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いじめ被害回想録〜東村山第七中学校編〜

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昭和59年度〜61年度に在籍した東村山市立東村山第七中学校時代に受けたいじめ被害のだ回想を執筆しました。
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2019年8月の記事一覧

いじめ加害者との話し合いを拒否したという判断は正解だった

1984.冬頃の中一の時に上記記事で執筆したいじめを受け、部活等の都合の有無に関わらず、加害者側の意向で 私に対する不満がある理由で「話し合い」を当時の担任及び副担任だった部活の顧問が容認・立会いで行われた。 授業が終わって帰宅及び部活に出ようとしては加害者らに捕まってしまい、 私が悪いということを認めるまで帰らせない ということで強引に引きづられた。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私が言った通りだった主犯格の加害者に推薦されてやらされた委員会

8月31日の夜から9月1日の朝にかけて

#8月31日の夜に   学生達の夏休みの最終日もあって、翌日の9月1日に嫌な友達と再会する憂鬱さが募ることから #自殺率 が高いと言う説があると言われている。 そんな私の10代も同様な経験をしており、 仲良くしてくれている友達の再会を期待していたどころか、二学期の始業式に起きたトラブルが機で、大切な学校生活をダメにした悲しい思い出を送ったことがあった。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ラジオ体操でのやり取り1983年の小6だった12歳の時に、夏休みの最終週