裕美ちゃんとの出逢いを思う
久しぶりに、安藤裕美さんとお電話をした。
裕美ちゃんは、日欧フーズ(株)副社長だ。
伊勢丹(新宿、立川、京都)にて洋食レストラン「西櫻亭」を、丸ノ内ホテルにて高級鉄板焼き処「大安くらぶ」を経営している。
加えて、今年の5月には、川越の丸広百貨店にて「西櫻亭川越丸広店」を出店した。
コロナ禍が落ち着き、新規開店した西櫻亭で、彼女はてんてこ舞いの毎日を送っていたようだが、漸く従業員は落ち着き、一段落と言ったところか。ホッと一安心、胸を撫で下ろしているようだ。
私と裕美ちゃんとの出逢いは、もう4年前になるだろうか。
銀座のイタリアンレストランで、ある人に紹介された。
私と彼女とは、親子ほど歳の差がある。三男の一つ歳下だ。
まだ短いお付き合いなのに、彼女は親子のように付き合ってくれる。
私には3人の息子たちばかりで、娘はいない。さしづめ、末っ子の長女、目のなかに入れても痛くない「愛娘」だ。
初対面で名刺を交換した。彼女は、まだ若いのに「副社長」の名刺を出す。そして、レストランを経営しているのだと。
ちょうど孫娘の7歳の誕生日祝いをしようと思っていたので、大安くらぶにしようかと思ったが、この店は接待のお店ということで、バツ。
それでは、妻と伺おうかと彼女に言った日は、ちょうど彼女が京都のお店に出張の日だとか。2回も振られた。
しかし、ここで諦めない(しつこい)のが私のキャラクターだ。
それではと、ちょうど、ある接待の予定があったので、「その日はどうか」と聞いたところ、その日は、大安くらぶにいるとのこと。
三回目で、漸く、目的を達することができた。
それから、彼女とのメールの交換が始まった。そして、ちょうど1ヶ月くらい経ったころだろうか。
お互いの家族の話になって、彼女はお祖父様の安藤明さんのことをメールしてきた。
その人こそ、「昭和の快男児、日本を救った男、『安藤明』」。
(「昭和の快男児、日本を救った男、安藤明」(古川圭吾編、中山正男著。講談社出版サービスセンター)に詳しい。
安藤明さんは、徒手空拳で「天皇・マッカーサー会見」を実現させた、裏舞台の立役者だ。
いわゆる、このような傑物を、「国士」というのだろう。
彼は、私財を投げ打って、昭和の「鹿鳴館」である『大安クラブ』を開設した男だ。その目的はただ一つ。
それは、・・・『天皇制護持』
裕美ちゃんの体には、そんな「国士」の燃え沸る血潮が流れているのだと、改めて彼女のことを考えた。
そして、私の胸に、歴史の一場面に出逢ったような「熱き想い」が沸沸と湧いてきたのだ。
彼女とのそんな出逢いがあって、今は親子のようにお付き合いしている。
妻も同じく、彼女を娘のように可愛がっている。
安藤明さんの命日は、ちょうど終戦記念日の8月15日だ。
昨年も、青山墓地にある安藤明さんのお墓参りをした。一度は彼女と、もう一度は妻と。
妻は、安藤明さんの墓前で、「日本を救っていただいて、ありがとうございました」と手を合わせていた。
今年もまもなく、8月の終戦記念日が来る。
裕美ちゃんと私たち夫婦で、安藤明さんのお墓参りをしようと思い、彼女にお電話をしたのだ。
アンナは、8月14〜16日に上京し、私は、彼女と企業に同行訪問しなければならないので、命日の15日は何かと慌ただしい。
それでは、13日の日曜日はどうかということになって、彼女も何とか都合がつくという。
青山グランドホテル2階の日本蕎麦屋「KAWAKAMI-AN」で、ゆったりとランチを済ませてから、青山墓地の安藤明さんをお訪ねしよう。
私は決して、安藤明さんのようなスケールの大きな人間ではないが、その爪の垢でも煎じて、その真似事でもできれば本望と思っている。
人は何のために生きているのか。
それは、「世のため人のために生きる」ことなのだろう。
それが、人間としての最大の喜びであり、幸せなのだと思う。
中村天風師が仰るように、人間の本体は「霊魂」である。
私の霊魂が安藤明さんの霊魂に触れ、その高い志の僅かでもいただくことができたら、それはこの上ない喜びであり、幸せなことだ。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)
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