「四季の歌」芹洋子ジョイントコンサートを鑑賞する
7月31日(月)、高柳由紀子さん(NPO法人 あざ六プラス 代表、港区観光大使)のお誘いで、東陽町にある「江東区文化センターホール」に、「『四季の歌』芹洋子ジョイントコンサート」を聴きに出掛けた。観客席は、私より歳上と思われる老男老女ばかり。席はほとんどが埋まっていた。
このコンサートは、直接には、了聞の馬形さんからお誘いいただいたもので、私たち夫婦の他、馬形さん、永田さん、小野正文さん(三井不動産リアルティ)の5名が、ホールの前から10列目の真ん中で鑑賞した。
主催は、「一般社団法人 日本セカンドライフ協会」(JASS=Japan Association of Second-life Service)。JASSの設立30周年記念の特別公演だった。
高柳さんは、この協会の運営委員(コーディネーター)もされている。
JASSの起こりは、1990年に、日本退職者福祉協議会が正式に発足し、92年に日本セカンドライフ協会に改組したものだ。
93年には、各都道府県の「明るい長寿社会づくり機構」と、サラリーマンのOB・OG支援事業を開始し、2013年に、名称変更をして「一般社団法人 日本セカンドライフ協会」となった。
すなわち、JASSは、サラリーマンOB・OGの「生きがい」づくりを支援するために、多くの企業や団体の参加を得て発足した組織だ。
年間2,500のイベントを開催しており、会員は46,000人だそうな。
私は、昨年、生まれ変わって、「心を新たに、志は高く」、新たな第二の人生をスタートした。
そんなこともあり、このような老人の「生きがい」づくりにはとんとご縁がないと思っていた。
しかし、私のモットーである「来る者は拒まず」の精神からすれば、そのお誘いがいかがわしいものでは困るが、そうでないものであれば、「喜んで」、「感謝の心を持って」、それを受け入れようと思うようになった(電車で席を譲られることと同じで、何事も思うまま、流れるまま、宇宙の意志に沿った、「自然体」が一番だ)。
芹洋子さんは、1951年3月生まれの現在72歳。清潔感のあるホームソングの歌い手として現在も人気が高い歌手だ。
代表曲に、「四季の歌」や「坊がつる讃歌」等がある。
1992年に交通事故で、外傷性くも膜下出血により逆行性健忘を生じ、自身が歌手であったことや、持ち歌全ての記憶を失う災難に遭った。
彼女はその災難を苦ともせず、懸命のリハビリで、歌手として復帰を果たして、72歳の現在も第一線で活躍をされている。
2歳歳下の私としては、その頑張りに心から敬意を表し、「私もまだまだ。これからが本番だ!」と強く勇気づけられた。
私の第二の人生、人生の本番は、これからだ。
ネバーネバーネバーギブアップの精神を以てすれば、身体の衰えを心の成長でカバーして、「上り坂の人生」を上り続けていくことができる。
ジョイントコンサートの第一部は、芹洋子さんの持ち歌やその他フォークソングだ。私が全て知っている歌ばかりだ。
第二部では、東京滝野川少年少女合唱団と、倶楽部グリー(早稲田大グリークラブのOBたち、平均年齢80歳)も加わって、まさに、「セカンドライフを生きている人たち」に相応しい、老若男女全てを巻き込んだ和気藹々とした「心温まるコンサート」だった。
人生、突っ張って生きてもいいことは何もない。
自然体で、穏やかな心で、天から与えられた得手を磨き続け、これからの主役である若者を、「黒子に徹して応援する」ことだ。
これからは、そんな悔いのない人生を送りたいものだ。
コンサートで、芹洋子さんが歌った「わが人生に悔いなし(石原裕次郎)」のような人生を送りたいと思う。
わが人生に悔いなし
鏡に映る わが顔に
グラスをあげて 乾杯を
たった一つの 星をたよりに
はるばる遠くへ 来たもんだ
長かろうと 短かろうと
わが人生に 悔いはない
この世に歌が あればこそ
こらえた涙 いくたびか
親にもらった 体一つで
戦い続けた 気持ちよさ
右だろうと 左だろうと
わが人生に 悔いはない
桜の花の 下で見る
夢にも似てる 人生さ
純で行こうぜ 愛で行こうぜ
生きてるかぎりは 青春だ
夢だろうと 現実(うつつ)だろうと
わが人生に 悔いはない
わが人生に 悔いはない
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)
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