この世のどこかにある扉

最近のくら寿司ではビッくらポンを遊ぶかどうか選べるようになっており、タッチパネルの初期画面では「ビッくらポンを遊ぶ・ビッくらポンで遊ばない・ビッくらポン!プラスで遊ぶ」という三択が提示される。最後のビッくらポン!プラスというのは、一皿あたりの価格がプラス10円される代わりに当選確率が「三回に一回」になるというサービスらしい。殺伐としている。というわけで、通常の確率で遊ぶことにした。正直ビッくらポンをやりたい、当てたい、ここらで一発逆転狙いたいなどの気持ちは十年ほど前から皆無なのであるが、能動的に「やらない」を選択してしまうと、これまで開いていた、この世のどこかに存在する扉が閉じてしまうような気がして、そうした「畏れ」から毎回遊ぶことにしている。二人で16皿ほど食べた。最後に皿を流すと、三回目でア タ リと出た。うわーマジか。ア タ リ かー。景品を開封すると、いくらの寿司、を持っている、胡蝶しのぶの、キーホルダー。はい?何ですかこれは。い く ら かー。要らないなあ。何でし の ぶがい く ら持ってるの?他の人は何持ってるんだろう?まあいいか。何にせよ要らないなあ。ここからは、いつもと同じだ。とりあえず「これあげる」と友達に言ってみる。「いや、要らない」「当てたのお前だから」と言われる。「いや、誰が当てたとかじゃないから」「いや、いい」「要らない」「俺も要らない」。いつもどおり。いくらの寿司を持っている胡蝶しのぶの、押し付け合い。見るに耐えない。哀れな人間の哀れな営み。さて、要らないなら初めからやらなければいい、と思うかもしれないが、それに関しては先ほども申し上げたとおり、扉が閉じてしまうからね。この世のどこかにある扉が。誰も、責任を取ってはくれないからね。

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