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哀しみと自分自身

全ての投稿を下書きに戻した。
結局、「普通」に生きろと言われ続けて抗えず「普通」に偽装して「普通」の人が着たい服を着て、美味しいものをちょっと何も考えない程度にはたべれて、極貧旅行なんて考えずにホテルが取れるぐらいには「普通」になることができてきたこの1年。あとは好きなお花が買えるようになったこと。

おかげで何かをしていないと価値がないと思わずにはいられなかったことも、誰かと比べて落ち込んでしまうことも少しは減った。それは紛れもなく「普通」がもたらした「お金」と「安定」、そして「自立みたいなこと」。今出した言葉全て大嫌いだった「言葉」なのにこんなにも心に余裕ができるなんて「普通」は素晴らしいものだった。すっっごく難しいことなんだけれど。わかってる。

それと同時に心の中で今だに残り続けるトラウマみたいなものと向き合い続ける日々。それは自分自身と向き合い続ける拷問のような日々でもあった。言葉にすることで私の時間は無駄ではなかったと言いたい自分、だけどそれがネタになってしまわないかと思う自分、だけど一人で抱えていくには簡単に癒せない傷。どうにかしてあげたかった。ひたすらに「哀しみ」と向き合い続けた。

「死」というものを経験する時、乗り越えるには3年はかかるなんてことを目にする。もう3年たった。「哀しみ」を抱えていたことにも気づいたし、自分だけではない他者に対しての気持ちも考えられるようになってきたと思っていた、だから誰かに寄り添える自分になれると思っていた。だけどトラウマはまだ私の中から消えていなかった。それは他者にばかり気持ちが行きすぎていて結局のことろ自分自身を幸せに、癒してあげることができなかったから。ということも含む。

そしてもう一つ。
いつの間にか自分は一人で何もかもを乗り越えてきたと思うようになっていた。そうしないとそう思わないと必死に頑張ってきた自分が可哀想に思えるからだ。だけど本当はそんなことなくて、いつも誰かが引っ張ってくれた。拾い上げてくれた。見ていてくれた。お化けのような姿になっても何も言わずに見守ってくれる人もいた。たくさんの人に支えられてここまで生きてきたことを見逃してしまうところだった。そのことに心からの感謝ができないまま誰かにとっての「哀しみ」に寄り添いたいと思っていた自分に気づけたことが自分自身と向き合う中で認識できたことはとても大きなことだった。

何者になりたいかなんてことはなく誰かのためになんてこともない。
だけど誰かが同じ経験をした時にやっぱり聞くことしかできないけれど寄り添って聞いてあげられる人間ではありたい。そのために何ができるか、それは自分自身をまずは幸せにしてあげること。どこにでもあるこんなフレーズは本当なんだなってことがようやく少しわかり始めた「27」歳終盤戦。

「大丈夫」と騙し励まし続けた日から4年が経とうとしている今。
続けたかった仕事を辞めたこと、笑顔が消えたこと、人を信じることができなくなったこと、体が動かなくなったこと、記憶を失うぐらいの喪失感を抱いたこと。そこから這いつくばって生きてきたこと。それを含めて「いちからはじめたこと」。まだ若いから言わせてくれ。やっぱり一人で頑張ってきた自分も居たんだよってこと。だから弱くても強く生きていくんだよってこと。

(※これはあくまで私の経験に基づく個人的な感想です。)

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