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「心友・黄 英蘭さん」のこと

昨日(05.8.28)、黄 英蘭さんが事務所にいらした。
先週、私がお電話して、「こんな案件がお仕事になるだろうか」とお話ししたことで、その打ち合わせにいらしたのだ。

黄さんは、(株)イノベーションソフト(本社:千代田区岩本町)社長。中国東北・黒竜江省の哈爾濱(ハルビン)出身。

[ハルビン]
ハルビンは中国最北、黒竜江省の中心都市です。経済と工業の発展が著しく、人口は約1000万人に上ります。ロシアに近いことからロシア文化の影響を色濃く受けています。またロシアや日本の侵略により歴史に翻弄されてきた土地でもあります。

[ハルビンの魅力]
「極東のパリ」と呼ばれる街並み
ハルビンは19世紀からロシアの支配下にあったことから街には今も多くのロシア様式の歴史的建築物が残されています。中央大街にはアジア最大の石畳の並木道があり、「極東のパリ」と呼ばれる異国情緒を味わえます。

[多様な食文化]
黒竜江省はロシアと国境を接していることもあり、ハルビンでは中国の東北料理とロシア料理、両方のグルメが楽しめます。

[他の都市との違い]
中国各地には租界時代の面影を残す地域が多くありますが、ハルビンは街全体にロシア文化の影響を色濃く受けており、まるでロシアにいるような感覚を味わえる街です。また改革開放後は経済科学技術開発区として黒竜江省の経済をけん引してきました。多様な文化と歴史を味わえる魅力的な街です。

哈爾濱は、世界の大都市の中でも最も寒い部類に属する都市。1月の平均気温は➖18.6°C、朝の最低気温は平均➖23.9°C、➖40°C以下まで下がることもあるのだとか。
生活するにはとんでもない寒さだ。能登生まれの私では想像もできない。

黄さんは、そんな極寒の地に生を享けた。幼少の頃は、それは貧しい生活を強いられた。10代に、親からもらった"なけなしのお金"を懐に抱いて、一旗あげようと大連行きの列車に乗って哈爾濱をあとにしたのだとか。

戦後の日本、東北地方から東京への金の卵たちの出稼ぎを思い起こす。その何倍も何十倍も過酷な人生のスタートだったのではないか。
甘ちゃんの私には、全くと言っていいほど想像を絶することだ。

そんな黄さんに、私は昨年2月にお会いした。東大の後輩である竹本毅さんのご紹介だ。まだ、1年半しか経っていない。
お会いする前、私は少し気乗りはしなかったのだが、竹本さんが、半ば強引に、「一度会ってみてほしい」と、黄さんを外苑前の私の事務所にお連れになった。

私がそのように思っていることを黄さんは竹本さんに聞いておられたので、「初対面の時は少し緊張していた」らしい。

しかし、彼女が玄関に入って来られた時から、私は彼女の愛らしい風貌とその人を包み込む「得も言われぬ」大らかな雰囲気を醸し出すキャラクター、天真爛漫さと心の温かさ、憎めない愛嬌、人情味豊かな彼女の人柄、その人間力に魅かれた。
そして、初めからザックバランに話すことができた。

以心伝心、人の心は合わせ鏡だ。彼女もそのように感じてくれていたと思う。
それからは、幼い頃からの親友・心友のお付き合いをしている。

お会いしたのが、ちょうど私が丸坊主にした頃だった。
黄さんは、「団長の丸坊主には丸メガネが似合う」と言って、LINEで、「こんな丸メガネが団長に相応しい」とメガネの写真を送ってきてくれた。
私は、「それじゃ、黄さんのお言葉に従うか」と思って、すぐにメガネを買い換えた。
また、黄さんは、私の生前葬&出陣式に出てくださったことが切っ掛けで、「人生100年時代だ。人生の半ばである知命の50歳になったら、団長を見習って生前葬をしようと思う」と。

昨年11月の「重陽の会」も黄さんが幹事で仕切ってくれた。これからもずっとお願いしたいと考えている。

兎に角、相性がいいと言うのだろう。そんな黄さんに、私はビジネスで何らかお手伝いをしたいと思っていたが、何せITリテラシーが皆無の私だから、なかなかお役に立つことができないでいた。

IT以外の分野でも、彼女の中国の人脈から別のビジネスにも関わっていると言うので、それは私もお手伝いできるのではないかと思い、今回の紹介に至ったものだ。

今回の紹介は、
「大才は、袖振り合う縁をも生かす」
「瓢箪から駒」
「犬も歩けば棒に当たる」
等々、いろいろな諺が当てはまる。

さあ、素晴らしい友人に乾杯‼️❣️
(黄さんは全くのビール党だ。その飲みっぷりは半端ではない)

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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