見出し画像

spring part2 閉→開

2024年3月17日14時頃、2年ぶりにnoteを書いてみる。
noteで書いていたものの殆どは、確か1年前に自分が嫌になったから、厳密に言うならば、自分の書いた文章に目を当てられなくなっていたから下書きに戻した。
なぜ、また、書こうと思ったのか。それは、外が余りにも春過ぎたから。
ちょうど、昨日は勤務先大学の卒業式。卒業を急かすように、空気は冬から確実に春に変わった。

今日は朝から、TOMMOの曲をひさしぶりに聴きたくなって聴いていた。
「オセロ」「Ginger」「らしくもなくたっていいでしょう」今聴きたいリズムは力強いけど軽やかな弾んだリズム。

展示を見るために向かった目黒駅。
今日、私の記憶に残ったのは、展示会に行くまでの道のりにある景色と展示の帰り道の目黒新橋から見た景色。

人とコミュニケーションをとること。自分以外の人が考える何か。正直に言うと、私は展示会で全てをキャッチアップできた試しがない。自分の気持ちに関心のある人、もしくはある程度知っている知り合いに話す姿勢にしか話さないぞという姿勢に、少し居心地の悪さを感じてしまった。その姿勢を見た瞬間に頭には何も入らない。

最近よく感じるコミュニティ内での恋愛関係。何かと関係を結び、それがみんなから2人だけのものになるような感じ。関係性は2人と周りの人になる。
その姿勢を見た瞬間に見えないシャッターを下ろしてしまう。

閉→開へ

分野違いの先生と話す。ものづくり以外の学問に何が意味あるの?と。お金にならない学問をなんでやるの?と。最初から答えなんてわからなかったくせに、と私は思う。お金になる、ならないの話をしたいんじゃない。ただ弱そうな何かに文句を言いたいだけだと思う。でも、その問いに必死に言い返そうとする自分がまだいる。まだ必死になる自分がいることが学問をする理由でいいのではないのかなと悶々と考えた。
諦めずに聴いていたら、分野は違えど同じ価値観を持っていた。何を手段とするのかそれだけの違い。そんなの分かっていたくせに、腹が立って、悶々とする。これでいいのかと悩む。

悩むのは、暇だから。とSNSでやたらと流れてくる。
悩まなくていいなら悩まない。
そんな人には、「うるせぇ、黙ってろ」と心で叫ぶ。守るための武器を得た。
そして、言い聞かせる。同じ熱量で悩まなくなったら私は終わる、と。

暑いから、カフェラテICEが飲みたくて、一つ前の駅、池の上で降りた。おしゃれなカフェならいくらでもある。でもファミマにした。
お会計の時、店員さんが作業をしていて、私は声が小さくて通らないから、気づいてくれるのを少しばかり待った。気づいてくれた。
たぶんそれもあったのかな、すごく丁寧な接客だった。
暑いと機嫌が悪く自分なのに、なぜか居心地が良かった。
------------------------

「どちらにしますか?」
(アイスコーヒーかカフェラテか)
「カフェラテでお願いします」
「お会計はどうしますか?」
「PASMOでお願いします」
(レシートをもらう)
「ありがとうございました」
「ありがとうございます」
・・・カフェラテを機械に持っていく

次のお客さん
「温めますか」
(たぶん、惣菜を買っている)
「袋はどうされますか」
「いらないです、大丈夫です」
(会計を済ませる)
「ありがとうございました」
「ありがとうございます」
------------------------
いつもの会話だと思う。でも素敵だった。

「接客」だろうけど、「会話」をしているように感じた。
お客さんが比較的混んでいないお店だったからかもしれない
押せば会計ができる会計方法じゃなかったからかもしれない
日本語話者だったからかもしれない
私がいつもより機嫌が良かっただけかもしれない
次のお客さんがたまたま素敵な言葉(返答)ができるだけだったかもしれない

自意識過剰だが、もっと、言葉を大切にしたいと思った。
素敵な何かは、次の素敵な何かを繋げるかもしれない。
感情の機微、春。
やばい人が増える、けど、素敵な人も多い、春。
死にたさと生きたさを抱えて、今年も春を迎えよう。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?