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自分の親になる

多くの人が、子育てとは、子どもために一生懸命になることだと思っていると思いますが、私は、実は自分のためでもあるなと思っています。
なぜか子どもの成長が気になって仕方がないという時などは、子どものことを一生懸命気にしているつもりでいて、実は、自分の育て直しをしているということがあるのです。

「本当はこうして欲しかった」「こんな言葉をかけてもらいたかった」ということを、今度は、自分が自分の親になって、自分のためにしてあげる。
二度、三度と、子ども時代を体験できるのは、子育てをするものの特権。

すっかり忘れて置き去りにしてきた、子どもの頃の自分と再会を果たし、自分の中に統合されていくような充足感をもたらします。
子育て中の方には、ぜひそのことを知って、二度美味しい子育てを、しっかりと味わってほしいと思います。

例えば、私の場合、小学校3年生の時に転校を経験しました。
3学期という、なんとも中途半端な時期に転校をしたことで、すでにクラスにはグループができていて、なかなか仲間に入れなかった私は、3学期の間、毎日沈んだ気分で登校していました。
わが子が小学校3年生になった時、それまで全く思い出すことがなかったこの出来事を、突如として鮮明に思い出したのです。

クラスの中にいても、一人だけ輪に入れない、居場所が見つけられない、あの心細い感じ。
土曜日が待ち遠しくて仕方がなかったように記憶しています。
遠い昔のことですが、思い出してしまうと傷が疼いて、今度はわが子が同じ思いをしやしないかと、気になって仕方がなくなるのです。

楽しく学校生活を送れているのかな?
お友だちとうまくいっているのかな?

女の子であれば多感な時期に入りますので、昨日まで楽しく遊んでいた友だちと、何かの拍子でギクシャクするなんてことは日常茶飯事です。
幼い頃のように、泣きじゃくって親の助けを求めることもできない、大人になるための通過点。

感じやすかったあの頃の自分と重ね、無事に過ぎてほしいと願っていたことを思い出します。
そうやってわが子の成長を通して、もう一度丁寧に自分の子ども時代をなぞる作業は、大きな癒しをもたらします。

子どもを育てる醍醐味は、わが子の親になると同時に、自分自身の親になり、もう一度自分の育て直しができるということなのです。
幼い頃に苦い思い出があって、心にかさぶたがついたままの場合、子育てを通して綺麗に剥がれていくように思います。

わが子の成長が気になるなあと感じた時は、ぜひ気にしてあげてください。
それはもちろん、お子さんの「丁寧にみて欲しい」というサインかもしれませんし、ひょっとしたら、忘れていた小さな子ども時代の自分からのサインかもしれませんからね。

鶯千恭子(おうち きょうこ)





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