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世の不公平への嘆き

僕たちはシチュエーションやカテゴリーに縛られる。例えば、恋愛。対女性とのコミュニケーションが苦手な人は、目の前の相手を1人の人ではなく、「女性」として見てしまう。

そうすると、変な恥ずかしさや「かっこよく見られたい」という自分にベクトルが向くので、相手のことを見れなくなる。そうして、女性との苦手意識がどんどん強くなっていく。

僕自身もそう。目の前の人をカテゴリーではなく、ちゃんと大切な人として見れてる時は、相手の為のコミュニケーションが取れるのだけど、それが変なカテゴリーに縛られた瞬間終わる。

カテゴリーとは色々ある。

・上司
・(自分より)できる人
・女性
・怖い人
・苦手な人

そうやって、相手をカテゴリーを通して見てしまうと、目の前の人ではなくなるので、関われなくなってしまう。なんか変に身体が固くなって硬直してしまう。そんな自分にうっすら気づいているんだけど、自分で修正ができないのが厄介。今日もそれで恥をかいた。

女の子に連絡先を聞くなんて、自然だったら誰でもできる。なのにいざ、「あの子と連絡先交換してきてよ!」みたいなシチュエーションが発動すると、それではできなくなる。なぜなら、それが上手くいくか?いかないか?という評価の指標が働くから。

すると、失敗したくない・マイナスの評価は嫌だという風に自分に意識が向くので、身体がこわばり、その緊張が相手にも伝わり、完全に上手くいかないのである。メンタルの世界では、勝ち負けは闘う前から決まっているとあるが、それと同じ。

世の中には自分に意識を向けさせる言葉がたくさんある。でもその自意識の発動条件を乗り越えない限り、僕に未来はないのである。本当に嫌な性質を持ったものだ。心の底から自分の運命を恨む。何がギフトだ!

とにかく伝わっただろうか?!僕は今日とても恥・屈辱を味わった。こんな思いは二度としたくない。もう嫌だ!と心底思うよ!ほんと世の中って不平等だなって思う!

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