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1泊2日の高遠の旅

ゴールデンウィークが始まった。今年は、前半3日(4.27〜4.29)と後半4日(5.3〜5.6)に分かれている。

いつも、こんな国民的大移動の時、私はほとんど動かないのだが、今年は、黄さんのお誘いを受けて、夫婦揃って、彼女の別荘がある長野県伊那市高遠に、今日(4.28)から1泊2日で出かけることにした(GW後半はウォーキングを愉しむ予定だ)。

新宿8:00発の中央本線で、狩人が歌う「あずさ2号」ならぬ「あずさ5号」で茅野まで行く。茅野10:06着、2時間6分の中央線の旅だ。

一度、中央本線で松本で開催された東大の同窓会に出席したことがある(長野県の東大同窓会は、長野市と松本市の2つに分かれている)。中央本線に乗った。茅野も通った。その先に、諏訪〜岡谷〜塩尻〜松本がある。

茅野駅では、黄さんのご主人が車で迎えに来てくださる。
その日のランチは、絶品の高遠の蕎麦だ。予約済みとか。
高遠の桜は、今は葉桜になっていると思うが、桜花だけが桜ではない。葉桜も、それはそれで風情がある。
義母の生まれた伊那市にも行ってみたい。その他にも見どころはいろいろあるだろう。
帰りは、明日、茅野発17:52のあずさ50号で帰る。それまで、たっぷりと2日間、南信を愉しもう。

長野県と言えば、北信・東信・中信・南信と、4つの地域に分けられる。本州では岩手県に次ぐ広大な県だ。

ふるさと石川県に行く時には、北陸新幹線で上田〜長野を経由して金沢まで行くが、上田は東信、長野は北信の中心の都市だ。
義父の出身地は長野県飯田市、義母は長野県伊那市と、いずれも南信。南信は東京からは鉄道が不便で、新宿から高速バスだ(私は訪れたことはないが、皆さん、ふるさとに帰る時は高速バスを利用している)。
また、中信の中心の都市である松本市は、旧制松本高校(現松本深志高校)があった町だ。1975年の朝ドラに「水色の時」(主演は大竹しのぶさん)があったが、舞台はこの松本だった。私が大学4年の時のドラマで、よく覚えている。

松本市は、学問の都の"学都"に加え、北アルプスの山岳の都の"岳都"であり、セイジ・オザワ松本フェスティバルに代表される音楽の都の"楽都"だ。この3つのガクの"サンガクの都"と呼ばれている。

とにかく、長野県は広い。4つの信濃がある。

私のふるさと石川県は、中心が金沢で一つにまとまっている。加賀も能登も、金沢と対抗する気は全くない。しかし、金沢に隷属することはしない。それぞれの特長をアピールしている。独立独歩だが、協働してチームワークは良い。

その点からすれば、長野県は広すぎて、それに山が邪魔して、一つにまとまっていない印象がある。
それぞれが"我こそは"と突っ張っている印象だ。

北信・東信・中信・南信の名前からして、いずれも「我こそは信濃」と対等ではないのか。
特に、松本市がある中信は、その名の通り、"信濃の中心"のプライドがいっぱいだ。

何で西信ではなく、中信なのか。
明治時代の初め、今の長野県は筑摩県(中信と南信)と旧長野県(北信と東信)の2つに分かれていたとか。それが合併して長野県になった。
その筑摩県の中心である松本市が「我こそは信濃の中心」というのはそんなところからか。

筑摩県が長野県に統合されて、筑摩県民は長野県に対抗意識を持つようになった。筑摩県と旧長野県が統合された明治9年当時、松本の人口規模は長野に匹敵したので、松本の人としては、「われわれこそ位置的にも人口規模的にも長野県の真ん中だ」という意識は非常に強かったはずだ。にもかかわらず、県庁を長野に奪われることになってしまった。中信という名前には自分たちこそが中心だという筑摩県民の対抗意識があらわれているんだと思う。筑摩県こそが統合した長野県の中心で、そうした中で中心の「中」という字を使うようになったのだろう。

高遠は南信。"高遠の桜"で有名だ。もう桜は散って葉桜になっているだろうが、それはそれで風情がある。

高遠(高遠町町藤沢)の標高は1000mを超えているそうな。夏でもクーラーのお世話にならないそうだ。4月下旬は半袖では寒いだろうか。長袖を持参しよう。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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