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旧乃木邸見学ツアーに招待される

瑞華院了聞の馬形さんが、[旧乃木邸一般公開と裏赤坂のんびりウォーク]のツアーに招待してくれた。

馬形さんとは、学生時代から半世紀に亙る付き合いをしている。往時、本郷の東大の近くに「鶴山館」という岡山県の学生寮があった。私もそのそばの西片に下宿していた。そして、春日にあった居酒屋「養老乃瀧」で、私と鶴山館の寮生たちとの交流が始まった。それが馬形さんとの付き合いの初めだ。

私は、卒業後安田信託銀行に入社したが、馬形さんは、「博重さんが勤めている安田に入社したい」と、私が勤めていた渋谷支店を訪ねてきた。私は人事部の採用担当者である橋本世紀男さんを紹介した。
石油ショックのせいで厳しい就職戦線だったが、彼の「背水の陣を敷いて」のアプローチがあり、彼は最後の内定者として安田信託銀行に入社してきた。「最後の内定者」というのは私と一緒だ。銀行では私の2年後輩だ。

彼は、早稲田大の全早連(全国早稲田大学学生会連盟)の委員長をしていたので、顔は広い。

そんなことで、彼とはなんだかんだと長い付き合いをしている。

彼が了聞に勤めることになって、南麻布に「都市型納骨堂」をオープンしたというので、私は一昨年に納骨堂の50年契約をした。
その流れで昨年6月4日に生前葬も了聞で執り行った。

この[旧乃木邸見学ツアー]は、乃木大将の命日である9月13日(水)に開催される。
この日は乃木さんの命日であることもあり、通常非公開の旧乃木邸に入場して観光ができる。
軍人の住居としては質素な家屋であり、レンガ造りの馬小屋やマッカーサーが植樹したハナミズキも見学することができるのだとか。
その後、緑豊かな赤坂界隈をのんびりウォークする。
9月半ばには猛暑は少しは収まっているだろうか。久しぶりのウォーキングを楽しもう。

旧乃木邸は外苑前の自宅から徒歩で10分強くらいだろうか。
青山一丁目駅から外苑東通りを六本木に向かう途中にあるのだが、私はまだ入ったことはない。

私は祖父から、日露戦争のおり、旅順の二百三高地で「馬上の乃木大将を拝んだ」「乃木大将は軍神だ」とことあるごとに聞いたものだ。
まさに乃木希典大将は軍人の鏡だと、祖父の言葉で強く脳裏に焼きつけたことを忘れない。

そんな明治の教育だったのだろうが、それ以上に乃木大将のその人間としての素晴らしいお人柄がなせるわざでもあったことは言うをまたない。
祖父に思いを致しながら、乃木大将を思い、旧乃木邸を見学してこよう。

旧乃木邸

[ネットから]
旧乃木邸は、地下鉄乃木坂駅から至近、旧乃木邸公園部分の東側につながっており、入場無料。
9月13日は、乃木希典陸軍大将のご命日で、大きな国旗が掲げられ、参拝客も多い。
大正元年に明治天皇に殉死されたので、直接に会った人などはもう鬼籍に入られ、戦前の教育を受けた年配者ももう90歳超であろうが、参拝客が途絶えない。大将の遺徳かと感じる。
入って右手の宝物殿では、勲章など、遺品が展示されている。

明治天皇は、明治45年(1912)7月30日に崩御された。
大喪の礼は大正元年(1912)9月13日に青山練兵場の葬場殿にて執り行われたが、その夜に乃木ご夫妻は殉死されたのだ。

もう「殉死」の時代ではないが、その想いは今も忘れることがあってはならない。
やはり、私が人間として惹きつけられる人は、西郷隆盛や乃木希典のような無私と謙虚の人だ。

人間は偉くなると欲がそのまま表に出てくる人が多い。歳を取っても枯れることをしない。そして、晩節を穢してしまう。

美しい人生を生きることが私が目指す人生であり、その心は高まることはあっても消えることはない。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』ではないが、届かないまでも、坂の上の雲を掴もうと坂の上まで駆け上がろうとする、そのパッションを持って、後半生を生きていきたいものだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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