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正しさを求めずに

※8月下旬にジュヴナイル伝奇シリーズオンリーに送られた、公式では幽撃隊の略称だから全部「幽撃隊」で統一を、という匿名メッセージを受けて※ 

イベント運営中、こういった「公式はこうだけど」という意見を
いただくのは2回目になる。
1回目の指摘は、
初めてオンリーをひらいた時だったので、
未だにショックな気持ちが鮮明に蘇ってくる。

今回いただいたメッセージも含めて改めて
いろいろ考えたい事がある。

そもそも私たちは平等ではないか?

今回のメッセージは「公式的にはこういう略称ですよ」と言われているものと違うものを非公式のオンリーイベントで使っているから改めてほしいという内容のものだった。

確かに「公式がこう略してほしい」と言っているのと違う略し方をイベント中行っていたのでその通りだと思う。

元の文章は引用しないが運営Twitterのログだけ置いておくhttps://twitter.com/tasogareryuu/status/1562624752606679046?s=20&t=_pe28CHZkq1rmy5mXFCMLA
https://twitter.com/tasogareryuu/status/1568139147113791489?s=20&t=_pe28CHZkq1rmy5mXFCMLA


今回の事に限らず、「古参が物申す」事については非常に頭が痛い。

考えてみれば私たちはそもそも公式の
お目こぼしを受けて活動している二次創作勢であり、非公式の土俵にいる者同士だ。
お互い平等であり、
どちらが古くから活動しているとか、
どちらがグッズをより多く持ってるとか、
どちらの方が作品に関する知識が深いとかで上下が決まる訳ではない。

そんな状態で「公式的にはこうだ」「これは間違っている」という事を
互いに指摘し合うのは妥当なのか?

公式はもちろん一番尊重すべきで、
ないがしろにしてはいけい。
しかし、
「貴方は公式を尊重していない。間違っている」という警察じみたものを、人との和を乱してまで相手に指摘する事に意味はあるのだろうか?

繰り返すが、今回の事だけを言うのではなく、過去の事をも思い出しながらこれを書いている。

公式を守らねばならない、と考える姿は実に立派だと思う。
公式を尊重するのがファンの努めだろう。
しかしそれを人に押し付けるのもファンの努めなのだろうか?

少々屁理屈となるが、
そもそも公式が困っていると言っている訳でも、
公式から誰かに「誤った情報を直していただくよう連絡できないか」というオファーがあった訳でもない。

古参ファンとはそもそも本当に正しさを保証され、意見を述べる権利がある者たちだろうか?

間違った情報を流す事を肯定する訳ではないが、「公式と違う、間違ってる」と指摘する事は本当にすべて「正しい」だろうか?

くどいようだが今回の事だけではなく、過去起きた別の事も踏まえながらこれを書いている。


誤った情報が定着し文化になる時

「幽撃隊」の話になるが、略称について発売当初はそう呼ぶ人が多かったとして、
「魔都」と呼ぶ人も現在とても多い。
魔都と呼ぶほとんどは最近始めたプレイヤーだ。

ファミ通の記事を読んでいる昔からの人は幽撃隊と呼び、最近始めた人は魔都と呼ぶのだ。

このジャンルのゲームタイトルは漢字がやたら多く、そして長い。
主催者の広報Twitterはいつも140文字制限の中で頭を悩ませながら行っている。
記載できる文字数は少なければ少ないほどありがたい。
シリーズタイトルをいっぱい並べて書くとき、
例えば魔都紅色幽撃隊と妖都鎮魂歌と並べて書くときの
「魔都」「妖都」で済む使い勝手の良さにはこれまで何度も助けられてきた。

別の話をすると、
九龍2の舞台は網走だと思っている人は多い。
しかし逆にリチャージ準拠の正しい舞台名を言う人は少ない。
皆守をアロマと呼ぶ人はいるが、
今やそれは古参の中の呼び名で、今そう呼ぶ人は少ない。

今述べた事の中には原作にない事だったり、ファンの中で勝手に生まれたものも含まれている。
「魔都」も、現状使い勝手が良く、馴染みのあるものとして多く略称として定着しつつあ
るが公式に準じるならばこれらは確かに間違っている

公式では魔都と呼ばず、皆守をアロマと呼ばず、九龍主人公は網走へ行かない。
しかし仮にここで
「公式に準じていない全ての事は間違いで、ファンの中で生まれたものは邪流」とするならば、
話は飛躍するのだが、
例えば原作に無い<主人公女体化>も、
公式にはない設定であり、直されるべき対象になるのだろうか?

「ジュヴナイルの主人公といえば男と監督が言っていたから、わざわざ女にする必要ありますか?」と言われたら、
女体化はファンの間で自然発生したものだから当然公式には無い。
(もし女体化は公式のお墨付きがあったりしたら申し訳ない)

しかしこれとて、一つの文化とは言えないだろうか?

先ほどの間違った呼び方も、一つの文化とは考えられないか?
正しいか?で言えば間違っているというカテゴリーに入ってしまうのかもしれない。
しかし、正しいか正しくないかで物を判別してしまうと、
それを扱う人も間違っているのだろうか?

今後「公式的には正しくないものはやめよう」を非公式同人オンリーイベントに反映してしまうと、
特殊な設定好きサークル全般も弾かれる対象になってもおかしくないのだ。


オンリーイベントをやる主催者について

そもそも個人主催のオンリーイベントの主催者とは、公式に準じた
「正しいファン」がやるのだろうか?
それともジャンルを代表する強い影響力を持ったリーダーがやるだろうか?
誰よりも古くから作品を知り尽くし、誰もが認めている人がやるだろうか?

はっきり言ってそんなに条件を満たした主催はいないと思う。

オンリーイベントの主催者に
「公式はこうですよ」と知識を啓蒙できるような影響力はさほどない。
(自己認識と他者の認識は違うかもしれないが、少なくとも主催からすると影響力は強大ではないと常々思う)

ただ、イベント開催期間中「あれをしないでください」「これをしないでください」極めて限定的な範囲で物は言える。

しかし「イベントは大勢の人が見るものなんですからしっかりしてください」という古参ファンからのメッセージが送られて来た事があって、
(もし社会的にマズい表現があったり人を傷つける情報をイベント企画で提示したなら直ちになんとかしなければならないが)

個人イベント主催者は、企業のような正確性と、細部まで公式を尊重した
正しいファンでなければいけないのだろうかと?と疑問に思ったのだ。

間違った情報を一切流してはならないと周囲に気を張り、常にしっかりしなくてはいけないのだろうか?

なぜこんな事を書くのかと言うと、
ああいうメッセージは本当にキツイからだ。

もしオンリーイベントで誤字脱字含めて、
情報を間違わない為には、
複数の運営人により、間違った情報を流さないよう互いにチェックしながら運営しなければならない。

しかし常にそういう正しさを求められたら、主催などやりたがる人などやがていなくなるのではないのか?

正しさの為にイベントをやれるのか?

主催者のこだわりについて

もしも仮に「自分は正しいファン」だと自負している人がいるとして、
一切の間違った情報を言わない人だったとしても、
その人がイベントの主催者をやっても当然、
今度はその主催者なりの「自分のこだわり」があるに決まっている

やりたい!という気持ちには「こうしたい」というこだわりが(強弱の差はあるにせよ)どこかに必ずあるはずだ。
可視化されている場合もあるし、されていない場合もあるかもしれない。

そうすると、正しい、正しくないの項目とは別に、
主催の提示するものが参加者にとって「合うか、合わないか」という基準も新たにできてくる筈だ。

上記の正しいかそうでないかの前提の話は一旦ここで区切り、
次にこのイベントがこだわっていた事の話をする。
 

このイベントがこだわっていたこと 


当オンリーで大事にしていたのは、
(最近少し方針転換もしたが)
新規と古参が「知識の有無にかかわらず」別け隔てなく交流できること、だ。

すなわち、古参にも寄らないし、新規にべったりでもなくバランスよくやりたいという目的がある。 

そのためのイベントのサークル参加の記入時のルール設定には、
サークル配置時の作業負担の軽減とは別に、
古参にしか通じないもの&新規にしかわからない表現は徹底的に記載を変えてほしいとお願いし、
双方に通じるものにしてもらった。
(主人公をデフォルトネームで申請しないで、とか、「鬼道衆」とだけ書かないでとか。)


この時、別に公式を意識して「こうしてください」と言ってはいない。
また、サークル参加者のこだわりはサークルカットに書いてもらい、
いわば主催個人の強烈なこだわり(古参、新規を問わない場にしたいという事)のために
設けたルール設定の中でサークル参加者の皆さんに記載方法は無理にお付き合いいただいたのだ。


イベントの共通の紹介欄では揃えてもらうが、
古参にしか通じない表現や新規にしかわからない表現を否定したい訳ではない。
逆にサークルカットでは何でも好きなように描いてもらうようにお願いしている。 
(その時、公式にある・ない、正しい・正しくないは全く問わない。)

イベントの主催のこだわりの話だが、
公式を確かに尊重すべきとは思いつつも、
それとは別に
「公式も大事だが、それと同時に新規&古参問わずファンの中で生まれたものも尊重されるべきだ」という
こだわりがあるとしたらどうなるだろうか?

ジャンルの中に、公式とは異なっているけれど、
魔都も、網走も、女体化も、そこにあるなら
それだって文化としてそれでいいじゃないか、と思っているのである。

魔都紅色〜を略すとき、正しいのは幽撃隊だとは知っている。

しかし、「魔都」と呼ぶ事もある事を知っているし、運営上文字数制限のある時はかなり助けてももらった。
それでも間違いは間違いなのか。 

個人的な事になるが、「公式はこうなんですから」というあの恐ろしい古参マウンティングを
自分が人にしたくないという思いもある。

新規と古参が「知識の有無にかかわらず」別け隔てなく交流する際に
「正しくはこうですよ!」と言う事が
交流の妨げ一因になるのではないかと思うのだ。 

決して間違いを是認する訳ではない。

しかし一つの文化が形成されていたらあえてそこには激しく踏み込みたくないのだ。

だからこれまでイベントでは魔都紅色〜を略す時、「魔都」も「幽撃隊」も両方を併用してきた。 

正しいファンであるなら幽撃隊で統一するだろう。しかし正しい主催でありたいとも自分自身思っていない。
何故なら「イベントなんですからしっかりしてください」と強要されてイベント主催をやりたくなんかないからだ。
イベント主催者が正しい「拡散者」でいなければいけない決まりもない。
正しさを人に求められたくもないし、
公序良俗に反しない限り人にも求めたくない。

社会的に人を傷つけるような表現があった場合はすぐ対応するとして)
公式とは無関係のところで生まれた文化(同人)の中で日々生きている私たちが、
互いに「それは間違っているから直してほしい」という指摘をわざわざ送る意味など果たしてあるのだろうか?

同じ文化(穴)で生きる私たちが、である。

非公式の「正しくないグレー」の中で生きる私たちが「正しくある事」に徹底的に注力する事は大事だろうか?

大事な人もいるだろう。
しかしそれは主催一人が正しく直せばすべてまるっと解決するだろうか?

逆に今ある、自由な空気を尊重するという発想はどうだろうか?この在り方が「間違っている」と思うなら、
おそらく根底でこだわる部分が何か読み手と合っていないのかもしれない。

お手紙の話

また、イベント主催者へ「こうしてほしい」という意見やお手紙を受ける事があるが、
それを受け入れてしまうと、
無限に「こうしてほしい」「ああしてほしい」を聞き入れ続けなければならず、

一般企業のように、
お客様の声を真摯に受け止め、
お客様の立場を守りながら、
真摯に改善に努めるべきという理念を同人イベントに持ち込んでしまったら簡単に消耗してしまう。
あえて無視していくルールも必要だと感じている。

今回の呼び方に関してのメッセージには一度は「幽撃隊」にしますねとお返事したものの、
やはりこれまで書いてきた要因が尾を引いていて、

申し訳ないのだが、これまで述べた通り、
間違いかもしれないけど
文化としてそこにあるならそれも内包したいという流れのまま、
運営方針としては魔都も、幽撃隊も、
どちらも今後その都度で併用して使っていく方針で活動をしていきたいと思っている。
(申し訳ない)

公式はこうだからではなく、
なんらかの他者へ「こうあるべき」を用いた結果、
そのジャンルにいる人、主催も、参加者にとっても窮屈な思いに繋がるのを防ぎたいからである。



今後、匿名メッセージボックスの廃止も予定している。

直近の8月のイベントでは、お題箱への匿名メッセージが今までのイベントの量の平均からすると、倍近く届いていた。

匿名メッセージも、
送った方は自分が誰だがわかっているが、
送られた方はまったく分からない。

送り手側は安全な所から文章を送れるが、
受け取り手は誰が送ったのかもわからない分、恐怖感がつのるのだ。

匿名メッセージで送り手側がどんなに文面を優しく書いたつもりでも、
見ず知らずの人から貰う訳だから、
応援メッセージなら嬉しく感じるものの、
そうでない場合はすぐよくない方向へ思考も働いてしまう。

Twitterにも書いたが、
匿名のメッセージは、こちらは誰から送られてきたのかわからない分、被害者意識まで引き出して増大させてしまう。
その被害者意識から返事が冷たく、攻撃的になるときもある。

なぜ今回お題箱のメッセージに対してここまでキリキリしているのかというと、
6月まで続いたイベントが8月まで延長し、終わってやっと一息つきたい8月下旬まで、
匿名メッセージは断続的に送られてきていたからだ。

イベント終了後は直ちに連絡手段シャットアウトなどを用いて、あらゆるリンクを切る事もできた筈なのだが、そこまで考えがいたらず、イベントが終わっても匿名メッセージを受け取っていた。

イベント後の主催者なぞ走りきったランナーのようにもうヘトヘトだ。精神的には休んだ方がいい。   
この夏だけは匿名メッセージが特に多かった分、やっと落ち着けそうだと思ったタイミングで、今回の「呼び名を直してはいかがでしょう?」という匿名メッセージが来てしまったので、かなりトドメのような形になった。

内容も過去にイベントで起きた問題を想起させるのに十分だったし、
匿名メッセージでなければまた受け取り方は全然違っていただろうし、
いつもの私だったら良きようにできたかもしれないが
問題提起や提案で、短期間に2回メッセージが来たり
タイミングがとにかく悪いところに入ってしまったと思っている。
送り手に悪気はないだろう。
とにかく被害者意識がとうとうてっぺんまで行ってしまった。

とにかくこのnote記事はもう30回ぐらい書いては修正している。
この辺で何度も何度も考えるのも終わりにしたいと思う。

とりあえず今後匿名メッセージボックス(お題箱)は今年度9月末ごろをもって、
一旦取りやめの予定でいる。

これまで多くのメッセージが寄せられ、
大変お世話になった。
イベントへの感想なども大変励みにさせてもらった。
心から謝意を送りたい。 


今後は送り主が把握できるメッセージ送信形態で直接のやり取り中心に考えていこうと思う。
申し訳ない限りだが、ご理解とご協力をいただけたら幸いだ。

最後に、
息の長いジャンルの中にいると多くのものを見てきた人も大勢いるかもしれない。
どうか暖かい目で見守っていただき、古参も新規も分け隔てなく
両者楽しく共存できる世界ができたらうれしい。

こちらも今後も心身に負担のない範囲で何かできたらいいなと思う。
また何かご縁があれば嬉しい。

黄昏刻に龍ぞ棲む主催 もぎ

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