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言葉から少し離れてみる


 心の中に渦巻く感情を上手く言葉で言い表せない時ってどうしたら良いんだろう。noteを始めてそんな事を思う事が、随分増えました。言葉と向き合うという作業は、途方もないエネルギーを費やします。


 便利になった現代社会だからこそ、言葉の使い方にはより一層の注意が必要かもしれません。若い子の間で新しく生み出された言葉が、市民権を得る頃にはもう当事者たちが使っていない場合も多いとか。


 最近「とうとい」という言葉の使い方に疑問を抱きました。タレントさんやアイドルグループを見て使ったりと貴重や珍しいという意味で多用されているようです。


 とうといって元々は高貴な身分の方に使う言葉のはず。皇族の方や旧貴族や旧華族といった方に対する用いられ方がメインでは。尊敬や憧れも入り混じった表現だと思っていたけれど・・・。時代が変われば、言葉も変わる。操る人達によって広義に拡張されたり、逆に狭められたりするものでしょうか。


 ふと私が幼少期に学校の授業参観で、クラスメートの親御さんがつばの広い帽子を被っていた事を思い出しました。そういう服装もどこか高貴な身分の人達に対する憧憬からくるものかなと推測いたします。なりたくてもなれないからこそ、せめてアイテムだけでも似たようなものを身に着けたい。そういう帽子は、ブランド物でおそらくかなり高額です。


 このエピソードは人間の複雑な心理を表しているようで、自分にとってとても印象深かったです。若い子達も、そんなに無理して新語を生み出さなくてもきっと大丈夫。言語化できないような感情が芽生えた時は、敢えて言語化を試みなくても良いんじゃないでしょうか。


 時には、言葉と接近したり離れたりしながら、寄せては返すさざ波のように言葉と上手く付き合いたいものですね。いつか年齢を重ねて小説や専門書を読み、あの時沸き上がった感情はこういう表現がベストだったと膝を打つ瞬間もきっと来ることでしょう。良い言葉と巡り合い、そして早速使いたくなります。だから私は読書が、やめられない。

 追記 自分で読めない漢字書けない漢字を習得する事が、手っ取り早い文章力アップの近道かも。

 


 

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