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古稀を過ぎて、"生き甲斐"を見つける

真夜中に目が覚める。今日は何曜日なのだろう。昨日は何をしていたのだろう。誰と何を話したのだろう。全く自分がどこにいるのか分からなくなることがある。

昨日は火曜日だった。うつらうつらして、なぜか金曜日のような気がした。布団のなかで、「昨日は何をしていたのだろう。誰と何を話したのだろう」と考えていた。
どうも気になって、スマホのカレンダーのアプリを開き、スケジュール帳を見た。少しずつ思い出してきた。そしてホッとした。

そして、祖父のことを思い出す。
祖父は1ヶ月ほど床に就いていて、昭和45年9月12日に身罷った。
私は高校3年生だった。土日になって金沢の下宿から能登の実家に帰ると、寝ていた祖父が私に言う。
「ぼう(私のこと)、わしは川がどっちから流れてきているのか、とんと分からなくなってきた。もうそろそろこの世とおさらばする時がきたのかもしれない。ぼうに最期に言っておくがなぁ、東大に入ってお国のために尽くすんだぞ」と。

それで私は東大を受験したのだが、結果として、祖父の遺言を聞いていて良かったと思う。そうでなければ、今まで出会った人たちとは出会っていなかったのだから。京大に入っていたら別の人生を生きて、それはそれで良かったのだろうが、人間は一度しか生きることはできない。今まで生きてきた人生が一番だと思うことが幸せな人生を生きるということだ。

私は祖父の遺言は勿論のこと、祖父が言った、「川がどっちから流れてきているのか分からない」という言葉が妙に頭に残っている。
この世から去っていく時は、自分がどこにいるのか、自分の周りの川がどちらから流れてきて、どちらに流れていくのか分からなくなってしまう。自分が立っているところがどこなのか分からなくなる。そうなったらあの世に行くんだなぁと。

昨日は火曜日だったのに、金曜日でないかと思う。誰と何を話したのか分からなくなる。そうなったらこの世とおさらばの時だ。
そして、少しずつ思い出してきた。3時過ぎに事務所に出向き、手帳のスケジュール表を開き、昨日と今日の行動を確認する。そして、ホッとする。「あぁ、まだ呆けていないな。まだまだ頑張らなければ、今まで生きてきた甲斐がない」と思う。

今朝の外気温は3度。事務所の温度は20度を下回っている。エアコンを付ける。雨模様だが、湿度は40%を下回っている。加湿器も付ける。そして、まだ4時前だが、LINEやメールをして、今日の活動をスタートさせる。

やっと古稀を過ぎて、私の天職は[OUEN Japan]の団長なのだなと思う。[OUEN Japan]のミッションは、私個人のミッションだ。

人間は、天から何らかの使命(ミッション)を与えられてこの世に生まれてくる。魂が人間の形になってこの世に生まれてくる。
そして、この世に生きている期間に、人のために世のためにつくすことで心が磨かれ、生まれた時以上の高いレベルの魂になって、次の世に旅立っていく。
仕事は、心を磨き、高いレベルの魂になるための手段である。世のため人のために仕事をすることで、心は磨かれ、魂のレベルは高くなる。

私は幼少の頃、政治家やさもなくば大会社の社長になりたいと思っていた。偉い人とは、政治家や大会社の社長のことだと思っていた。
銀行家になりたいと思って銀行員になったが、その銀行員のままで銀行家になる夢を捨ててしまった。銀行家になりそびれた。
その後は風来坊人生、フーテンの人生で、あれやこれやチャレンジしたがものにならず、馬齢を重ねて古稀を過ぎてしまった。

しかし、その七転八倒、紆余曲折の人生のなかで、"人を応援する"ことの意味を学び、その具体化として[OUEN Japan]というNPOを立ち上げた。

その名や良し。

「日本を応援する」「◯◯を応援する」ことは、その言葉がストレートに生きる哲学になっている。

応援道
応援哲学

日本人が好む"道を極める"ということだ。それが、やっと古稀を過ぎて、血肉になってきたように思う。
私の歳くらいになると、人生の後半戦の中盤なのか、ゆったり人生、悠々人生を送ることが幸せであると思う人がほとんどではないだろうか。
古稀からが本番の人生、古稀からが上り坂だと思う人はほとんどいないだろう。決して痩せ我慢ではない。私は素晴らしい人生を送っていると自分を褒めてやりたい。

素晴らしきかな、我が人生!

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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