見出し画像

「お人好し」が成功する(幸せになる)要諦

「類は友を呼ぶ」と言う諺がある。人は、同じ思い・人間観・価値観・哲学を持った人と意気投合し、お互いが心を開き合い、親友・心友になっていくものだ。
それは善き人間関係のみならず、悪しき人間関係にも言えることだ。

私のところには、種々様々な人たちが集まって来てくださる。
しかし、全てが善き心を持った人たちではない。残念ながら、私が培ってきた「人とのつながり=人脈」を利活用することだけを目的とした人もいる。

私はビジネスライクオンリーが私の性に合っていないだけだ。企業はビジネスをしてなんぼということも当然のことであり、まずは人間関係に敏感に反応するのはビジネスありきでいいと思っている。しかし、人間関係を深掘りすることが、延いてはビジネスも順調に展開することになるので、ビジネスから入って人間的付き合いをしていく、そして、人間性を磨いていくことが大切と思うのだ。
そんなことで、どうしてもビジネスライクオンリー、それからの人間的拡がりが視野に入っていない単細胞の人とはあまり付き合いたくはないというのが本音のところだ。また、そのような人とは、「お金の切れ目が縁の切れ目」になってしまい、付き合いが長続きしないし、人のつながりの拡がりは皆無と言っていい。

「上から目線」で偉そうに言うわけではないが、「人の品定め」をしないと、自分も、私の信頼できる友人たちも、OUEN Company の人たちも、間々、大変な迷惑を被ることになってしまうことにもなりかねない。

長い間、人と人をつなぐことを生業にしていると、特に「人」に関して、少しずつではあるが、第六感が働くようになってくる。
初対面で30分も話すと、だいたいのところ、その見極めができるようになる。
しかし、神ならぬ身、凡人の私であるから、当然ながら、それは完璧ではない。実際のところ、「よく分からない人」と思う人も、たまにはいらっしゃる。

私は正直言って「超お人好し」だと思う。それは、どうしても「人を見る目」が甘くなってしまうと言うことだ。だから、腹黒い人間に甘言を以て煽てられ、上手く利用されることも間々ある。

ピカピカのキャリアを持った人だが、何でそのキャリアを活かし切れていないのか、よく分からない人がいる。
その人は、私とよく似た「人好き」「お人好し」であることが多い。私ですら、「この人、大丈夫か」と思うのだ。
妻には、「お父さん、よく人さまのことが言えますね」とよく言われる。

最近になって、私も、「人さまにはそのように思われているのだろうな」と思うようになった。
やっと、"汝自身を知る"ようになったということだ。

しかし、お互いの弱みを舐め合っていてもしようがない。「同病相憐れむ」から、一歩も二歩も足を踏み出して、その弱みを強みに180度ひっくり返すことが必要だ。
短所は見方を変えれば長所になるものだ。

兎にも角にも、お人好しは、「人とのつながりは広い」ものがある。
そして、ほとんどのつながっている人たちは「善き人」で占められている。彼らの力をお借りし、「お人好し」のネットワークをフル活用して、皆んなで「善きこと」を考え、行動に移すことだ。

そうすれば、「お人好し」という弱点はカヴァーされて、強く逞しいチームになることができる。

「お人好し」同士ががタッグを組み、それぞれのネットワークを有機的に結びつけると、きっとど偉いことができるのではないかと、そう思うようになった。

人は一人では何もできはしない。特に「人好き」で「お人好し」の、どうしようもない「善人」は、一人では決して一大事を成すことはできない。やはり、心を開き、信頼できる仲間たちの力を借りることが不可欠と思う。

心清き、心優しく、心温かい人は、「人を大切にする」「決して人を裏切らない」ことを信条にしている。

「三人寄れば文殊の知恵」ではないが、多くの心清き人たちが集まって、皆んなで「知恵のエキス」を出し合い、「心清き水」にそのエキスを注ぎ込むことによって、その水は「万能の水」に大変身する。
皆んなは、「あっと驚く為五郎!」とびっくり仰天するだろう。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?