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「麻希のいる世界」をみてきました。

トップ画像引用元 : 日髙麻鈴公式ツイッター

塩田明彦監督、日髙麻鈴&新谷ゆづみW主演映画「麻希のいる世界」の第22回東京フィルメックスという映画祭での舞台挨拶&プレミア上映をみてきました。一般公開に三カ月近く早くこの作品を観ることができる上、主演の舞台挨拶もあるということで居ても立ってもいられず数百キロの距離をものともせず(いや、しなさい......)飛び込んできたわけです。

ほぼ何の先行情報もないまま、ただただ麻鈴&ゆづヲタ連の期待を一身に背負ったこのイベントが始まったわけですが、主演女優達も監督も冒頭の舞台あいさつで「先入観を廃して頭も心も素にしてみて欲しい」(意訳)と言われており、見終わった私も確かにレビューも何も聞かずに観れたからこその衝撃や感想があるなと思っています。この後この記事ではネタバレはしませんがそこそこ何を感じたかのお話はするわけですので、まったく先入観を持たずに映画を観たいと思われる方は、このままそっと画面を閉じて三か月にまたいらしていただいて一緒に感想合戦ができたら嬉しいなと思います。

さて、映画の内容はともかく上演前の主演二人と監督の舞台挨拶は従来と変わらず(?)和やかでカワイイ雰囲気で流れていきましたね。プレス撮影タイムでの塩田監督のお手振りガチ照れに場が和みます。しっかり和んだ会場に上映が始まりました。

......

終わりました。

「なんじゃこりゃぁあ~」(by 優作)

と上映中に皆が思ったはずです。いや思ってなかったらびっくりです。上映後再会したヲタ連の感想合戦が、推しメインの感想ではなくて映画の内容やあり方の感想ばかりになるなんて始まる前に誰が予想したでしょうか。脳裏に塩田監督のニヤッっとした顔が思い浮かびます。会場の人口構成を支配しているのがほぼ主演の二人のファンであることから、上映後のツイッターは二人の「推し」活動的な感想になるのかと思いきや、ネタバレできないにもかかわらず映画の感想に支配されました。

もちろん塩田監督が作られるのだからライトなわけはないのですが、それでも「さよならくちびる」からの流れで考えるなら、それほどかっ!っていうこの流れは想像しづらい。いや流れはもともとなかったんですよね、監督!塩田監督のニヤッってした顔が思い浮かびます。塩田監督の作品をもっと観たいと思わせる策略にまんまとやられたわけです。89分間の映画でそりゃあもう山のような質問というか、問いかけというか、疑問というものが生まれたわけですが、その一つ一つに観た人それぞれの解釈が存在するでしょうし、できればそれを語りつくしたいわけですが、公開前に(いや公開した後でも)WEBのこういった場ではできないわけです。特に最後のシーンについては観た人ともっと解釈を戦わせたいと思ったのですが、当日顔を合わせた人たちとの短い時間ではそこまで行きつきませんでした。その手前に言いたいことが山ほど存在したし、多分その時点では誰もその解釈を持ってなかったんじゃないかなって思います。

小説(脚本?)という観点から少し。映画の内容が明かせないので、この後なにを書いてるのかと今は思われるかもしれませんが、3か月後の一般公開後のために本作のシナリオについて知った事、思った事を書いておこうと思います。

上映後のQ&Aによれば塩田監督はこの問題作のシナリオを先の緊急事態宣言中に部屋に籠って書かれたのだとか。さよならくちびるが大ヒットしたらスピンオフでとか考えていたそうですが、「それほどのヒットでもなく」(笑 - 監督談)ただ二人に共演してもらう映画をと。しかも役にどっちも強烈な個性を与えてどこへ到達するのか結末を決めずにシナリオを書きすすめたら、次第に変化し続けて行き青春映画で無くなり、出来上がったものをみて監督自身があっけにとられたと。いや部屋に籠って二人にどんなキャラクターを与えたら妄想がこうなるのか?

って、もう変態じゃねえかww (注:むっちゃ褒めてます。)

妄想(失礼!)の起点は向井秀徳さんの曲だったろうか?あるいはずっとこれまで描きたかったテーマなのだろうか?いずれにしてもこれを「二人は演じきれる」と言って下さった上に、それを実現してくださったのは我々ヲタの観点からはもう奇跡でしかないなと、今は本当に思っています。

上演前になされたこの意味深なツイートも今なら「ああ~っ」て思います。

映画に出演されている品田誠さんのブログで以下のような記述があります。

本編では使われていないけれど、脚本では冒頭、とある小説の一節が書き込まれていた。
「どんな本だろう」と気になってその本を手に取る。
不思議なほど全然読み進められない小説を読み終えた後、自分の世界に何か異変をきたしたような感覚になった。
キャッチフレーズの「世界のすべてを敵にまわしても 君さえいればそれでいい」が表す通り、
由希と麻希、2人の世界はこの映画そのものだった。

これがどんな言葉で小説なのかはおそらく監督からのタネ明かしになるので、もしそれがあるとすれば一般公開からずっと後のことになるでしょう。しかしながらこの作品にテーマを与えた最初の部分がその小説にあるのならば、つまりは監督はこの作品を誰かの人生を変えてしまうほどのインパクトを与える作品にしたい、この主演の二人をイメージして生み出される映画がそれだけのインパクトを与える映画になると考えてシナリオを書かれたということなると勝手に解釈しています。これは主演のお二人にとってどれほど誇らしい事かと思うんです。

塩田監督は映画を撮り終えた後もそうだったでしょうが、プレミア上映が決まった時に上映後この作品を観た麻鈴&ゆづヲタや父兄がどんな顔をしているか想像してニヤッとしたんじゃないでしょうか? いや特にヲタがというより観た人すべてに対してでしょうけども。上演後のQ&Aに現れた窪塚愛流くんへの割れんばかりの拍手から考えると、きっと下の塩田監督のツイートもそういう意味だった気がします。

できれば主演女優二人にもこの割れんばかりの拍手の中に立っていてほしかったとは思います。おそらくは決して形ではない心からのスタンディングオベーションが自然発生したと思います。ですがおそらくはある種の配慮がされたのか予定にあった通り登壇されませんでした。安心したのと同時に残念な事ではあります。

さて、ここまでニヤッとする人の話ばかり書きましたが、実は今でも映画の中で何度もニヤッとしている「あの人」の表情が気になりすぎていて、再びこの作品を観れる機会が早く来て欲しいと心の底から待ち焦がれています。「ニヤッとする」ではもう一つ。昨日↓の日髙麻鈴さんのツイートがされた時に初見で「うひょ~」みたいな感じのアホなリプを返してしまったんですが、今朝またこのツイートを再び見てある事に気づきました。

見てください、この表情。ニヤッとしてますよね? もともとドヤ顔が得意(?)な二人ではありますが、「どうだ観たか!これが私たちだっ」って満面のドヤ顔やないですか。カワイイ推しの成長を何年もずっと見てきた私たちですが、今回彼女たちの女優魂に完全にいい意味で裏切られたわけです。「麻希のいる世界」上映後に、何年も二人を推してきたヲタ連に見せたこのある意味「挑戦的な」目を私は一生忘れない気がします。我々と推しの関係はこの映画を境に次のステージへと進化した気がします。こんな機会を与えてくださった塩田監督とスタッフの皆さん、演じられた俳優の皆さん、それらを取り巻くすべての人々ともの事に感謝を。本当にありがとうございました。

P.S.

さて、(吹けば飛ぶような)私の二つ目の関心である自作スピンオフ小説【ユキとマキ】のこれからの創作にこの作品の影響があるのではないかという懸念なんですが......

「影響? ありません。」

いや、無い訳ないじゃないですか。でもね、おこがましくもそういう対象どころの話ではないわけです。もうねわたしの自作作品なんか作品冒頭のシーンだけでりゅう弾砲の雨を浴びた状態になるわけですが、映画を最後まで見てしまうとそんな思いというか、楽しみというか、浅はかな考えは台風の後の一級河川の流れに流されるメダカのごとく彼方まで吹っ飛ばされるわけです。

でもね映画を観た後48時間近くたって、ようやく胃の中の鉛が消化されないまでも居場所を見つけ収まってきた今、大河の流れに吹き飛ばされた後でもいいじゃないか、流された先にもっとライトで推し活にふさわしい作品というまるで誰も振り返らない無人島のような作品(😭)を作って残しても、と思い直したわけです。なので自作のさよならくちびるスピンオフ「ユキとマキ」も細々と続けていこうって今は思っています。

ではまた、ゆるりとお会いしましょう。

by スケトウダラ・ポテト

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