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1月の土曜日「みんなあつまれ」

 図らずも大家族的な感じになって早一週間あまり。前回の日記には、さぞ楽しいことばかり、みたいなことを書いたが、実際は気を遣ったりして大変なのでは……? と若干、自分でも思っていたのだけれど、案外そうでもないというか、まぁ、多少なりとは気を使ったりする場面もあるのだけれど、些細なことばかりで、ほぼほぼ杞憂だった。寝るまではリビングに大集合という感じだけれど、寝る部屋は分かれているし。いざとなったら僕には自室があるというのも大きいかもしれない。もしかしたら、みんなの方が気を遣っているのかも。というより、多分そうだろう。

 とはいえ、家の中が賑やかになって、娘は楽しそうだ。一才の子と赤ちゃんがいるので、お姉さん気取りというか。楽しそうに一緒に遊んでいる。やはり子供は子供と遊ぶのが楽しいのだろう。結構なことだ。僕はといえば、この物価高騰の折、光熱費が心配だけれど、まぁ、なんとかなるだろう。いろんな意味で。洗濯物や洗わなければいけない食器は山のように増えたけれど、そのほとんどをお義母さんや妻の妹たちがやってくれるし、ご飯まで作ってくれるので、共働きの我が家としても、大いに助かっている。

 それに加えて、家の中の食べ物が本当に増えた。食べ物で溢れかえっていると言っても良い。思わず「実家かよ!」とツッコミたくなるくらい。といっても僕の実家は、そこまで食べ物が多いわけではなかったけれど、一人暮らしのころと比べればやっぱりたくさんあったし、今では家族三人だけれど、娘もまだ三歳なので、そこまで食べ物が多いということもなかった。まぁ、必要最低限よりは多めというか、僕も妻もあまり食べ物に執着しないので、強いて言えばお菓子が増えたくらいだったけれど、いまのこのフルハウス的な状況においては、もう本当に笑っちゃうくらい沢山ある。物が沢山あるってのは、やっぱり豊かなことなんだな、としみじみ。コンマリさんには悪いけれど、断捨離とか言ってんのはやっぱクソだな、と思わないでもない。積ん読しかり、『いつか使うかもしれないもの』というのは可能性であり、可能性とは希望だ(述語がデカい!)。なんでもかんでもあれば良いというものでもないけれど、自分の好きな物だったら、いくらあっても構わないのかも。

 とまぁ、現実には背伸びして買った中古のマンションなので、スペースには限界があるけれど、ギリギリとはいえ、まだ少しだけ余裕がある。なんだか、暗にお土産を要求している旅芸人とか巡業中の落語家みたいな言い草だけれど、オチというかシメが思いつかないので、今回はこのへんで。
 

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