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10月23日はサルトル&ボーヴォワールの日(架空記念日ブログ)

本日は令和5年10月23日です。
今回は自由(10)と罪(23)という事で、自由が罪ってのが近い言葉で「人は自由の刑に処されている」という深い名言を残した劇作家ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトルさんを追っかけたいと思います。中々の面白い人でした、思想的な事は読んでても退屈なのであまり触れないようにしますので、悪しからず。

今日の架空記念日は?

サルトルという人

ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル(1905ー1980)フランスの哲学者、小説家、劇作家。

ジャン=ポール・サルトル

1905年フランスのパリ16区で生まれる。生後15ヶ月の時に父親が亡くなり、ムードンの母方の祖父に引き取られる。3歳で右目をほぼほぼ失明する。サルトルの家はお金持ちだったようで、ブルジョワ知識人階級の中で育ちます。1915年、9歳の時にパリの名門リセ(日本の高校と同等の教育機関)であるアンリ4世校(パリで一番頭のいい高校)に登録する。そこで後の作家ポール・ニザン(「トロイの木馬」の作者)と出会う。

最初のやらかし

1917年に母親の再婚に伴い、ラ・ロシェルのリセに転校、しかしラ・ロシェルでは全く馴染めず、母親なお金を盗んで祖父に見放されたり、少女を口説こうとして失敗し、己の醜さを自覚したりした。言うほどやらかしてないが、これはあかんと思った家族の手により1920年に再びアンリ4世校に転校し、ニザンと再会する。

運命の出会い(サルトル視点)

1928年にアグレガシオン(1級教員免許)試験に落第する。この時に同級生の従姉妹に結婚を申し込むが、アグレガシオンを落第した事を理由に断られている。
翌年の1938年にはアグレガシオン試験に首席で合格する。その次席にサルトルの生涯のパートナー、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、5位のニザンも合格している。

ちょっとその前に

ボーヴォワールという人

シモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908ー1986)フランスの哲学者、作家、批評家、フェミニスト理論家、活動家。

シモーヌ・ド・ボーヴォワール

1908年1月8日、パリ6区モンパルナス大通り103番地で弁護士な父と銀行家の娘の母の間にシモーヌ・リュシ・エルネスティーヌ・マリ・ベルトラン・ド・ボーヴォワールとして生まれる。翌1909年に母の銀行家が破綻する。

貴族趣味の父

1914年に第一次世界大戦が勃発してるなか、普通にやっとけば優雅に生活出来た、弁護士だった父ジョルジュは貴族趣味だった為、今以上の収入を求めてる弁護士を辞めて、新事業に手を出すが失敗し経済状況が悪化する。1919年にシモーヌが11歳の時には、ついに優雅な生活を捨て狭いアパートに引っ越す。この頃から父ジョルジュには、結婚せずに働けと言われるようになる。

運命の出会い(シモーヌ視点)

1928年20歳の時にソルボンヌ大学に入学。ジャン=ポール・サルトル、ポール・ニザン、ルネ・マウー(後のUNESCO事務局長)と出会う。マウーから「カストール(ビーバー)」というあだ名を付けられて、サルトルもそのあだ名で呼ぶようになり親しくなった。翌年1929年にアグレガシオン試験に合格、首席はサルトルで次席はシモーヌ、ニザンは5位、マウーは落第。

契約結婚

シモーヌはサルトルから、「婚姻も子どもを持つこともなく、嘘をつくことも隠し立てをすることもなく、互いの性的自由を認めつつ終生の伴侶となること」を提案される。制度としての婚姻や母性を拒否し、自立と自由を求めていたシモーヌはこれを受け入れる。サルトルはこの結婚に対して「私たちのあいだの愛は必然的なもの。でも偶然の愛を知ってもいい」と言っている。つまり必然の愛が契約結婚で偶然の愛が自由恋愛って事。最初の契約は2年間だったが、サルトルが亡くなる1980年まで51年間続いた。

バルザック記念像前にて

サルトル、カニとタコが嫌いになる

1935年にサルトルは想像力の実験のため、友人医師ラガッシュにメスカリン注射(幻覚剤)を受ける。サルトルは全身にカニやタコが這い回る幻覚に襲われて、向こう半年間、幻覚が伴ううつ症状になり甲殻類恐怖症になる。

自由を履き違えてるよね→サルトル

1935年にシモーヌが自宅に住まわせて面倒を見ていた教え子のオルガにサルトルが好意を寄せて三角関係になり、この関係は1937年まで続く。この時、シモーヌは自由恋愛と嫉妬について冷静に考察し1937年に処女作「招かれた女」を書く契機になっている。サルトル最低だね。

シモーヌ、出会うの使い方間違ってますよ

1937年シモーヌはビアンカ・ビアナンフェルド(女性、後の作家ビアンカ・ランブラン「ボーヴォワールとサルトルに狂わされた娘時代」の著者)と出会い、サルトルはオルガの妹ワンダ・コザキエヴィッツと出会う。ワンダはサルトルと結婚する気満々でしたが、サルトルは豪快に振ってます。1938年シモーヌはジャック=ローラン・ポストとの親交を深める。ビアンカとは手紙でやり取りしつつ6月に一緒にモルヴァンに旅行、10月に教え子のナタリー・ソロキーヌと出会う。そんな中、サルトルは長編小説「嘔吐」を発表。

もうタイトルが・・・

ノーベル賞、だが断る

1964年にサルトルはノーベル文学賞に選出されたが、「作家は自分を生きた制度にすることを拒絶しなければならない」と言って受賞を拒否辞退して授賞式を欠席した。サルトルはこれ以外に全ての公式な賞を辞退している。

もう無理まとめます

はい、この2人本当にやばい、もうこれくらいでいいと思います。どんどん出て来ます。自由恋愛って恐ろしいですね。2人に振り回された被害者がどれだけいたのか計り知れません。私たちが道徳的にも必然的な愛だけに生きるのは、他者を振り回さないための留め金なのかもしれませんね。ただ、これだけドロドロとした人間関係が繰り広げられてる心中のほとんどをこのイケイケカップルは活字として残してるから資料としての価値が高いのだと思いました。あー疲れた。

今日のさわだくん

111日チャレンジ15曲目

それが大事/大事MANブラザーズバンド

1991年8月25日リリース、大事MANブラザーズバンド3枚目のシングル曲、発売当初はあまり知られて無かったがフジテレビ系「山田邦子のやまだかつてないテレビ」のテーマソングに選ばれるとたちまち大ヒット、最近は野球選手が登場する時にかかる曲などに使われたりしています。

あとがき

はい、朝から書き始めて夜勤明けなので少し寝たけど、全然終わらずにもう出勤時間。今回の2人マジでヤバかった頭おかしなるわ。感情移入しやすいから迂闊に手を出しちゃいかんかった。それではまた明日。