赤いスイートピーの畳み掛け感

えーこんにちは

俺の悩みを一言で表すなら「この世界(の意味)に完全にコミットできないこと」という感じでしょうか。敢えて言い切りますが、そもそも人生に意味なんてないのに、みんなよくTOEICの勉強できるなあ!TOEICの勉強してる人すげー(皮肉じゃない)

andymoriのweapons of massdistractionという曲に「きれいな人形が欲しいよ 僕にとっての君みたいな」という歌詞があるのだが、最近そういう気持ちになることが多い。今後もこの虚しさと付き合っていくなら、何かそういうものが欲しいかもなあ。多分それと関連するんだろうが、この間唐突に絵が見たくなってツイッターでフォローしている方の絵を見に行ったりした。その時間だけは意味とか価値とかそういうものから離れられた気がして、こう言っていいのか分からないが心地良かった。

いきなりですけれど、最近面白かったツイートを紹介します。

うん

赤いスイートピーの「心の岸辺に咲いた赤いスイートピー」の畳み掛け感ヤバいですよね。最近は、人は孤独から逃れられないんだろうと思っているから、たしかに岸辺かもなーと思う。昔は何となく「二人で一人」みたいなのが恋人のイメージだったが、今はどれだけ親密になっても結局人は一人なのだろうと思っている。でも、だからこそ岸辺に咲いたという表現は等身大で美しいと思った。以前読んだブログに他人との関係性を「橋を架ける」という比喩で表現している箇所があり、それに近い。一人一人は孤立した島で、橋を架けることで繋がることができるんだけれども、最後はやはり自分の島に帰っていく。そういう関係性だ。昔の自分なら、どことなく冷めているとか、寂しいとか思ったかもしれないが、今はあまりそう思わない。

煉獄杏寿郎がかっこよく見えるのは、自分を犠牲にしてでも他人を助けるから、というより、「自分を犠牲にしてでも他人を助ける」という道を信じて疑わないから。信じて疑わないものがあることに対する憧憬。今新宿の反戦デモに参加している人たち、あなたがたのことを尊敬しています。


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