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"3S-Spirits"と[重陽の会]

私が"応援"に関わり始めたのは中学校の運動会の応援活動からだった。高校の時は、母校の金沢大学附属高校が旧制第四高校の後身ということもあり、名古屋大学附属高校(旧制第八高校の後身)との定期戦で、名古屋に出向き応援合戦をした(四高寮歌には、金沢から名古屋に南下して定期戦を戦う時に歌う「南下軍」という歌がある)。
しかし、本格的に"応援"にのめりこんだのは、何と言っても東京大学で応援部に入部してから以降だ。
今は[NPO OUEN Japan]を設立して、日本の大学生や来日留学生の応援団、彼らを応援してくださる企業の皆さんの応援団をしている。延いては、関わりのある皆さんとともに地域創生のサポートをしたいと思っている。そして、これを生涯に亙り続けていこうと思っている。

東京大学応援部は、昭和22年、当時の南原繁東大総長の呼びかけによって創設された。
東京六大学野球で東大だけが応援団がなかった。昭和21年秋のリーグ戦で、東大が慶應との優勝を争って盛り上がったこと(後にも先にも、東大がAクラスになったのはこの時だけだ)が切っ掛けになって、東京大学応援部は創設された。

私が東大応援部に入部した時は、OB会(赤門鉄声会。当時の東大応援部は女人禁制のクラブだった)の会長は、昭和31年卒部の中島清成さん(朝日新聞社勤務)だった。昭和50年卒部の私より19歳先輩だ。私が現役の時は、中島さんは30代後半〜40歳前半だ。そんな四十路前後の先輩が会長だった(思えば、日本は若い国だった)。
今でこそ、東京大学応援部は創部77年の歴史あるクラブになったから50〜60代が会長だが、その当時は活気盛んな四十路前後だった。

私が初めて中島さんにお会いしたのは、確か、本郷の梅寿司だったかと思う。梅寿司は、学生には高級な寿司屋だった。赤門鉄声会の集まりに現役全員が呼ばれて「ごっつあん」になった時だったと思う(その当時は部員は10人前後だった。今は部員100名に迫る大団体になっている)。

今度の日曜日には、中島さんがお住まいになっている老人ホームに、赤門鉄声会の前会長、現会長、現役の主将と訪問することにしている。中島さんはお元気と伺っている。何よりだ。

中島さんは東大応援部の精神[3S-Spirits]の生みの親だ。私は、その[3S-Spirits]をいつ教えていただいたのかよく覚えていない。卒部した後だったかもしれない。

私が30代半ばの頃だったか、赤門鉄声会の集まりの時、中島さんが講師で、「東大応援部の原点」というテーマでお話しされた時のことをよく覚えている。

東大応援部の精神とは?

[3S-Spirits]
①Service
②Sacrifice
③Study


部員は対等な関係、役割が違うだけ。和気藹々、自由闊達で牧歌的雰囲気。肩組み合って、手を取り合って、緩やかでもHeart to Heartで、強固なつながりのある団体。一致団結して事を成す、等々。
東大応援部は、他校の応援団とは一線を画している、そんな矜持を持って活動することだ。
それは、私のそれまでの応援団のイメージとは真逆のものだった。だから、インパクトがあり、私はよく覚えている。
現実はそうでないところもあるが、精神はそうだ。これが応援の真髄なんだと、私はずっと今まで思っている。

それで、55歳で個人会社である[南青山ビジネスパートナーズ]を立ち上げ、60歳でNPOの[OUEN Japan]を創設した時の精神をこの[3S-Spirits]にしたのだ。

そして、私は、この[3S-Spirits]を意訳して、
①Service→社会貢献
②Sacrifice→活私奉公
③Study→人生修養

としている。

天から与えられた得手をフルに活かすことによって、世のため、人のため、社会のために尽くすこと。生命の限り、尽くし続けることことが、人間を磨くことになる。それが人生修養だ。

自らを知り、素直なの心で自らの不完全さを悟り、決して傲慢になることなく、謙虚に徹することだ。
そして、一人でできることは微々たるものだと悟ることだ。だから、大望を遂げるためには、人を思い遣って、多くの人の力を借りて、自分の凹んだところを埋めて、丸い球形にして、その人たちに助けていただくことをありがたいと感謝する。

[重陽の会]が再結成された。一昨年11月の立ち上げ時は9名だったが、1年半も経たずに倍になった。それも自然体で。緩やかに増えていった。何事も自然体がいい。無理のないのがいい。緩やかなのがいい。

基本的には、
"来る者は拒まず、去る者は追わず"
がモットーだが、どんな人でもいいわけではない。

3S-Spiritsを持った人。Heartがある人。心が温かい人。人を思い遣る"恕の心"を持った人。人のために尽くす人。人の嫌がることはしてはいけない。素直な心を持つことだ。

"人を許す"ことは、ちょっとやそっとではできないことだと思うが、そうしよう、"人を許そうと思う"ことだ。

ガンジーは言っている。
「弱い者ほど相手を許すことができない。許すということは、強さの証だ」
と。

人間は、"わがままで、弱い生き物"だから、なかなか人を許すことができないのだ。
だから、まずは"許そうと思うこと"が大切だ。まずは"思うこと"だ。そうすればいつかは、自然に、人を許すことができるようになるのではないか。

歳を取る意味は、そして歳を取って成長するということの意味は、少しずつ人を許すことができる人間になるということなんだろう。難しいことだが。

今、私ができることは、そのような人たちともそれなりに付き合っていける"懐の深さ"を持つことだろうか。許すことはできなくても、許すことを横に置いておいて、許そうと思って、それなりに付き合っていくことだ。決して諍いをしてはいけない。

兎に角、人に優しい、それでいて強い人間になること。
そんな[重陽の会]のメンバーであってほしい。

強くなければ生きていけない
優しくなければ生きる資格がない
(チャンドラー)

不動院重陽博愛居士
(俗名  小林 博重)


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