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「生前葬&出陣式」の勧め

「夢想」とは?
1.夢の中で思うこと、夢を見ること。
2.夢のようにあてもないことを想像すること、空想すること。

夢は楽しく、大きいのがいい。
稲盛和夫さんは、「想い続けることで、夢をかなえた人」だ。
夢のように、あてもないことを想像したり空想したりして、追いかけ想い続けると、それがだんだん具体的になってきて、白黒から天然色に、そして総天然色になって、見えてくるらしい。そして、最後には夢が現実になるそうな。
私もそんな「夢見る夢夫」になりたいものだ。

しかし、見たくない夢を、寝て見る夢に見ることがある。
寝て見る夢は、潜在意識で思っていることが夢で顕在化してくるのだろうから、見る夢は「偽らざる本心」なんだろう。

たまたま昨夜は、サラリーマン時代に「忖度」のなかで生きている夢を見て飛び起きた。「あゝ、夢で良かった」とホッと胸を撫で下ろしたものの、真夜中の12時だったが、眠れなくなってしまった。こんな夢は見たくはない。
しかし、夢に出てくる潜在化したものは自分の本音だから、「自分の本性が分かった。ありがたい」と思って、自らをしっかり見つめるようにすればいい。
身に起こることは、全て良きことなのだ。

私はサラリーマンには向いていないと思う。よくもまぁ、四半世紀の長きに亙り、向いていないサラリーマンを続けていたものだと思う。

四半世紀前、ほんのちょっとしたことが切っ掛けで、人生の一大決心であるだろう「転職」を決めたのだから、浅慮にもほどがあるが、44歳で向いていないサラリーマンを辞めたのは、結果オーライだったと言うことだろう。
人生は、試しに二つの道を歩いて良かったと思うほうを選ぶことなどできはしない。決断して、一つの道を選ぶことしかできないのだ。

「一匹パンダ」「ドラえもん」になって、はや四半世紀以上になる。
これから100歳まで、あと30年だ。この30年を現役バリバリで突っ走ろうと思う。しかし、悲壮感はない。淡々と、穏やかな心で、年相応に無理をせず、人一倍、心と身体に留意しながら仕事をするだけだ。

「私はなぜサラリーマンが向いていないのか」と考えた。

人嫌いではない。人一倍人が好きだ。人の好き嫌いはあるが、基本的に人と上手くやっていくことは無理なくできると思う。

ただ、サラリーマンであれば、人生の山坂を歩くなかに、いつかは「下り坂」を下り続ける時代が来ることに我慢がならないと思ったのだ。
そんな我慢をしなければならない人生は、私にとって「下らない人生」だと思ったからだ。

しかし、その「下らない人生」でも、真逆の「下らない人生」がある。
私は、後者の「下らない人生」を歩いて行きたいと思う。

それは、「下り坂がない人生」だ。すなわち、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を追いかける人生だ。
若ければ、「垂直登攀」、壮年であれば、「急坂の登り坂」なんだろうが、生まれ変わったとは言っても、齢70にもなれば、緩やかな「上り坂」をコツコツコツコツと上っていくのが相応しい。
30年の長丁場だ。万が一、それが50年になるやもしれず。これからは、長く歩き続けることができる「緩やかな上り坂」の人生がいい。

私は、半ば思いつきもあったが、昨年、「生前葬&出陣式」を行なった。そして、それから1年以上が経った。

「上り坂」の人生を歩き続けるには、一旦、人生を区切るのがいいと思う。そうでないと、どうしても、後半生は「下り坂」になってしまう。
五木寛之さんは「下り坂の人生を謳歌」することをお話しになっているが、それも生き方の一つ。しかし、その生き方は私には似合わない。

全ての人にお薦めするものではないが、私は、「生前葬&出陣式」は人生を豊かにする一大儀式だと思う。
戒名をいただいて、後半生を戒名のような人生を送ろうと思うことも、「上り坂」の人生を生きることにつながる。

生前葬は、お金よりも人集めがポイントだ。多くの親しい人たちに参列していただくことがなかなか難しいようだ。
しかし、この機会に、これからの人とのつながりを見つめ直してみようと考えれば、「生前葬&出陣式」は大変いい機会ではないかと思う。

普通のサラリーマンにはちょっとハードルが高いかもしれないが、オーナー経営者や自由業の人には、是非ともお勧めしたい。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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