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11月19日はミハイル・ロモーノソフの日(架空記念日ブログ)
おはようございます。本日は令和5年11月19日(日)です。さぁ今日はアジアプロ野球チャンピオンシップ決勝戦、井端ジャパンは韓国と19:00プレーオフとなっています。先発ピッチャーは西武の今井達也投手の登場です。今期はキャリアハイ10勝5敗防御率2.30とエース級の活躍しました。同僚の隅田知一郎投手は今日と同じく韓国戦で7回無失点と圧巻のピッチングをしました。巨人赤星優士投手は台北戦で4.2回無失点、楽天早川隆久投手はオーストラリア戦で5回無失点パーフェクトと先発陣が軒並み好投をしております。ぜひ今井投手も続いて欲しいですね。
530年前の1493年11月19日にイタリアの探検家クリストファー・コロンブスが現在のプエルトリコをヨーロッパ人で初めて発見しました。それまでの先住民はアラワク族系のタイノ人が住んでいて、ボリンケン島と呼んでいました。コロンブスの発見以降様々なヨーロッパ人が訪れ活気に溢れた事からプエルト・リコ(豊かな港)と呼ばれるようになりました。本格的にこの地域の支配が始まるのはコロンブスが訪れてから15年後、当時コロンブスと一緒に船に乗って島に訪れていた、スペイン総督のファン・ポンセ・デ・レオンによって行われました。
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リドルフォ・デル・ギルランダイオ(1483-1561)
今日の架空記念日は?
312年前
1711年11月19日にミハイル・ロモノーソフが誕生しました。
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ゲオルク・カスパー・プレナー(1720-1766)作
ミハイル・ロモノーソフという人
ロモノーソフはロシア帝国のアルハンゲロドロゴ県出身である。彼はロシア極北ホルモゴイ付近に生まれた。
1722年10歳の時には漁師の父を助けて働いていた。彼は勉強は好きだった為、知り合いに本を借りて独学をしていたが、近くに学校がなかった為本格的な教育を受ける事ができなかった。
学生時代
1731年19歳の時に、友人のつてでモスクワのスラヴギリシャラテンアカデミーに入学する。ロモノーソフは1日3コペイカ(0.03ルーブル)で過ごしながらもう勉強し、12年の過程を学年トップの成績で5年で修了した。その後、1年間キエフ・モヒーラ・アカデミーで学ぶが、教育レベルに我慢できずモスクワに戻った。
1736年ロモノーソフは奨学金を得てサンクトペテルブルグ大学に行った。ロモノーソフはそこでも物理学を始めとして抜群の成績を残した。さらに言語学に興味を持ち、フランス語とドイツ語も学んだ。その成果を認められて、ドイツの大学で学ぶための2年分の奨学金を獲得した。
留学時代
ロモノーソフはドイツヘッセン州にある当時の名門マールブルグ大学に入学し、啓蒙時代の哲学者で科学者のクリスティアン・ヴォルフに学んだ。
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マールブルクでは詩にも興味持ち、詩人ヨハン・クリスティアン・ギュンターなどの作品を参考にして自身で詩を作り、1739年にロシアを賛美する『トルコの要塞ホーチン占領を讃えて』といった作品を残している。しかし留学中に現地の女性と結婚したために生活がたち行かなくなり、1741年サンクトペテルブルクに戻った。1743年には妻もロシアにやってきた。
科学者として
ロシアに戻るとロモノーソフはサンクトペテルブルク大学の教授に任命され、後に学長になる。
1748年7月5日に数学者レオンハルト・オイラーに向けた手紙の中で、気体分子運動論や質量保存の法則を思わせる言葉を残している。
同年重力を説明する古典力学的理論について成果を残している。
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ヤコブ・エマヌエル・ハンドマン(1718-1781)作
1755年に貴族のイワン・シュバロフの支援を受けてモスクワ大学を設立した。
1756年にロバート・ボイル(ボイルの法則の人)が1673年に行ったフロギストン説に疑問を持ち、日記に「密閉したガラス容器に金属をいれ、加熱して質量がどのように変わるかを調べた。13ページに及ぶ記録の結果、ボイルの実験は間違いであり、外気が無ければ金属が燃焼しても質量が代わらない。」と記している。この発見はアントワーヌ・ラヴォアジエの功績になっている、フロギストン説の打破と質量保存の法則が確立した1789年よりずいぶん前の事である。
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ヨハン・ケセルブーム(不明-1708)作
1762年ロモノーソフはアイザック・ニュートン(ニュートン力学の創始者)やジェームス・グレゴリー(グレゴリー式望遠鏡の考案者)の望遠鏡を改良し、ロシア科学アカデミーの学会に先立って公開した。凹面鏡が1つであり、調整軸が4つある。凹面鏡で反射した光が接眼レンズに集まる仕組み。この成果は1827年までに論文に掲載されなかったため、先発明は数年後に開発した、イギリスのウィリアム・ハーシェルに与えられている。
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ゴドフリー・ネラー(1646-1723)作
どうにもとまらない
ロモーノソフは水銀を凝固させた初の人物
1760年に氷山が生成していく過程を説明
1761年に金星に大気圏があると過程を立てた
土壌、泥炭、石炭、石油、コハクが生物が変化したものであると証明した。
地理学者として
ドイツの気象学者アルフレード・ヴェーゲナーの大陸移動説を思わせるような記録(大陸移動説を提唱したのは1912年)
南海から氷山が来ることから、南極の存在を予言
航海中の距離と包囲をより簡単に求める道具の発明
1746年ヴァシーリー・ヤコヴレヴィチ・チチャゴフ将軍を隊長とする探検隊を組織し、北極海航路を発見。
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まとめ
ロモノーソフはこれ以外に芸術家や文学者の側面もあるけど、もうお腹いっぱいよね。とにかくこれだけ次々とタスクをこなしているのは、物凄く頭の回転が早いんでしょうね。しかし質量保存の法則や望遠鏡もしかり、全て自分の手柄にしない奥ゆかしさもあったのかなと思いました。
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ミハイル・ロモーノソフ作
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スタジオジブリ週間5日目
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111日チャレンジ42日目
テルーの唄/手嶌葵
映画『ゲド戦記』は2006年7月29日に劇場公開。スタジオジブリ制作、宮崎吾朗監督・脚本。原作はアーシュラ・K・ル=グウィン『ゲド戦記』の第3巻「さいはての島へ」、宮崎駿の絵物語『シュナの旅』を原案とする。キャッチコピーは「かつて人と竜はひとつだった」
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挿入歌『テルーの唄』は2006年6月7日リリース。手嶌葵はこの映画でデビュー。作詞:宮崎吾朗、作曲:谷山浩子。
あとがき
スタジオジブリのホームページを見てびっくり
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常識の範囲で使って良いそうです。嬉しい事ですね。
ジブリパーク実はまだ一度も行ってません。最初の頃に何度が抽選を外して、また落ち着いたら行こうって思ってて今日に至ります。先日「もののけの里」がオープンしたらしく、またチケットが取りにくくなってるとか。
地元民としては、一度は訪れたいんですけどね
いつになることやら。それではまた明日。
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