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私が思う"賢女"の定義

[重陽の会]は、女性経営者や経営幹部、その候補者たちがメンバーだ。人生を、明るく、前向きに、自分らしく生きようと考え、行動している女性の全てが対象だ。

私は、その人たちを"賢女"と表現したが、SDGsの17の目標の5番目にある"ジェンダー平等を実現しよう"という現代においては、この"賢女"という言葉も気をつけて発言しなければならないらしい(そのような指摘を受けた)。

ネットで"賢女"を繰ると、「かしこい女」「さかしい女」「しっかりした女」「学芸の優れた女性」と出てくる。類語に、「才媛」「才女」「才色兼備」「キャリアウーマン」等々。
私の賢女のイメージとは違う。

私的には、私のような一匹パンダ・ドラえもんでも世の中を大手を振って歩くことができる素晴らしい時代になった(これは"宇宙の大流"だ)ことだと時代の変化をとても喜こんでいるが、そのため、言葉のニュアンスが時代によって変わってくることで、言葉選びは気をつけなければならないことも事実だ。逆に、「何ともはや難しい時代になったものだ」と思わないことはない。


[重陽の会]のメンバーは、明代の哲学者である呂新吾が呻吟語で言っている、第一等の人物を目指してほしいと思って、私はこの第一等の人物を"賢女"と表現している。

深沈厚重なるは、これ第一等の資質
磊落豪雄なるは、これ第二等の資質
聡明才弁なるは、これ第三等の資質

すなわち、
深沈厚重なる女性は賢女であり、第一等の資質を持っている。
磊落豪雄なる女性は烈女であり、第二等の資質
を持っている。
聡明才弁なる女性は才女であり、第三等の資質
を持っている。
と言うことだ(これは私の定義)。

あくまでも、私の定義だが、
【賢女】とは、深く"本質とは何か"を考える人。どっしりと落ち着いていて、心が穏やかな人。人間性が豊かな人。心清き、心温かな人。人のことを思い遣る、論語で言う"恕の心"を持った人のことだ。

【烈女/列女】読み方:れつじょ
節操をかたく守る女子。また、信念を貫きとおす激しい気性の女子。

【才女/才媛】読み方:さいじょ/さいえん
頭がよく、すぐれた女性。

【才色兼備】読み方:さいしょくけんび
優れた才能を持ち、また容姿も美しい人のこと。女性に対する誉めことばとして一般に用いられる。「才」は、才能・学識。「色」は、容姿の美しさ・美貌。

子貢問ひて曰く、
「一言にして以て終身之を行ふ可き者有りや」
子曰く、
「其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」

[訳]
子貢がたずねて言った。
「ただひとことで、一生行なってゆくに値することばがありましょうか」と。
子曰く、
「それはまず恕(じょ)(すなわち思いやりの心)だろうな。
(恕というのは)自分が(人から)されたくないことは、人にもしてはならない(ということだよ)」と。

重陽の会のメンバーは、このような深沈厚重の人物を目指してほしい。恕の心を持った人、それは"人のことに思いを致す"人ということだ。そのような人を私は"賢女"と呼びたい。

私が言う烈女は第二等、才女は第三等の人物だ。
世間で「我こそは才女なり」と風を切って生きている女性がいる。成績優秀、見目麗しい女性、才色兼備の別嬪さんかもしれないが、人物としては第三等(決して三流の人物と思っているのではない)であり、そのような人は、私から見たら決して魅力的な女性であるとは思わない。

賢女である彼女たちが、自ら、なりたい自分になることができる、平等を超えた公平な、活気ある社会をつくっていってほしいと思う。
そして、賢女であるからこそ、ジェンダーを問わず、皆んなで手を取り合って、緩やかなつながりでも強固な絆をつくることによって、皆んなが幸せになることができる社会をつくっていってほしい。そのリーダーを目指してほしいと思うものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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