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能登の復興は、里山・里海がよりどころ

9月19日(木)の中能登町役場での企業版ふるさと納税の受納式を無事終えることができ、9月20日(金)は、中能登地域の観光開発を兼ねて、七尾市観光を愉しんだ。

七尾でレンタカーを借りて、裕美ちゃんの運転で、午前は能登島大橋を渡り能登島へ。初めての能登島観光だ。

七尾市は能登最大の町であり、観光地としては和倉温泉や能登島がある。しかし、和倉温泉の護岸工事は未だ手付かずの状態であり、和倉温泉の完全openはあと2年はかかるとか。早期の復旧復興が待たれる。

その和倉温泉から能登島大橋を渡って能登島をドライブした。能登島の道路もまだ至るところが工事中であり島一周とはいかなかったが、海岸線を走るドライブは、能登島から七尾湾と対岸の七尾市を望むことができ、七尾の里海を堪能することができた。

お昼は七尾市街に戻り、"能登食祭市場・道の駅"で海産物を堪能した。
食祭市場では、能登の海産物の他、輪島塗の茶碗や箸も販売されていて、4人ともそれぞれ、ここで能登の土産物を買うことができた。

食事のあと、"花嫁のれん館"を訪れた。お恥ずかしいことに、能登で生まれ育った私であるが、”花嫁のれん”のことは全く知らなかった。
七尾線特急列車に臨時で”花嫁のれん号”が走っているくらいで、それは何のことだろうとずっと思っていたのだ。

能登の結婚式では、嫁ぐときに女性の家では箪笥長持ち等の嫁入り道具を持たせて嫁に出すそうな。その嫁入り道具(?)の一つが"花嫁のれん”なんだと。
明治以降の庶民(庶民と言ってもそれなりの資産家だろう)の中での風習らしい。明治・大正・昭和・平成・令和と150年以上に亙り、連綿と続いているらしい。
それぞれの時代の花嫁のれんが展示してあった(この花嫁のれんは、実際使われたもので、全て個人から寄付されたものだと)。

お嫁さんが、嫁ぎ先の仏間に入る前に、その花嫁のれん(紋は実家のもんだそうな。嫁ぎ先の紋ではない)を潜って、ご先祖様にご挨拶をするらしい。
また、結婚式のおり、酌み交わす盃は割ってしまうのだと。元に戻らない。決して実家に戻らないということらしい。今なら、嫌になったらとっとと別れてしまう。180度様変わりだ。


七尾から15時39分発の特急能登かがり火に乗り金沢に向かう。金沢で12分待って北陸新幹線かがやきに乗り換え東京に帰る。
1泊2日だったが、受納式やそれから後のいくつかの打ち合わせのセッティングもあって、あわただしい充実した能登出張だった。

[ 能登の里山里海について ]
「能登の里山里海」は、日本列島のほぼ中央に位置する石川県の北部、日本海に突き出た能登半島の4市5町に広がっています。2011年6月、新潟県佐渡市の「トキと共生する佐渡の里山」とともに、国連食糧農業機関(FAO)により、日本で初めて世界農業遺産に認定されました。

[ 世界農業遺産とは? ]
世界的に重要な農業地域を未来へ引き継いでいくため、国連食糧農業機関(FAO)により2002年に開始されました。伝統的な農林漁法、伝統技術、農村文化や景観、生物多様性などを構成要素とした「地域システム」を認定し保全することを目指しており、正式にはGlobally Important Agricultural Heritage Systems(GIAHS:ジアス)といいます。

能登の復興のよりどころは、里山と里海だ。
中能登町の里山、七尾市の里海を拠点にして、能登の創再生の応援をしていきたい。

10月から、私の能登の復旧・復興、創再生の応援が本格化する。
気分一新、私の第2生をスタートさせよう。少なくとも100歳までは現役を務めたい。

”一生青春”、”一生燃焼”、”一生現役”で、人生いつも前のめりになって、倒れて次の世へ、という理想の生き方を現実化させよう。

不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)


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