それの何が面白いの?

馬鹿馬鹿しい・どうでもいい・死ねなどの内なる声に抵抗しながら、ここ数年は何とかかんとかしており、最近ようやく深呼吸する、姿勢を正す、腹筋に力を入れるなどの方法で早急な復帰が可能になりつつある。具体的には、あーどうでもいい全てが。と思ったら腹筋に力を入れる。そういうことである。ところで、筋トレすれば全て上手くいくみたいな説が人口に膾炙していたりしていなかったりすると思うがこれは完全な嘘である。もうしばらく週3、4くらいの頻度でトレーニングを続けているが、ただ面白いだけで精神的に安定したという実感はない。筋トレというのはマリオパーティのミニゲームである。この意味を説明するつもりもないが、結果的に体が鍛えられていて良かったなとは思っている。そういえば、スナップえんどうをツナとマヨネーズとからしで和えたら美味しかった。晴耕雨読という言葉があるが、晴れた日にスナップえんどうを収穫して、雨の日にソードアートオンラインを読んでも「晴耕雨読」である。ずいぶんと脇が甘いと言わざるを得ない。コロッケそばを五回作るという記事を書こうとしてずっと書いていない。なぜか。コロッケそばを五回も作りたくないからだ。作る義理もない。コロッケそばを一度も食べたことがない。YouTubeで何かしらの動画を投稿したいと思っているが何かアイデアがあるわけでもない。編集もしたくない。特に何も言うことがない。今日車でテレビを見ていたら(正確には、目線だけ合わせていたら)子供たちがオルゴールに触れて感想を言うというような場面があり、一人の女の子が「いろいろな曲を聴いたが、眠くなるほどきれいだと思った」というふうに言っていた。説明するまでもないだろうが、これはおそらく「眠くなればなるほど(きれいだ)」という意味だと思う。眠くなるというのは一般的にはあまり良い意味では使われない。だからこそ、眠くなるほどきれいというのは素敵だなと思った。話は変わるが、先日妹と話して最近のことを色々と聞いた。近頃は恋人とご飯を食べながら呪術廻戦を観ているらしいのだが、重要な場面になると恋人が一時停止を押して「はい。これの意味分かる?これはあの時のあの発言と繋がっていて…」というように解説を挟むのだという。そしてまた再生を押す。また五条悟がそれらしいことを言ったら、一時停止を押す。「今の聞いた?」と言う。それの繰り返しらしい。私はまっすぐに、それの何が面白いの?と思ったが、いったん言わずにとどめておいた。結局、それの何が面白いの?ということをさまざまな表現でかつ小分けにして伝えたが、妹もこれの何が面白いの?と思っていたようだ。ZANGEこたつうさぎさんの絵本「絶壁ちゃん」を購入し、届いてすぐに読んだ。とても素敵な絵本だった。感想としては、不安を心の中に抱えたまま安心することができた、という感じだろうか。「わかるよ」って言いたいけど、自分がいかに卑怯で狡猾な人間かを知っているから、安易に口に出せない。いいなと思っても、伝えられない。そういうことはある。これまでもたくさんあった。でも最近は、それでも伝えた方がいいと思っている。結局のところ、自分にも自分の本心など分からないからだ。ふつうに最初から読んだり、絵を見たり文字を見たり、ぱらぱらとめくってみたりしている。それと個人的には、名刺サイズのイラストが同封されていて嬉しかった。ピンクが好きなのでスマホとスマホケースの間に入れようかとも思ったが、ケースが汚すぎたので一旦やめた。また何かあったら書きます。

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