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ここ2年のこと

時間が過ぎるのはあっという間で、だけどその時間の中で私の価値観や言葉遣いが変化しているのを感じる。
この記事が、以前のような口ぶりでなかったりするし、前の私と同じ人物かといわれると…もしかすると違うかもね。
でも私は、OUR BROというダジャレでインスタグラムを始めてしまったがために、2017年ごろから「あわぶろ」というアイデンティティでぬくぬく育ってきた。あわぶろのユキです。

2024年2月半ばからひと月、やりたかったことをやる日々にするべく、その経緯を言語化して説明するために記事を書こうと思いました。
近況という名の2年間の空白の報告と私の価値観の変化について、駄文からなぞっていただけるととっても「助かる」になります。

環境を変えて。

2022年春に大学院に進学した。
学部時代と大学を変え、引っ越しもしたし環境を変えた。
だけど、専攻は同じままにした、地理。
研究のテーマも同じくコーヒー、フィールドは変えたけど。
家族と暮らしていた実家を出て、彼氏と同居することになった。
社会人と大学院生、同い年の同級生だったのに、すこしかんじる自立度合いでの劣等感は美味しいご飯を作ることで帳消しにしようとした。
環境を変えた進路は、結果としてものすごくよかったと思う。

先人の知恵に助けられて。

大学院での研究は、ひとえに先人の研究をなぞり学び、自分で旗を立てるような感覚だった。
思い付きの大半は、既に先人がたくさんこすってくれてる。議論もたくさんある。先人の知恵が、自身のテーマや疑問を磨き、玉にしてくれた。
先行研究を調べることの大切さ(今までの探し方のボロを知った)、何が大切なのかに対してのアンテナの張り方、適合させるポイントの見つけ方…これが2年で得た主なことだった。

フィールドは、バリ。

先述したように、大学院での研究ではフィールドを変えた。
インドネシアのバリ島、「神々の住む島」と形容されるくらいオリエンタルが濃く、リゾートのビーチサイドで名高い島である。
ただ、私のフィールドは海岸沿いではなく、エキゾチックなアートでもない。
山麓のコーヒー栽培地域。
バリ島でもコーヒー作ってるんだよな。

やっぱりコーヒーか。

ベトナムのそれとは違う点は、単一栽培ではない点。
バリのコーヒー農園では、コーヒー以外に野菜、オレンジ、より大きな果樹、バナナなどを複合的に生産していた。
コーヒー農家、ではなく、農家だと思う。
複数の作物を組み合わせて生産する様子は、アグロフォレストリー(農業+林業)と通じる部分がある。
私がコーヒーに敏感になるのは、コーヒーが好きだからというのもあるが、コーヒーが精製作業を要するからだと思う。そして、丁寧な精製が品評会で評価されたり、欲している消費者に届いているからだと思う。
生産地で飲むコーヒーが忘れられない、育てている気候を全身で感じながら飲むから。
深堀りしたくなった。生産者の立場やストーリーを売りにするコーヒーはたくさんあるし面白い。だけど「コーヒー一本」の専業の生産者がメインで、色々育てていてコーヒーも生産している生産者の話ってあんまりよくわかんないなと思ってた。だから、農作物の中のひとつとして、コーヒーを育てている農家のひとたちの思いを考えるための研究にしようと思った。

心の機微に触れた、島での経験。

農家の人を紹介してもらって、たくさん訪ねた。
そんな中で、とあるニュアンスを大切にしていると聞いた。
   「調和」
神(バリのヒンドゥー教)・人々・自然のバランスを大切にして、調和の精神で生きていると。
この感覚と、ひとびとの精神的よりどころの多さに心が震えた。
たくさん、バリ・ヒンドゥーのお寺行事に連れていってもらったし、お祈りをした。美しい花々を使ってのお祈りは、心がスゥーっと透き通るような気がした。
農家の人たちとの対話の中で、家族の強さ、共同体の強さを特に感じた。
人との繋がりが、濃ゆくて優しくて温かい。田舎風なのか、それとも違う気がした。
調和、バランス感が優れてる、その生き方は私の心の機微に触れ、価値観が変わる音がした。

まちづくり会社でのインターン、俯瞰。

時系列としては前後するが、引っ越しした年の半年ほどまちづくりの会社でインターンとして働かせてもらった。
都市計画とか、まちづくりとか、興味があったし関連する授業を取ったりもしてた。
実際のビジネスにどう落とし込まれるのか、どういったニーズがあるのか、そうしたことを学んで、今までに得ていた知識の確認作業もあって、オフィスで働くことの楽しさを知った。
ここで、キーワードは「スモールスタート・スローディベロップメント」と「サードプレイス」。今度のnoteで書けたら良いな。

修論を経て。

そうこうしている間にあっという間に修士論文の執筆期間になった。
追い込みのレビューが多く、準備段階の不甲斐なさを感じた。
そうはいっても、フィールドワークを経ての読み込みはスルスルと、体に良い飲み物ばりに吸収されていった。
自分の言葉で綴っていく、考えを言語化する、その経験は卒論の時以上に苦しかったけどその分楽しかった。
考えを整理して結果をまとめてそれを元に考察して…という、執筆経験は今後の人生でいつかは生きてくるんかなあとか思いながら、わりとギリギリの生活で提出した。

今何がしたいか。

(学部生時代の場所や経験から…)環境を変えて、先人の知恵に助けられて、フィールドを新たにして、コーヒーを通じて、心の機微に触れることがあって、修論を経て…今何がしたいか。
点や短い線で独立してるそれぞれを、ひとつの線にして、さらには なにか形のあるものにしたかった。
コーヒーを通じて、今の私を形成してるものを表現したかった。めっちゃエゴだけど、何かを始める時なんてエゴだろう。

   『よし、コーヒースタンドをやろう。』

そんなこんなで、友人の友人(いや、親友の親友)がやっているホテルに住み込み、空き時間でポップアップのコーヒースタンド/ カフェの中間を漂うようなお店をやることになった。
そんなこんなの部分はまた別のnoteに、、、

私の近況報告と、どういった経験が価値観に結びついてるか〜の記録でした。



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