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田中 啓介(たなか けいすけ) 国士舘大学4年

大学1年 ルーキー時代

4年間でこれほど印象が変わった選手もいない。

初めて国士舘大学でインタビューしたのは彼がまだ1年生の頃だったが、その時の第一印象は、「笑わないストイックな選手」。取材されることが好きではないのだろう、と思ったものだ(今思うと、ただ真剣なだけだったのだと思う)。そんな彼の練習の邪魔をしないようにと遠慮しつつ、それでも視界に入ってくる頻度が高い彼をカメラ越しに追った。

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彼はまず、体の大きさで目立つ。身長が特別高いわけではないが、手足が長く、マットの上での存在感は抜群だ。もちろん、技術的な意味でも目立つ。そして何より、彼は床に座って休むということがなかった。先輩のサポートをしたり監督やコーチに指示を仰いだり、手具を触っていたり、とにかくずっと動いていた。特に田中選手を追おうとしていなくても、どうしてもカメラを向けたくなる、そんな存在感を1年生にしてすでに持っている選手だった。

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大学2年 ドイツ遠征

大学2年時のドイツ遠征では、彼の別な一面を垣間見ることができた。田中啓介のイメージが、自分の中で大きく変わった。明るくて、人を笑わせるのが大好きなお茶目な大学生の男の子なのである。しかし、フロアに立つとノーミスを連発。毎日会場が変わり、したがって天井の高さも照明も変わるツアーの環境に見事に適応する技術が光った。ある時には、手具が天井を直撃したが、予想外のスピードではね返ってきた手具を難なくキャッチして演技を続けた。山田小太郎監督も「さすが啓介だ!」と手放しの褒めようであった。

大学3年 国士舘カップ

大学3年生の時の国士舘カップでのこと。「国士舘カップ」というのは、国士舘の学生たちが内輪で楽しみながら行う娯楽性の高い試合だ。鹿児島実業の団体演技「ウルトラセブン」を楽しそうに演じていた彼だったが、私が途中で外に出ようとした時、誰もいない廊下でスティックを回す彼の姿があった。「こんな時でも、誰も見ていないところで練習しているのか」と唸った。声もかけられず、カメラも向けられなかった。取材者が踏み込んではいけない、アスリートしか存在できない空間に、彼は一人でいるように思われたからだ。

大学4年 "The Force"

男子新体操の個人選手で結成したユニット"The Force"の活動では、実に愛嬌のある、愛すべき人物としての田中啓介が浮き彫りになった。その人柄は、The Forceのメイキング映像などでも垣間見ていただけることと思う。先輩、後輩とうまくコミュニケーションを取り、撮影現場の空気を和ませてくれた。

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余談だが、撮影の最中に注意深く観察していると、彼を見た一般の人々が振り返ったり、目で追ったりしているのがよくわかる。その現象を見るたびに、「この人がマットの上で踊るところを、もっと多くの人に見てもらいたい」という思いが湧き上がるのだった。

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男子新体操は、男子フィギュアスケートと同種のファン層を獲得できるはずだと私は信じている。そのためには、男子新体操版の羽生結弦が必要だと考えていた。ルックスと実力を兼ね備えている田中選手には期待するものが大きいが、"The Force"結成後に田中が出場した試合やイベント(東京オリンピックの体操会場でのエキシビション含む)が全て無観客であったことは、返す返すも残念である。

新体操歴

幼稚園の頃から新体操を始めた。当時の思い出として語ってくれたことで、とても印象に残っていることがある。

「練習をする体育館の床が、場所によって硬さが違うんです。『ここの床は痛い』『ここの床はそうでもない』って、体が覚えていました。」

「痛い」ことをなぜ、続けることができたのか。普通の子供なら、「痛いからイヤだ、やめる」と言うんじゃないだろうか。

新体操の選手を見ていると、共通する性格的特徴があるように思う。「我慢強さ」「意志の強さ」「優しさ」。特に全国で上位にくるような選手には、これらの特徴が揃っていることが多いと感じる。高校選抜やユースで全国優勝の経験を持つ田中啓介もその一人だ。「痛いけど、やめない」。そういう子供を、新体操が選ぶのだ、と思う。

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高校時代の思い出として語ってくれたエピソードも忘れられない。彼は高校2年の選抜大会で全国優勝したが、練習では足に2キロずつの重りをつけ、1日に12回(4種目×3回)通しをしたという。続く高3のユースでも優勝した。3冠を達成しようと臨んだインターハイの、最後のクラブの演技。

手具落下、そして無情にも場外。

およそ男子新体操の個人演技で、最もあってはならないミスである。全国大会であれば、優勝の可能性はその瞬間、ついえてしまう。

彼はその瞬間を、まるでスローモーションのように記憶しているという。「あっ」と思った瞬間、時間が止まった。気がついたらクラブがあんなところに…

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個人の試合が終わったあと、自動販売機で飲みものを買おうとした。そこで「当たり!もう一本」が出た。「ここか?ここで運を使い果たしたってことか?」と呆然としたという。

当時、彼は埼玉栄高校のキャプテンであり、ただ一人の3年生だった。ゆえに彼は、個人優勝を逃したことに涙するのを自分に禁じ、翌日の団体演技のリーダーとして振る舞った。

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周囲への感謝

クールに、かつ華やかに演じ、結果を残す。泥臭く練習する姿や、挫折に苦しむ姿はファンには想像しにくいかもしれない。しかし田中啓介が華麗に踊る姿は、幼稚園時代から彼が綿々と積み上げてきた、気の遠くなるような時間と汗でできている。

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コロナで試合が無観客になった時期に彼が語っていた言葉。

「いつも試合では親だったり、保護者さんだったり、チームメイトを見て、みんないる、みんながついてる、一人で踊るけど一人じゃない。『よし、できる』と言って、行きます。」

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後輩の織田一明選手(国士舘大3年)は、「田中先輩はいつも、練習のあと手具に向かってブツブツ言ってます」と語る。田中選手は練習の前後に必ず、マットや手具に「お礼」を言うのだという。

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福島の華舞翔にいた頃、「自分には才能がない」と感じ、新体操をやめようとしたことがあったという。決して初めから恵まれていたわけではなく、最初から上手かったわけでもない。

田中啓介という選手を知れば知るほど、彼が人よりも優れているのはその美しい外見ではなく、中身なのだと思わざるを得ない。

大学生アスリートとしての田中啓介。残る試合はあと一つ、ジャパンのみ。
彼にふさわしい場所へ、彼がたどり着くことを願う。

そしてその場所で、今まで見たことのない最高の笑顔で微笑んでいてほしい。

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