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4年生たち

(この記事は、2018年11月に書いたものを転載したものです)

今の大学4年生が1年生だった時、私の試合観戦歴が始まった。だから、彼らに対する思いには特別なものがある。そんな彼らが今日の演技会をもって新体操人生に一区切りをつけると聞いた時、ああそうか、もう彼らが国士舘大学の部員として新体操する姿はこれが最後なんだなと、感慨深いものがあった。

彼ら4年生たちの思い出を交えて、今日の国士舘大学演技会の様子を少し書いてみたい。

福永将司(ふくながしょうじ)選手
福永君がインカレ・全日本チャンピオンとなった今となっては、なにか不思議な組み合わせのような感じもするが、彼は鹿実出身である。あの、真面目で謙虚で控えめな彼が、「カジツ」で演技をしていたことが、少し不思議な感じがするのである。しかし、彼が実はサービス精神にあふれ、観客を楽しませる術を心得ている人だということを示すエピソードがある。

井原フェスティバルでのこと。福永君が傘を持って、タキシードのような衣装で踊ったことがあった。観客はやんやの大喝采であった。フェスティバル終了後に写真撮影を頼むと、彼は快く応じてくれた。その際に「あの衣装、素敵でした」と伝えたところ、「ではせっかくなので、着替えてきますね!」と言い、わざわざその衣装に着替えてきてくれたのだ。たった一枚の写真のために。

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福永君は、文武両道の人である。学業成績があまりに素晴らしいので、新体操部の山田監督のところに、ほかの教授たちから驚きの声が寄せられるほどだという。

彼はインタビューの時も、多くを語らない。彼の口から出てくるのは、丁寧ではあるが控えめで、力の抜けた言葉が多い。彼のお母様にお話を聞くと、「家では普通の子です。バカヤローとか言いますよ」とのこと。「バカヤロー」と言う福永君を私は全く想像できないが、それもまた彼の持つ姿の一つなのだろう。「カジツ」の演技をする福永君も、学問に励む福永君も、ジャパンのチャンピオンになった福永君も、後輩たちに尊敬される福永君も、どれも彼の本当の姿なのだと思う。

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「どうしたら福永君のような立派なお子さんが育つのでしょうか」とお母様に聞いてみたら、「私は何もしていません。皆様に育てていただきました」という答えが返ってきた。

ジャパンチャンピオンのお母様もやはり、どこまでも謙虚であった。

一戸佑真(いちのへゆうま)選手
私が初めて国士舘大学に見学に行った時、まだ下級生だった一戸君に玄関口で会った。「体育館の入り口はどちらですか?」と尋ねると、彼は弾かれたように「ご案内します!」と言って歩き出した。体育館に入るとすぐさま椅子を持ってきた。さらに、グラスに入ったアイスコーヒーを持ってきて、私がミルクを注ぎ終わるやいなや、「ゴミいただきますっ!」と私の手からカラになったミルクを奪い取っていった。体育会系青年たちの鍛えられ方というか、古き良き伝統の底力というか、凄さを体感したのはまさにこの時だった(その後、様々な場面で同様の体験をすることになる)。

その数年後、4年生になる直前の一戸君の、リーダーとしての責任感を感じる出来事があった。仲間のアクシデントに対して責任を負おうとする、潔い上級生の姿だった。

彼は4年生の東インカレのあと、練習中に足首をケガした。私はたまたまその場に居合わせてしまったのだが、うずくまる彼の姿を見ながら「全日本インカレに出られるだろうか」と心配した。幸い、彼は全日本インカレに間に合い、見事ジャパンへの切符も獲得した。彼はいつも、少し笑ったような目をしている。インカレでも、いつもと変わらぬ、すこし微笑むような、飄々とした表情で試合に臨んでいるように見えた。ところがあとで聞いてみると、試合の少し前から胃腸炎に苦しんでいて、一つ演技が終わるとすぐにトイレに駆けこまなければならないような状況だったという。

今日の演技会で、佐々木先輩から受け継がれた赤いレオタードを着て、彼はクラブの演技をした。あの赤いレオタードは、男子新体操のレオタードの中でも最も素晴らしいデザインの一つだと私は思っている。それが一戸君にはとてもよく似合う。いつも穏やかな彼が演じるこのクラブの激しさは、あの赤いレオタードとともに、ファンの記憶にずっと残るだろう。

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卒業後は消防士の道に進むという。彼らしいな、と思った。一戸君はあの穏やかな目をしながら、強い責任感をもって、赤い炎と勇敢に戦うに違いない。

河野純信(こうのじゅんしん)選手
名前の通り、純朴な好青年である。アトランタで演技した時に、現地の女の子がそれはもうすごい勢いでキャーキャーと彼らに大喝采を送り、写真撮影を求めてくるのだが、河野選手は顔を赤らめながらもニコニコと丁寧に応対していたのが印象的だった。誤解を招きそうなので書いておくが、彼は女の子にだけ優しいわけではない。ジュニアの後輩に、「はいどうぞ!」と自分のスティックをプレゼントする様子を偶然にも撮影することができた時、彼の控えめな優しさを映像で残せてよかった、と思った。

そんな彼がマットに上がると、別人かと思うほどに豹変する。彼は「表情が出る」選手の筆頭だ。時に吠えるように、時に眉間に皺を寄せて、自分の世界を表現する。そのギャップがとても魅力的な選手だ。しかし、彼が通し練習の後に壁に手をつきながら苦しそうに歩くのを見て、心臓が破裂しそうな苦しさの中で表情を作り、曲を表現することがいかに大変なことかを見せられた気がした。当然のことながら、それができる選手はそういない。

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彼はインタビューの時も、実に饒舌に、楽しそうに話す。声の表情も豊かである。彼の豊かな内面性が何かの手段を持って外に溢れ出る時、彼はとてつもなく魅力的な人になる。河野君は、そのことに自分で気がついているだろうか。ジャパンで身につけていた新しいレオタードには、大きなストーンがたくさんついてキラキラ輝いていた。今後の人生の中で、彼という人間を輝かせるストーンを、一つ一つ身につけていってほしいと願う。

山口聖士郎(やまぐちせいしろう)選手
井原フェスティバルの夜のことだった。宴がたけなわになったころ、山口君が一人で私たちのテーブルに来て、「お世話になっております!」と挨拶してくれた(大学生でそういうことは、なかなかできるものではない)。そして彼はこう言うのだ。「僕らはもちろん強くなりたいと思っていますが、自分らの世代が勝つためには…と考えるだけではダメだと思うんです。今後10年間、ずっと勝ち続けるチームを作り上げていくにはどうしたら良いだろうか?と僕は考えています」と。

先日、ジャパンの前に、「自分たちが1年生だった頃と4年生になった時を比べると、体育館の雰囲気がずいぶん違うと思います」と彼は話していた。それは10年勝ち続けるチームを作るための、彼らの変革の第一歩なのかもしれない。

今日の演技会が終わったあとも、彼はやっぱり一人で私たちのところにやってきた。にこやかな笑顔で「どうもありがとうございました」と言う彼の顔は、なんだか「明日も体育館に来ます」という人のように軽やかだった。

「軽やか」といえば、マットの上で彼が動くたびに一緒にフワフワと動いていたあの髪の毛。あれが私はとても好きだった。だいたい、彼はお洒落な人で、いつだったか白いウェアを着ていたことがある。腕時計も白だった。究極にシンプルなのだが、それがものすごく格好良かったので、記憶に残っている。

どこに行っても誰からも愛され、成功するであろう彼が、いつか指導者になって国士舘の体育館に戻ってきて、そして「10年勝ち続けるチームを作りましたよ!」と言ってくれないかと、私は夢見たりしている。

山本悠平(やまもとゆうへい)選手
「実施の鬼」。盟友の山口聖士郎選手は彼のことをこう評した。まったくその通りの、あきれてしまうほどのノーミスぶりである。岐阜時代の彼を知る人々の口からは、「もっちは大学に入って変わった」とよく聞く。昔はとにかく細く華奢で、リーダーになるような性格ではなかったという。本人は今でも「人を引っ張るみたいなのは全く苦手で」と言ってはばからない。しかし彼は団体のリーダーである。1年生の時にリーダーを決めた時、同期の山口選手は個人を兼任していたため、山本選手に決まったのだという。

しかし今、鬼の実施力をもって国士舘団体を牽引する彼が号令をかける時、その姿は実にさまになっている。1年生の時から不動のA団メンバー。試合でミスを出さない。その安定感は、彼の体からオーラとなって放たれる。国士舘団体として最後の、今日の団体演技。もちろん彼は、これまでそうだったようにノーミスで大学生としての新体操人生をしめくくったのだが、いつもと違っていたのは、団体曲である「糸」に歌詞がついていたことだ。「自分は周りの人に助けられてここまでやってきたんです」と言う山本君、そして「それは僕もまったく同じ。先輩・後輩、同期の助けがなければやってこられなかった」という山口君のフィナーレにふさわしい曲ではなかっただろうか。

佐藤守弘(さとうもりひろ)選手
彼は仲間たちから絶大の信頼を得ている。誰に聞いても「素晴らしいキャプテンです」と返ってくる。それほどの主将でありながら、外部の人間が彼の仕事ぶりを見られる機会は、そう多くはない。ジャパンの前に2日間体育館で取材させてもらって、彼の働きがやっと見えてきた。A団体が流しの練習をする段階から、まるで獲物を狙う鷹のような鋭いまなざしでメンバーの動きを見ている。そして静かに的確な指摘をする。声を張り上げたり、派手なアクションをしたりすることは、私が見た2日間の中で一度もなかった。

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前年度の宮澤一成元主将に彼のことを聞いてみたところ、「守弘にキャプテンを引き継ぐにあたって、何の心配もなかった」と即答した。

そして、来年度の国士舘のキャプテンは川東拓斗選手が務めるという。川東選手は今日の演技会で個人演技を披露したのだが、マット際にスタンバイしている時に、ふと何か思い出したように音響係の下級生のところに歩いてきた。「音量について指示でもするのだろうか」と私が思った時、彼は下級生に「音楽、よろしくお願いします」と頭をさげて、そしてスタンバイ位置に戻っていった。

後で川東君にその時のことを聞いてみると、「全然、特別なことだとは思っていません。僕たち選手は、みんな周りの人のサポートのおかげで演技ができている。それを忘れないこと、感謝することは当然だと思っていますし、国士舘の選手で僕だけがそうしているのではないと思います」とのことだった。

佐藤君は、自身はA団のメンバーではなかったけれども、そして彼は「僕には新体操の技術はそんなにないので」と謙遜するけれども、こういう後輩を育てたという点一つをとってみても、誇りに思っていいと思う。宮澤君が「守弘なら」と佐藤君にキャプテンを引き継いだように、佐藤君もまた、川東君に伝統と改革のバトンをきっちり引き継いでいくのだろう。

4年生たち、今日まで本当にお疲れ様でした。

君たちの明日が、今日よりもさらに素晴らしいものでありますように。

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