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9月の火曜日「ナイトルーティン」

 時間が限られていて、なにかと焦ってしまうのは断然、朝なのだけれど、やっぱり夜も忙しい。二歳児のナイトルーティンはイヤイヤとの闘いだ。夕飯を食べてお風呂に入ったあとの数時間は、朝とは違い時間に追われることはないものの、わりと慌ただしい。最悪、無理矢理にでも家を出てしまえば良い朝とは違い、元気の塊のような子供を寝かしつけなくてはならない。

 まず、歯磨き。他の子がどうかは知らないけれど、やっぱり自分から進んでやるようなことはあまりない。たまに素直にいうことを聞くときもあるけれど、大抵は何度も言ってようやくやってくれる。もしくはほぼ強制的に済ませてしまう。つぎにトイレ。最近はトレーニングパンツという脱オムツ用の厚手のパンツを履いている。寝るときはまだオムツだけれど、生活の場面場面でトイレに行く習慣をつけている。これも毎回なんとかなだめすかして、こなしている。

 まだ布団には入らない。ここまでこなして、コップに飲み物を注ぎ、窓際のソファに座って、今度は夜空を眺める。いつのころからか、これも娘のナイトルーティンに加わっている。部屋の照明が窓に反射ってしまうので、アレクサに電気を消すように言って、飲み物を飲みながら、月や星を見る。英語教室で習ったのか、娘は「ムーンみる!」と言って、毎回楽しそうに眺めている。曇り空の日は「ムーンいないねぇ」と少し残念そうだ。それでも雲間から小さく光る星を見つけては「あっ、スター!」といって指を差す。たまに、これを忘れて布団に入ると、しばらくしてから思い出したかのように「ムーンみてない」といってリビングに戻るので、多分、気に入っているんだと思う。今夜は中秋の名月だそうで、八年ぶりに満月と同日なのだそうだ。妻に言われるまで、そんなことは知りもしなかった。僕の家は月見なんてする習慣はなかった。一般的な家庭にはあるのだろうか。祖父母がいる家庭はもしかしたらあるのかもしれない。家族で月見なんて、サザエさんとかそういう世界の話だと思っていた。だから、僕も毎晩のこの時間は、結構気に入っている。

 そして布団に入る。でもまだ眠らない。以前から、このタイミングで動画を見たりしてはいたけれど、ここ最近の娘のお気に入りは、赤ちゃんのころの動画をみることだ。『みてね』という、家族や親戚を登録しておくと、写真やビデオを共有出来るアプリがあって、そこにアップした写真やビデオが月ごとに自動で仕分けされる。過去に遡って、自分が赤ちゃんだったときのビデオを見るのが楽しいらしい。ほぼ毎晩、布団に入ったタイミングで、「あかちゃんのときのココみる」と言ってくる(娘は自分のことを『ココ』という)。どういう思いなのかは判らない。保育園で下のクラスの子たちと接する中で、なにか思うことがあるのだろうか。あとは、妻の妹が妊娠中で、そのことをなんとなく理解して楽しみにしているようだ。だからなのかは判らないけれど。
 今夜はたまたま、一歳一ヶ月くらいのときのビデオをいくつかみていて、その中の一つに、娘が初めて歩いた日のビデオがった。つかまり立ちや、つかまり歩きはとっくに出来ていて、あとは自分の足だけで歩くだけ、というような時期だったと思う。その日も、一旦何かにつかまって立ち、そのあと手を離す。ゆらゆらと揺れながら、歩けそうでそれがなかなか難しい。妻が「あんよが上手あんよが上手」と声をかけながら、注目されているのが恥ずかしいのか、はにかみながらも歩こうとして、揺れている。そして次の瞬間に、右足が一瞬だけ床から離れ、ほんの少し前に出る。その瞬間に妻の「はっ!」と感極まるような声がして、その声に娘もハッとして、ソファになだれ込むように三歩くらい歩く。僕はビデオを撮っていたので、なるべく声を発しないようにしていたけれど、妻と同じように感極まっていた。大げさかもしれないけれど、娘が生まれてきたときくらい感極まったと思う。

 そのビデオを見たあと、何を思ったのか娘は立ち上がり、横に揺れだした。あのときの自分のモノマネ(?)をし始めたのだ。僕が思わず笑いながら起き上がると、あの日ソファになだれ込んできたときのように、僕に抱きついてきた。多分、しばらくはこの『自分モノマネ』が娘のナイトルーティンに加わるのだと思う。

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