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バイプレイヤーを目指す

人生70年、ずっと私は主役になりたいと思って生きてきたように思う。
兎に角、目立ちがり屋だった。
石川県中能登の中学生の時は、吉田茂元首相の国葬に刺激されて、「将来は国葬をしてもらうような政治家になりたい」と作文に書いた。
金沢大学附属高校時代は、劇団「星」を立ち上げて、文化祭や予餞会で「王将」の"阪田三吉"や「巨人の星」の"星飛雄馬"の主役を演じた。
東京大学では、東大と東京女子大の中国語クラスの合作で、クラスのみんなが東大駒場の同窓会館に合宿して、中国で演じられていた脚本を翻訳して、私はその劇の主役になって、駒場祭で発表した。
また、応援部では「私は主将(団長)しかできない」と思い、主将に手を挙げて主将を務めた。
卒業後は安田信託銀行に入社したが、勿論、トップの社長になることを目指していた。

40歳を過ぎた頃、稲盛和夫さんとの邂逅があり、「人は何のために生きるのか」と、よく生きるためには、物事の考え方は、「本質志向」が必須だと気がつき、それからの人生は七転八倒・紆余曲折だったが、その追求をして、何とか四半世紀を生きてきた。

そして、70歳になって後半人生を本質志向で追求すると、私の第二生は、「主役ではない『脇役人生』」が相応しいと思うようになった。
すなわち、「名脇役」「名傅役」を目指して生きることが、私のミッションを果たす道ではないかと思うようになったのだ。

今は、人生100年時代だ。100歳までは、あと30年弱。生涯現役とまでは言わない。何とか100歳まではバリバリの現役で頑張りたいと思う(あわよくば、「120歳まで元気で」と思うが、そんなに長生きするといくら元気であっても、きっと家族や周りの人たちにご迷惑をかけることになるだろう。それはわがままと言うものだ。全ては天の思し召すまま、淡々と生きることだ)。

ネットで、【脇役】と【傅役】を繰ってみた。

私が目指すところは、主役を支える脇役の「バイプレイヤー」であり、主役を教育・育成する「名傅役」になることだろう。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

【脇役(ワキヤク)】

主人公を助け、引き立てる演技をする役や役者のこと。
脇役の「脇」とはカラダの部分ではなく、能の役の名称が由来。能では、主役のことを「シテ」と称する。このシテの相手役となるのが「ワキ」だ。ワキは、現実の世界の男性の役を演じ、面を付けないのが原則。シテを引き立てる存在で、ワキにどれだけ素晴らしい役者を集められたかで舞台の出来が変わる。

「脇を固める」という言葉は、こうした能の世界から生まれた。
現代の演劇でも脇役の役割は重要で、脇役に良い俳優をキャスティングできるかは芝居の成功にかかわる。
上手く主役を引き立てながら、観客の印象に残る脇役は「名脇役」と呼ばれる。また、脇役を多く演じる俳優を「バイプレーヤー」と言う。


【傅役(もりやく)】

「傅役」とはお守り役、身分の高い家に生まれた子どもにつけられるお世話係や教育係のことです。
多くの場合、戦国時代の武将の跡継ぎにつけられた教育係を指します。

将来を担う世継ぎを育てる重要な役職ということで、人生経験豊富なベテランが当てられることが多い役職です。
幼いうちは護衛や教育を担当し、成長してからも進退を共にする一蓮托生の関係です。

「傅」には貴人のお世話をする、助けるという意味があります。貴族や天皇家など身分の高い家に生まれた子どもを世話する人やその役職に使われます。

日本の皇室において、皇太子の世話役となる「東宮傅(とうぐうふ)」や、中国の皇帝の教育係である「太傅(たいふ)」などがその例です。

【有名な「傅役」】

①平手政秀

「傅役」として最も有名な人物の一人が、平手政秀(ひらてまさひで)です。織田信長が幼少のころに「傅役」として仕えていました。

信長の元服や初陣をつつがなく済ませ、交渉事で活躍します。
特に有名なのが織田家と交戦していた斎藤道三との和睦です。道三の娘、濃姫と信長の婚約を取りまとめ、両家を結び付けました。

しかし、彼が「傅役」として知られているのはなんといってもその死をめぐるエピソード故です。若かりし頃の信長と言えば「うつけもの」と呼ばれるような放蕩(ほうとう)三昧。
そんな彼を改心させ、当主としての自覚を持たせるために政秀は自害します。その後、信長は天下統一目前のところまで活躍します。

②飯富虎昌

武田信玄に仕えた武将、飯富虎昌(おぶとらまさ)です。

武田信玄の父、武田信虎の代から仕えていた武将で、「甲山の猛虎」という別名があります。
様々な戦いで活躍しますが、特に多勢に無勢の状況で勝利したという話が有名です。
「赤備え(あかぞなえ)」という騎馬隊の創始者でもあります。

③太原雪斎

大国今川家では、今川義元の傅役は太原雪斎(たいげんせっさい)という僧侶が務めて、今川家を盤石なものにしていました。

傅役というのは、こうした重要な役回りで、その武将の(家の)将来を担う事になる為に、一般的にはある程度の年齢や実績のある者が、その任にあたる事が多かった様です。

傅役は、時代を作って来た人物を生んできた「裏方」と言えるかもしれません。



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