書店にいると思い出す言葉


中田敦彦が何かの動画で、本を買う時のマイルールの一つに「立ち読みして、一行でも"いいな"と思う文章があったら買っていい」というものがあると話していた。この動画を観たのは、おそらく四年以上前なのだが、今でも書店で本を買うか迷っているときに、よくこの言葉を思い出す。そして、買う。結局のところ、その言葉を思い出すのは、その本をどうしても手に入れたいからで、中田敦彦は、本の購入を正当化するためにその都度、都合よく召喚されているにすぎない。「本っていうのはさ、一行でもいいなって思うところがあったらもう買っちゃえばいいんだよね」「本っていうのは自分への投資ですから」「ねー」と、心の中の中田敦彦が言う。最後の「ねー」というのは、中田敦彦の口癖だ。「あの」とか「えっと」のような、場を繋ぐための表現みたいなもので、中田敦彦なりのそれが「ねー」というわけである。そういえば先日、「ファスト教養」という新書を読んだのだが、この本を購入する際にも中田敦彦に助けてもらった。この本を買うか迷っていた時、すでに私の片手には一冊の本、しかも三千円くらいする、があり、これ以上買っていいものかと頭を悩ませていた。そこで、満を辞して登場したのが中田敦彦である。「本っていうのはさ、書くのにものっすごい時間がかかってるわけ」「その道のトップランナーの人たちがですよ、自分の研究とか考えたことをめいっぱい」「”まだいける!まだいける!"って詰め込んで」「編集者の人とかも、ああでもないこうでもない、ってやってさ」「それでようやく完成するのが本なんだよ」「それをさ、たった千円とかで買えちゃうんだぜ」「すごくない?」「買うしかなくない?」「ねえ?」「買うしかないよね」「ねー」。御説ごもっともである。これはもう、買うしかない。私は本を手に取った。中田敦彦、ありがとう。いつも、ありがとう。結局私は、ファスト教養を含む二冊の本をレジに持っていった。やはり、本というのは、一行でも”いいな”と思うところがあったら、買ってよいのだ。その後、私は近くの喫茶店に移動し、アイスコーヒーを注文した。そして、さっき買ったばかりのファスト教養を開き、読み始めたのだが、なんと、この本では全体を通してずっと「中田敦彦のYouTube大学」が名指しで批判されていた。すごいよね。こんなことあるんだなって。驚天動地だよね。ねー


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