ソフトクリーム味のソフトクリーム
ソフトクリームが好きだ。
冷たくてあまい。片手で持つことができて、食べやすい。勢いよくかぶりつくと、鼻にクリームが付いてしまったりする。幼い頃の思い出。
最近またソフトクリームを食べるようになって、気付いたことがある。私には、好きなソフトクリームとそうでないソフトクリームがある。
昔はソフトクリームなら何でも良かった。見境なく食べていた。でも、今はそうじゃない。
私がソフトクリームに求めているもの。それは味でも形でもない。
思い出だ。
たとえば、遊園地で祖父に買ってもらったソフトクリーム。ファストフード店で友人と食べたソフトクリーム。クリームを舌ですくい取る時、そうした思い出をもすくい取っているのだ。
どこか懐かしいような、庶民的な味のソフトクリーム。このようなソフトクリームを、私は牧場のソフトクリーム(牛乳味のソフトクリーム)と対比して「ソフトクリーム味のソフトクリーム」と呼んでいる。
牧場のソフトクリームには搾りたての生乳が使われている。それゆえに、牛乳感が強い。
美味しいとは思う。だが、思い出を喚起しない。
どれだけ探しても、牛乳がいない。そういうソフトクリームがいい。牛乳味ではなく、昔食べたソフトクリームの味。
もちろんソフトクリームである以上、材料に牛乳は使われているだろう。だが、それを感じさせない。
牛乳が、居留守している。
それが理想だ。
いるはずなのに、いない。戸を叩いても出てこない。カーテンが薄くて、中に牛乳がいるのは分かっているのだが、なぜか頑なに出てこない。
これだ。これがソフトクリーム味のソフトクリームである。
牛乳の居留守。
これこそが良いソフトクリームの条件だと言える。たとえば、マクドナルドのソフトツイスト。これなどは典型的な居留守である。
数日前、私はマクドナルドに行った。ソフトツイストを注文する。百円玉を一枚、渡すだけでいい。
幸せとは何か。高級車、マイホーム、家庭。それらを手にするには莫大な金額がかかる。
もっとハードルを下げてみてはどうだろう。百円でいい。百円でも幸せは買える。
番号が呼ばれて、ソフトクリームが手渡される。私はそれを右手で受け取る。私を強くするのは剣でもペンでもない。この、ソフトクリーム味のソフトクリームだ。
ソフトクリームをなめる。
うん
牛乳が、居留守している。
見事。そして、ありがとう。完璧だ。
牛乳が姿を現さない。レーダーには映っているのに、出てこない。柱の影に隠れている。ありがとう。その忍耐力のおかげで、私は思い出をなぞることができる。
まだたくさん残っている。溶ける前に食べ切ってしまおう。ソフトクリームをなめる。
うん
牛が、派手な行動を慎んでいる。
この牛は、戸を叩く私を無視しているのではない。和室で座禅している。悟っているのだ。この牛の精神は今、宇宙に通じている。
ソフトクリームをなめる。
うん
本当に面白い人は 「面白いでしょ?」という感じを出さない。
牛も同じだ。主張しすぎてはいけない。いる、けれども、いない。このバランスを理解している。玄関から出てきてはいけないし、留守でもいけない。居留守。
ソフトクリーム味のソフトクリームから学ぶことは多い。
良いものを使っているからと言って、必ずしも完成品が良いものであるとは限らない。そして、慎ましく振舞うことの大切さ。そういうことを教えてくれる。
今年は皆さんもソフトクリームを食べてみてはいかがでしょうか。2022年、お互いに良い年にしましょうね。ソフトクリームをなめる。
うん
正月って何をするのが正解でしたか
(おわり)
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