ちょっとしたことで人生を悟る
正月3が日は、いつも行なうウォーキングをせずに、年賀状(ムビレタとリアル)と母と義母の老人ホーム訪問の3日間だった。
年賀状は、ムビレタが600通弱、リアルが50枚強。併せて約650人の方々に年賀のご挨拶をした。
来年からはムビレタの比率が高まり、件数も増加するだろう。第二生の始まりだ。年賀状仕舞いどころではない。
関わる時間を大幅に減少させ、件数を逓増させる。これは何と言ってもデジタルの力だ。
私は、この方面のリテラシーは全く持ち合わせていないが、サポートをしてくれる信頼できる人たちがいる。凸凹な人間でも、そして、たとえその凸凹が極まっても、多くの人たちとの信頼関係を高めていくことができれば、決して年賀状仕舞いをすることはないのだ。
マッカーサーの「老兵は死なず、単に消え去るのみ」ではいけない。後漢王朝の将軍であった馬援が口癖だったという「老いてますます盛ん」(男子たるもの苦しいときには意志を強く持ち、老いてはいよいよ壮(さかん)でなくてはならない)が、私の第二生には相応しい。
4日は"仕事初め"ということで、私の今年の一大イベントである[OUEN Japan 信念会]のテーブルのメンバー表作成の仕事に取り掛かった。
現在のところ、ご出席者は183名(177名に東大応援部現役を併せて183名。会費を事前申し込みいただいた方は157名、残りの20名は当日支払い)になった。20テーブルに183名の方々にお座りいただく。
当然ながらアットランダムというわけにはいかない。50音順でもダメだ。一人ひとりのお顔を思い浮かべながらどなたとどなたを同じテーブルにお座りいただくかとか、このテーブルとこのテーブルは近くがいいかとか、試行錯誤しながら作業をする。これだけは私でなくてはできはしない。全ての人を知っているのは私しかいないからだ。
これだけが私しかできないことだが、誰もしないことをすることが差別化になる。それが売り物になる。どんなことでもいいのだ。人が喜んでくれることで、それを誰もしようとしないことを得意技にすることだ。
それはアナログの極め付けでもいい。むしろ、そのほうが、誰もやろうとしてもできない、そんな時間がかかって、気も使うことは誰もやらないから、簡単に人と差別化できる。差別化できると世の中に受け入れられる。「あなたがいないと困る」と言っていただける。
この作業を、4日の3時過ぎから8時過ぎまで5時間かけて、誰もいない事務所でコツコツコツコツとしていた。
あれじゃない、これじゃない。一旦作って、紙に落として、全体を見てチェックする。2度、3度、4度、5度、入れ替え、入れ替えして、何とか納得するところまで持っていく。
自宅に帰って、朝食を摂って、再度見直し、本日最後の入れ替えをする。
そんなことを集中してしていたので、毎朝書いているOUEN blogを書くことを忘れていた。
私のOUEN blogは、私一人でしてはいない。私が書いた下書きにサムネを付けたり手直しをしたりする黒子の人がいる。
私はblogを書いて下書きに入れる。それに手を加えて、公開してくれるのだ。
読者が、"てにをは"等の修正を指摘してくださると、その修正もお願いする。
blog一つでもいえることだ。
一人でできることはほとんどない。何事も人さまのお力をお借りして成り立っているのだ。特に私のような超凸凹人間はそうだ。そのことに感謝して謙虚になることでないと、誰も私を助けてくれない。
てっきりOUEN blog を書くことを失念していた。彼女から「下書きにある『西郷隆盛の魅力』のblogを公開しておきましょうか」とLINEが入った。私は、そこでblogを書いていないことに気がついた。
昨日は、それから[OUEN Japan 信念会]の今年のコンセプトを紙に認めて送る仕事がある。そして、来客もある。blogを書くどころではない。下書きにあった『西郷隆盛の魅力』を公開してくれるようにお願いした。
「あぁ、こんな時のために下書きがあったのか。彼女の作業のための下書きと思っていたのだが、自分のためのものだったのだ」
自分のためは人のため
人のためは自分のため
"自利利他"をこんなことで体感した。
ビスマルクは、"愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ"と言った。私は愚者であり、なかなか賢者の域には辿り着かない。身に降り掛からないと血肉にならないのだ。
読書をして、その知識を頭に入れても、それはまだまだ血肉にはなっていない。血肉にするために、私にはまだまだ、"経験"というスパイスが不可欠なのだろう。
その経験も能登半島地震のようなものであっては困る。ちょっとした何でもない経験をスパイスにすることだ。
不動院重陽博愛居士
(俗名 小林 博重)
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