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人間=ビジネスの基本と[TEAM OUEN NOTO]

お世話になったら、「お世話になり、ありがとうございました」と、ご馳走になったら、「ご馳走に預かり、ありがとうございました」と、それも形だけではなく、心を込めて(お礼の言葉やメールやLINEの文章は、心を込めて書けば、その感謝の心は自ずと滲み出てくるものだ)表現することが絶対必要だ。
何でもないようなそんなことが、その人の人格を育て、その人に幸せをもたらす。

私は人と人をつなぐことを生業にしている。
私のサービスや商品は、"人の心"だ。
だから、何気ない「お世話になり、ありがとうございました」、「ご馳走に預かり、ありがとうございました」が、人の心を和ませ、ビジネスの成約につながったり、心がこもった発言をした人の人格を高めることだと、そのことはよく理解できる。

当然、その逆もある。「ありがとうございました」の言葉を発することができなくて、ビジネスが成約に至らなかったり、その人の人格のレベルはその程度なのか、と相手に思われてしまうこともあるのだ。

どちらかと言えば、前者の成約率よりも、後者の不成約率のほうが、何倍も高いように思う。

人は感情の生き物であり、理性よりも感性で生きていることが多い。心したいことだ。

感性といえば、私はやはり[唐獅子牡丹]だ。

義理と人情を 秤にかけりゃ
義理が重たい 男の世界
幼馴染の 観音様にゃ
俺の心は お見通し
背中で吠えてる 唐獅子牡丹

親の意見を 承知で拗ねて
曲がりくねった 六区の風よ
積もり重ねた 不孝の数を
何と詫びよか お袋に
背中で泣いてる 唐獅子牡丹

朧月でも 隅田の水に
昔ながらの 濁らぬ光
やがて夜明けの 来るそれまでは
意地でささえる 夢一つ
背中で呼んでる 唐獅子牡丹


来週の14〜15日に石川県に出張する。
14日は私が生まれた中能登町、15日は私が高校のおり学んだ金沢市だ。
もう半世紀前のことになる。しかし、ふるさとは格別だ。特に大地震に襲われたふるさと能登半島に行くことは、得も言われぬ私の感性が震える。

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの

望郷の詩句として名高い室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」である。実はこれ、遠方にあって故郷を思う歌ではなく、犀星が郷里の金沢に帰郷したおりに作られた詩という。
東京で思うにまかせぬ暮らしを強いられ、懐かしい故郷に帰っても温かく受け入れてもらえない。その悲哀、郷里への愛憎半ばする思いが「遠きにありて……」の言葉となったらしい。・・・・・。

こんな毎日新聞のコメントがあったが、私にはそんなことはどうでもいい。
ふるさと石川県が生んだ詩人[室生犀星]の「ふるさと」の詩は、私なりのふるさとを思う詩なのだ。

能登で生まれて、中学生まで、私は慈父であった祖父と厳母であった祖母に育てられた。その思い出が中能登町にぎゅっと詰まっている。
また、金沢市は、多情多感な高校の3年間、東大を目指して自由奔放に青春を謳歌した思い出の街だ。
受験地獄とは真逆の高校生活の3年間だった。この気風が、その後の半世紀の私を形づくってくれた。
金沢は、私の自慢のふるさとの都である。

金沢は加賀百万石の城下町。百万石の大名は、私のふるさとである金沢しかない。

江戸時代の石高の上位10傑は、
①前田/加賀藩 102.5万石
②島津/薩摩藩 72.9万石
③伊達/仙台藩 62.6万石
④徳川/尾張藩 61.9万石
⑤徳川/紀州藩 55.5万石
⑥細川/熊本藩 54万石
⑦黒田/福岡藩 47.3万石
⑧浅野/広島藩 42.6万石
⑨毛利/長州藩 36.9万石
⑩鍋島/佐賀藩 35.7万石

[OUEN Japan]で、[TEAM OUEN NOTO]を組成しよう。[OUEN COMPANY]のなかから、[TEAM OUEN NOTO]に加わってくださる企業を募集しようと思う。もう数社から手が上がっている。

では、今、何が能登で求められているのだろうか。
これから10〜20年タームのプロジェクトになる。"ボランティアをビジネスに"していかなければ、この長期戦を戦っていくことはできない。では、[OUEN Japan]で何ができるだろうか?

そのためのスタートのヒアリングであり、現地視察である。

まずは、[TEAM OUEN NOTO]は、オール石川と手を組むことだ。加賀百万石、金沢とのコラボレーションが絶対不可欠だと思う。
そこで私の人脈が生きてくる。

さあ、[TEAM OUEN NOTO]をスタートさせよう。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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