
(この2人が一緒に入るのは仕組まれてたらしい。気づかなかった)

シャワーから上がって みんなから
メッセージがびっしり書かれた ポストカードをもらった。


予想していなかったから、とても驚いた。


もらった言葉たちには 愛があふれていた。

「人生最高の旅をありがとう」
「連れてきてくれて ありがとう」
「声をかけてくれなければ 向き合えなかった」
「私も頑張ろうって、挑戦しようって、思ったよ」

それぞれの表現で、みんなが 私に「ありがとう」を伝えてくれた。


このとき 人生で初めて 自分は必要な存在なんだ、と思えた。

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もし、私が旅をつくらなかったら...


それまで 自己肯定感なんてなかった。
自分はいなくてもいい存在だと、本気で思っていた。


そんな私に

「めありーがいたからこそ...」
「めありーのおかげで...」
「めありーがいないと...」

と言ってくれた人がいた。


確かに、この旅は
私がいなければ 存在しなかった。

私が 旅をつくらなかったら
ここにいるみんなが 繋がることもなかった。


私は みんなのおかげで 初めて、
自分は なくてはならない存在なんだと感じることができた。

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「みんなのおかげ」という大革命


これまで「本気でやりきった」と自信もって言える経験もなかった。

部活も、受験勉強も、
頑張ってるね、すごいね、って言ってくれる人はたくさんいたけれど

ずっと、それなりに頑張って、
それなりに結果をおさめてきた、そう思っていた。

そんな私が この旅で15人集めきって満席にしたことは
「本気でやりきった!」と心から言えることだった。


集めるだけじゃない。準備にも全力を注いだ。

当日楽しむために、しおりも準備した。
関東や関西から来るみんなの家には 郵送した。

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そんな私は 帰国直後のFacebookに
こんな投稿をしていた(2015年11月8日 一部抜粋)

わたしのやりたいを
応援してくれた人がたくさんたくさんいて
支えてくれた人がたくさんたくさんいて

全然知らない人にまで
「行けないけど頑張ってね」
って言ってもらえたりもして。

帰ってきたとき、思いもよらない人にまで
「おかえり。どうだった?」
っていってもらって。

わたし1人じゃ絶対できなかったなぁって。

そして、わたしに「一緒に 旅をつくろう」と
声をかけてくださった中村隊長や
その隊長を私に紹介してくださった森さん、

頑張るきっかけを与えてくださり
本当に ありがとうございました。

大きな自信となりました。

わたしのつくりたい旅 やわたし自身に共感してくれて
参加を決めてくれたみんな、ほんとうにありがとう。

みんながいなかったらあの時間は 作れなかった。

わたし ほんとに幸せだ。


19歳まで反抗期だった。

世の中みんな嫌い、みんな死ね。
私は、自分の力で生きてきたんだ、
だから 親に対して「ありがとう」なんて思わない。

そう思っていた。


でも、そうじゃなかった。


この無人島を貸し切るという経験を通して、
これまでやってこれたのは決して 自分の力だけじゃなかったと気づいた。

頑張れたのは「みんなのおかげだ」と思えるようになった。

これまで支えてくれた人 全員に「ありがとう」の気持ちがわいた。


「ありがとう」と思えること、それは、私にとって大革命だった。


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私がこの旅から受け取ったもの


私は気づかないうちにこの旅からたくさんのものをもらっていた。


それは

・自分は「必要とされている」「なくてはならない」という自己肯定感
・「本気でやりきった!」と胸張って言える 成功体験
・人生20年分の 支えてくれたまわりの人への感謝の気持ち

それと

・一生、酒を飲みたい大切な仲間

だった。




あらためて、ありがとう。

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それからの5年間


無人島を貸し切ってからの私は、
たくさん旅をして、たくさん旅をつくりまくった。
喜んでくれる人がいる、という確信は私を突き動かした。


【ひとりでした旅】
2015年 8月 : インド・ネパール・タイ
2016年 2月 : 日本一周(ヒッチハイク)
2016年 8月 : 北海道の道の駅117駅制覇(原付)
2016年10月 : 東京から熊本まで(原付)
2018年 1月 : 熊本から東京まで(自転車)
2018年 2月 : ツバル・ニューカレドニア・オーストラリア
2019年 1月 : 世界一周(主に飛行機)

【つくった旅】
2015年10月 : ミクロネシアの無人島貸し切り
2016年 5月 : 日本最北端の有人島 礼文島に行こう!
2016年 8月 : 北海道 函館・江差編
2016年 8月 : 北海道 十勝・帯広編
2016年 8月 : 北海道 釧路・知床編
2016年 8月 : 北海道 日高・トマム編
2016年 8月 : 北海道 ニセコ・羊蹄山編
2016年 9月 : 北海道 オホーツク・知床編
2016年 9月 : 北海道 大雪山・旭川編
2017年 1月 : 新潟 学校へ行こう!
2018年 8月 : 伊豆 みんなでキャニオニング
2018年12月 : 伊豆 ぼくと手紙と、ときどき温泉
2019年12月 : 香港・マカオ
2019年 8月 : モンゴル・シベリア鉄道
2019年12月 : フィンランド・ノルウェー・アイスランド


その結果、
北海道の市町村は ほぼ制覇したし、47都道府県も 制覇した。
訪れた国の数は、35ヶ国になった。

旅を つくればつくるほど、喜んでくれる人が増えた。
私はメキメキ自信をつけていった。


社会人も気づけば 5年目になった。

2年半で卒業に必要な単位をとりおえ、
北海道大学法学部を実質 早期卒業をした私は、

大学3年生の2016年12月17日、学生を捨て 社会人になった。

そこから1年ちょっと、熊本県人吉市のITインフラ企業で働いた。
(なんで熊本?は またそのうち)

途中で 法人も設立した。
「合同会社おうたけ」として 案件をとってこれるようになった。

けれど このままだとスケールしないな、と思って
組織を学ぼう、と 東京の大企業を探しはじめた。それが 大学4年生の12月。

私は卒業まで 残り4ヶ月 というタイミングで就活をスタートした。

そうして縁があったのが、エン・ジャパン株式会社。
2018年4月からは 東京で求人広告の営業をした。

入社式、代表挨拶を勝ち取り 颯爽と挨拶したくせに
たった9ヶ月で退職した。

世界一周から帰国して 

2019年4月から、ダイレクト出版で働きはじめた。
エンジニア、サポート、セールスライター、と異動し
楽しく愉快に過ごしている。


應武茉里依奨学金」も はじめて早3年が経過した。
【毎月の給与の1%】円を【社会人年数分】人に給付する、という活動。

もうすぐ第4回の募集が始まる。


2020年8月、こんなクラファンもはじめた。
想いをカタチに ときを彩る PEN to TE(ぺんとって)

大切な人に思いを伝えるために ペンを取る習慣を...
と切手付きポストカードの定期便をやっている。

こちらも 3月に第2期の募集をはじめる予定。



「無人島を貸し切るために 15人集めきる」
という成功体験は、私を5年たった今でも突き動かしている。

何か挑戦するとき、"あれよりは楽だ" と思えるのは大きい。

もちろん、今 同じことをやったなら もっと苦労せずに集められるだろう。
でも、19歳の私にとって この無人島貸切は、
自分の体よりも何倍も大きな挑戦だった。

そう考えると、私は 最近、挑戦していないのかも知れない。


19歳の私を思い返すと
「このままじゃいかんな」という気持ちにさせられる。

うし、今日も頑張ろう。

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図1

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ps. 2025年10月31日、またジープ島で。


隊長のnoteにこんな文章を見つけた。

Sakiありがとう。
また5年後、つまりSakiが30歳になった時、一緒に10年ぶりにジープ島で誕生日を祝えたらいいね。次回、俺は6歳になった息子と美香と一緒にジープ島に行くつもりだ。その時はSakiに家族が増えているかもしれないね。また、一緒に旅しよう!


これをみて、胸が熱くなった。

そして思わずコメントしてしまった。


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また やってしまった。

そんな気安く宣言するものじゃないって、さっき書いたばかりなのに。



でも、

2025年10月31日、またジープで 再会したい。



今度は、みんな それぞれ大切な人を連れて。

私もきっと、子連れでいくぞ!(だといいな)


え、島の定員 15人だよね?

全然足りないよ。隊長、どうする...?笑

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