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論語と[OUEN Japan 信念会]

[OUEN Japan 信念会]を1月18日(木)に開催する。
200名(20卓×10名)がアッパーだ。12.12現在、参加の表明をいただいている方は170名。まだ、出欠をいただいていない方は23名だ。ご案内は、メールにて、3回に亙り、お出ししている。まだ返答のない方は欠席の公算が高いのだろう。
そんなことを考えると、現状のままだと180名前後になるかと思う。イベントまで、まだ1ヶ月あるので、私のこれからの活動の中で追加もあるだろうから、最終は、せいぜい190名前後というところか。
こんなアヒルの水掻きをしながら師走を楽しんでいる。

[OUEN Japan 信念会]は、ビジネス&ボランティア&プライベートが入り混じったイベントになっている。
この3つが渾然一体となるのが私の人付き合いの特徴であり、これが私のストレス解消法になっている。3つを峻別することがストレス解消になるという常識とは真逆だ。だから、私のストレス解消法は人さまに勧めることはできない。それはその人のストレスをますます増大することになるからだ。

プライベートで、まだ出欠の連絡がない友人に電話をする。私より一つ歳上の女性だ。今年は年女で何だかんだあって、"厄年"なんだと話していらしたから、今頃はとんでもないことになっていないか心配だった。そう思って電話してみたら、すぐに電話口に出てこられた。意外とお元気だった。お元気というか、意気盛んという感じだった。彼女曰く、「ちょっと前までは意気消沈していた」のだと。
彼女は、70歳を過ぎても、ビジネス&ボランティアに精を出している人だから、まだまだ"元気印"なんだと思う。
そんなことで、[OUEN 信念会]には出席していただけそうだ。親しい人を誘って参加したいのだと。ホッとした。

人間70を過ぎると、身体のあちこちにガタがくる。"人生古来稀なり"とはよく言ったものだ。その身体のガタが心に影響を与え、意気を萎えさせてしまう。

孔子は紀元前6世紀の中国春秋時代の思想家・哲学者だから、2600年も前の人だ。その当時の70歳は今の100歳どころではない。古今の最高齢であろう120歳にも匹敵するだろう。

今の70歳なんぞは、まだまだ青春時代なんだろうが、古稀というその言葉だけで、気持ちが身体に影響を与え、そのため身体にガタが来てしまうのだ。

そこで、古稀になる気持ちを青春に切り替えて、これからの後半人生を生きるのだ。しかし、無理をすると身体に悪い。無理をすることなく、"青春の心意気"で以て生きることだ。

[論語]
子曰、「吾十有五而志于学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩」。

子曰、 「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)ふ。七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず」。

子曰く、「私は十五歳のとき学問に志を立てた。三十歳になって、その基礎ができて自立できるようになった。四十歳になると、心に迷うことがなくなった。五十歳になって、天が自分に与えた使命が自覚できた。
六十歳になると、人の言うことがなんでもすなおに理解できるようになった。七十歳になると、自分のしたいと思うことをそのままやっても、
人の道を踏みはずすことがなくなった」と。

15歳・・・志学
30歳・・・而立
40歳・・・不惑
50歳・・・知命
60歳・・・耳順
70歳・・・従心

そこで、自分のことを考える。

学を志す(15歳)ような思いで東大に入ったわけではないから、私は"志学"とはほとんどご縁がない。
社会人になって、順風満帆と七転八倒、紆余曲折の人生を送ってきたが、論語にいう而立(30歳)以降の域に辿り着いたと思うことはない。

今漸く、人生修行に目覚め(志学・15歳)、その目覚めを果たすために、自らが立ち上がり(而立・30歳)し、人生惑うことなく(不惑・40歳)、我が天命を知り(知命・50歳)、人のアドバイスに素直に耳を傾け(耳順・60歳)、好きなことをして世のため人のために尽くすレベルに到達したい(従心・70歳)と思う。

すなわち、私の70歳からの後半人生(第二生)では、本来は第一生の70年間で到達しなければならないレベル(論語がいう5つのレベルの域)に、一挙に纏めて到達するという離れ業を果たさなければならないのだ。
そして、私は、今やっと、その道の入り口に立ったというところだろう。

今回の[OUEN Japan 信念会]は、そのスタートのイベントなのだ。

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)

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